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櫻坂46、卒業メンバーのそばにはいつも増本綺良がいた


渡辺・守屋に続き、渡邉も卒業…。彼女たちにとって1月は別れの季節なのか。そういえば、3rd Single『流れ弾』の特典映像って、渡辺&渡邉と増本のロケだった。これ、偶然なのか? 卒業メンバーの側にはいつも増本がいたのだった。SAKURA MEGURIロケのとき、増本は知っていたのだろうか。守屋との関係は卒業の日を暗黙の了解としたものだったのか。私たちがそれを知ることはない。でも、増本の愛情は、それを必要としてる人にオーバーフローするぐらい注がれてること、卒業する(した)彼女たちもその思いを理解してるのはわかる。
1期生が卒業するときには、絶対に増本にいてほしい。

BACKS LIVE!!で齋藤が「やっぱりダンスが好き、ダンスを極めたい」というようなことを言ってて、最近増本と距離が近づいてるようだし、そのうち振付師として裏からグループを支えていきたいとか言い出さないか余計な心配をしてしまう……(増本が菅井や小池を慕うのは、ただのリスペクトだと信じたい)。

1/25の菅井ブログからも読めるように、メンバーたちは(全員じゃないかもだけど)結構前から動向は知っているわけだ。普通の会社で円満に退社するとしたら、引き継ぎとかあるし、少なくとも3カ月前ぐらいには、場合によっては半年〜1年前ぐらいから、辞めるための準備等が進んでいくものだ。櫻坂の歩みを半年遡ると、2nd Single BACKS LIVE!!、W-KEYAKI FES、『流れ弾』制作期間あたりだ。卒業の意思を打ち明けるのは遅くともこのあたりになるだろう。ツアーの間もずっと、『無言の宇宙』を披露したときも、青マリの曲を歌ってるときも、ずっと共演しながら「卒業」を感じ続けるのは、彼女たちにとって初めての経験だ(と書きながら気づく!)。

メンバーの商品価値、本人のモチベーションや健康状態、運営や制作サイドの受けのよさ等々、シングル毎に決まる選抜やフォーメーションはどのように決められるのかはわからない。一人は表題選抜外、表題選抜、エイト入りを果たし、一人は表題選抜から落ち、一人は最終的にセンターになった。
「一人ひとりが輝けるグループ」というコンセプトのもと、表題曲に参加できなくても、一人で歌うパートがあったり、人数が減ることで相対的に見つかりやすくなる効果はあったと思う。と同時に、自分の限界にも向き合うことになったのではないか。BACKS LIVE!!は、メンバー一人ひとりに「これから自分はどうしていきたいか?」を自問自答させるものだった。「バックダンサーでもいい」と言っていた守屋は(それ自体はまったく悪くないし、むしろ、だからこその欅坂だった)、一つの答えを出したのだろう。

渡辺の場合、同時期にロレアルパリのアンバサダーのメンバーになってしまったために、急遽エイト入りさせたのではと邪推している。2ndのエイト継続で『流れ弾』を録音したものの、急遽エイト入れ替え事案が発生し、シンメの小池・藤吉と渡辺ともう一人をコンバートしたのでは。エイト以外のメンバーに台詞パートがあるのはやっぱり不自然だ。土生・渡辺でやっても全然いいのだから。

W-KEYAKI FESは、配信で観るだけだったけど、2グループのスタンスは対照的だった。「アイドルとはこういうもの」を体現しようとする日向坂46は「欅共和国」を引き継ぎ、再現したい意思があったと思う。櫻坂46は「欅」の呪縛からどれだけ遠くに行けるかというある意味真逆のスタンスだった。彼女たちは欅坂の曲を期待されながら櫻坂の曲を貫いた(もちろん彼女たちの総意というわけでもないだろう)。ただ、舞台セットがあんまりフィットしてなく、少ない持ち歌を無理やりあわせてるような印象だった。とはいえ「このメンバーでやれるのは最後かもしれない」という思いがモチベーションとなり、ひとつの達成感を満たしたと思う。

この達成感と無力感、やりきった感と悔しさがメンバー各々の意識に影響したのは想像に難くない。その中身までは知る由もないが。

1期生が卒業するときの「つらい思い出も多かった」というコメントに触れるたびに、わかりもしないくせに「ああ、そうだよね」と思ってしまうけど、メンバーたちの関係性は、ほんとうに稀有で崇高なものだ。

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