【今日の一曲】Nico - The End

ニコの最高傑作とも名高いアルバム「ジ・エンド」から標題曲でありドアーズのカバーである曲を紹介します。

このアルバム、なにがすごいかってニコとNY時代からの盟友ジョン・ケイルのコンビに加え、この頃ケイルの「恐れ」にも参加していたブライアン・イーノとフィル・マンザネラが参加しているのです。

ピンとこない人向けに説明すると、とにかくニコという強烈な個性を持った天才の音楽を、三人の天才がバックで支えている(ケイルに至ってはプロデューサーとしてバックミュージシャン以上の存在感を見せているのだけど)とでも思ってもらえればいいでしょうか。


そんなわけでアルバム全体が素晴らしいのですが、なかでも表題曲のこの曲は日本盤CDのライナーにも書いてあった通り異質です。
流れとしては前曲に続いてノイズとアヴァンギャルドなピアノにニコの歌唱が淡々と乗せられた緊張感のあるもので、そのまま9分間いくのかと思いきや終盤に大きな展開を迎え、ケイルが得意とするピアノの連打するリズムと過剰なまでのバックの演奏が始まるのだから一筋縄ではいきません。

アルバム全体として見れば、あの「ジ・エンド」を包みこんでしまうようなオリジナル曲の世界観に圧倒されっぱなしなのだけど、だとしてもこの曲はいろいろな意味で特別といえるでしょう。
それはもちろん元の曲が素晴らしいというのもあるし、ニコとこのメンバーだからこそ作ることができた、ドアーズの至高のカヴァーです。

ケイルの存在感が強いサウンド面でニコは気に入らなかったのかもしれないけど、彼女の歌は曲の重さに相応しいもので、時たま深淵から姿を見せるかのごときハーモニウムも楽曲の中で完璧な役割を果たしています。


この曲は、ニコの作品として考えると、彼女の作風と奇妙な親和性のようなものがあって、アルバム全体の中では異質ながら彼女のレパートリーの中では、たとえばクラッシュの「アイ・ファウト・ザ・ロウ」のようにしっくりくるものがある、そんなカバーだと感じられます。

もちろんそれはニコの才能にケイルを筆頭とした実力ある制作メンバーが呼応したからこその傑作ということなのだけど、私はそこにニコとジム・モリソンという二人のかつての関係を重ねずにはいられません。

ニコはジム・モリソンから作曲を教わったなどというけど、彼はその時なにかとんでもないものを吹き込んだのではないかと思わせるような、その彼の大作が彼女の最高傑作の中心となったことが、元カレだった、とかいう表面的な理由や偶然の一致で片付けられるものではないと思わせるような、そんな奇妙な力が宿されているような気がしてならないのです。

そしてもう一つ、ケイルのプロデュース作として考えると、彼のカヴァーの技術の高さというものが際立っているといえるでしょう。

彼はソロでエルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」やレナード・コーエンの「ハレルヤ」をカヴァーして高い評価を得ています。
不気味なシンセで原曲を魔改造したような前者は、ロック史上最も重要な曲のひとつに対する、極めて挑戦的で挑発的なアレンジながら「ジョン・ケイルの作品」として着地できていて、それだけでも彼の才を伺わせるものですが、この「ジ・エンド」もまた、まるでニコの力を借りて自分一人ではなし得なかったカヴァーを完成させるかの如く、それでいてはっきりと彼女の作品として(ただしライナーにも書かれている通り、ニコとケイルの共作としてもいいくらいのものだけど)完成形を提示できているのが彼のカヴァーの巧さを象徴しているなぁなどと感じたりするのです。

ちなみに、この曲の次、アルバムを締めくくるのはなんとドイツ国歌
恐ろしいほどにニコの作風との親和性があり、彼女のクラシカルな一面を感じさせますが、それ以上にアルバム全体の構成として、果たして彼女は祖国ドイツに対してどのような感情を抱いていたのだろうかと考えさせるようなものとなっています。ある意味ではこれもまたカヴァー曲。


彼女、ニコという音楽家は日本でもカルトヒーロー的に知られていて、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド関連で存在は知っているという人は多いのですが、彼女の楽曲はそのあまりの独自性によるとっつきにくさも相まってあまり聴かれてきたとは言えないでしょう。

しかしその音楽性だけでなく、生き様や人生観を私は(重度のジャンキーであったことを除いて)尊敬しており、それがもっと多くの人の知るところとなり、然るべき理解と評価を得て欲しいと思いますし、私自身としても彼女の人物像をより深く理解していけたらと思っています。
ここからは少しでも彼女の音楽に興味を持ってもらえるよう、彼女の略歴と音楽史を、いくつかの私見と共にここに紹介します。

ニコことクリスタ・ペフゲンはドイツに生まれ、幼少期に第二次世界大戦とドイツの敗戦を経験しました。
戦後の荒廃しきった祖国ドイツの景色とそこでの経験は、後年の彼女の人生観や音楽に大きな影を落としています。

その美貌からモデルとして成功を収めた彼女は、やがてニューヨークに渡ってアンディ・ウォーホルのファクトリーで認められるようになります。
そこでヴェルヴェット・アンダーグラウンドに加わり、ミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたことは有名ですが、その時期に彼女はローリング・ストーンズを始め、ボブ・ディラン、ジム・モリソンらと相次いで関係を結び、楽曲提供を受けたり作曲そのものを学んだりしていました。

そこにはヴェルヴェッツやデビューアルバムで単なる歌手として扱われたことへの反感や、モデルや俳優としてよりもより自由に自己表現ができる音楽の道を選ぶという意志があったものだと思われます。

そんな中で発表されたソロ一作目の「チェルシー・ガール」には、ニコ自身の曲は「イット・ワズ・ア・プレジャー・ゼン」にクレジットされている以外はなく、代わりにヴェルヴェッツのメンバーを始めボブ・ディラン、若き日のジャクソン・ブラウンらの楽曲が収録されており、フォークロックの名盤として評価されていますが、本当の意味で彼女自身のソロ作品とは言えない内容になっています。

ここから彼女のソロキャリアが始まっていくわけですが、ヴェルヴェッツを始めストーンズ、ボブ・ディラン、ジム・モリソンといった面々から作曲やアルバム制作のあれこれを学んでいたことに加え、ウォーホルやのち同棲するフィリップ・ガレルらの芸術家や映画監督との関係も豊富だったニコは、ヴェルヴェッツのジョン・ケイルからの生涯にわたる後押しも受けて(ケイルが最新作でニコについて歌ったのはなかなかに考えさせるところがあります)、その芸術的才能を開花させていきます。

ケイルのプロデュースで制作された真の意味でのデビューアルバム「マーブル・インデックス」で彼女が見せたのは、想像を絶する彼女の内面の闇の深さと、その深い闇の底から響いてくるようなハーモニウムとどす黒いヴォーカルが織りなす芸術でした。
それは単なる麻薬中毒者が体験する幻覚の世界やその延長ではなく、荒廃したベルリンの風景をバックグラウンドにした一人の女性(ただし麻薬中毒者ではあった)による現実世界の知覚であり、徹底的に男性的な世界での成功に対する苦悩と葛藤の表出であったように思われます。

次作「デザートショア」とこの「ジ・エンド」で彼女のハーモニウムとヴォーカルを中心とした呪術的な世界はいくらか穏やかさと繊細さを帯び、聴きやすくなったような印象を与えます。

ニコの独特すぎる感性とそれを形作ってきた様々な経験、また恵まれた人脈によって築かれた確かな芸術的素養を背景にした彼女の音楽はこの頃確実に完成形に近づいており、「ジ・エンド」というアルバムはその芸術の一つの到達点と評価することができるでしょう。
彼女の作品は、それに関わった多くの著名ミュージシャンの力もあってこそではありますが、その闇や死の香りの偽りのなさという意味でも、芸術性という意味でも、高いレベルに到達していたと私は考えています。

初め聞いたときはこれでも音楽かとびっくりするほどのダークさとアヴァンギャルドなサウンドに敬遠されがちなのは事実ですが、しかし決して狂気の人でもなければ禁断症状中のジャンキーによる幻覚でもない、一人の人間としての苦悩と救済への祈りを、繰り返し聴くことによって感じ取ることができるようになるかもしれません。
そうでなくても、ニコが決して商業的な作品にはならないことも覚悟の上で自己表現としてぶつけた音楽を受け止めようとすること自体に、大きな人間的価値があるものだと私は信じます。

彼女の作品を、自身が抑圧されていると感じる人にこそ聴いてほしい、人生のどん底にある人にこそ聴いてほしい、何より個人的には生きづらさを感じる全ての女性にこそ、彼女の作品を聴いてほしいと思います。(ただし私の知り合いの女性にニコのライブアルバムを聴かせたら、リズムが不安定で不安が増幅されるような感じだった、と言われました。高い前衛的な芸術性を兼ね備えているがゆえに一般的なゴシックロックやダークネスを売りにした音楽とは一線を画すものとなっているのも事実。)

その後のニコについては、「ジ・エンド」発表後に彼女は長い活動休止期間に入ります。私生活ではガレルとの同棲生活が上手くいかなくなり、ヘロイン中毒の影響も強く出始めていたようです。

やがてマンチェスターに渡ってポストパンクの若手と組んだ彼女は、音楽性を大きく改めたアルバム「ドラマ・オブ・エグザイル」で復活を遂げます。

マンチェスターでの二作目「カメラ・オブスクラ」はやはりバンドを従えての作品ながら、前作のゴリゴリのロック路線を再び改め、無機質でインダストリアルな音作りに取り組んでいます。

大きな方向性は違えど、この二作に共通するのが中近東の要素を取り入れているということ。民族音楽ブームという時代背景もありますが、それ以上にドイツ出身の彼女には西洋的=ローマ的なものへの憧れと反感があったのではないかとも感じさせます。
たとえば「マーブル~」収録の「ジュリアス・シーザー」だったり「ジ・エンド」収録の「王家の谷」など、彼女の特に中近東~北アフリカへの興味はキャリアの初期から現れていたのかもしれません。

あからさまに民族音楽的かつバンドサウンドを全面に押し出した形の「ジンギス・カン」「スフィンクス」といった曲を収録した「ドラマ~」はニコにとっては新鮮な挑戦だったでしょうし、結果的にポップな仕上がり。
再びケイルをプロデューサーに迎えた「カメラ~」はかつてのニコを想起させるハーモニウム、相変わらずドスのきいたヴォーカル、中近東の音楽、インダストリアル、バンドサウンドといった様々な要素を同軸に配列した実験的な内容ながら、上手く作品としてまとまっています。結果として民族音楽ブームに乗じたポップスとは明確に異なった路線を打ち出せているのも評価されるべきでしょう。

ライブ盤「ビハインド・ジ・アイアン・カーテン」で聴ける「ポーランドの高速道路からの万聖節の夜」という(意味不明な題の)曲はその延長線上にあるような曲で、是非ともこの路線をさらに発展させたニコと取り巻きたちを見てみたかったと思わせるような隠れた名曲です。

しかしこの頃になっても彼女はドラッグ癖を改めることはせず、クスリ代を稼ぐためにやっつけのツアーに出ることが増えてきたようで、最期はスペインのイビサ島で自転車事故を起こしてあっけなく亡くなってしまいました。

誰に言われても彼女がドラッグから足を洗うことはなかったと思うけど(それでも50手前まで生きていれば心変わりの一つや二つはあってもおかしくなかったかもしれない、と思ってしまうのはなぜでしょうか)、このまま制作さえ続けていれば工業都市マンチェスターで二度目の音楽的な成熟期を迎えられたのではないか、と考えずにはいられません。

それくらい人を惹きつける力を持っていたと思うのです、彼女の音楽は。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?