ジュール・バルベー・ドールヴィイ『テプフェール』

【原典:Jules Barbey d'Aurevilly,  « Topffer » dans Les œuvres et les hommes : XII. Littérature étrangère, 1890】
【バルベー・ドールヴィイは厖大な作家評を書いており、その中にジュネーヴのロドルフ・テプフェールについての短評があります。テプフェールの作品は、大まかにいって漫画・小説・紀行文の三分野に亘りますが、ここでは主に紀行文が評価されています。太字は原文にある強調、〔〕は訳註です】

ロドルフ・テプフェール『ジグザグの旅』は、成功を期待されて豊富な絵と活字で出版されたが、それは正しかった。テプフェールは、きわめて短期間のうちに人気を博すこととなった作家のひとりである。若くして亡くなったが〔テプフェールは47歳歿(1799-1846)〕、その名声が高まりはじめたとき、あたかも通俗的であるかのごとく普通のひとたちに気に入られたのは、彼の格別な才能のひとつであった。普通のひとを面喰わせることなく感動させるものを持っている。深遠すぎず、高尚すぎず、独創的すぎない――人間どうしを孤立させる原因だ――ので、普通のひとたちの頭や心に居心地悪い思いをさせない――彼らは、当座の好評を得て、ゴブラン織り職人が丹念に絨毯を織るように人間としての栄光のために努力するのだ――作っているものについてはともかく。そのうえテプフェールは陽気だ。天性の魅力、翼を持った軽やかな能力、雲雀の精神を持っている、それはいつの時代どんな人間のところでも、くるくる回り、囀り、笑い、飛ぶのだが、老いて退屈したわれわれ〔フランス人のこと〕にあっては、誰もが最も切実に欲しているものだ。イマヌエル・カントはほとんど笑わなかったが、人間に好まれる三つの才能を、古代の最も偉大な藝術家たちに相応しい哲学的まとまりとして組み合わせたのは、物事をよく分かっていた。笑いと眠りと希望の才能である〔『判断力批判』第54節「註釈」〕。

テプフェールがフランス人でないのは誰もが知っている。どこかで自ら述べていたとおり、ジュネーヴ出身のスキタイ人であり〔サント=ブーヴによる評伝(初出は「モニトゥール」誌1853年8月16日号、のち『月曜閑談』第8巻に収録)に、スキュティア出身でギリシャの哲学者となったアナカルシスになぞらえて「わたしはスキタイ人にすぎない」とテプフェールが述べた、と書かれている。田舎者であるという意味〕、ジュネーヴを大いに詩的に表現しており、自身が粗野な雰囲気で描いているジュネーヴには似つかわしくない。テプフェールは、ルソーやトロンシェ〔François-Denis Tronchet〕、ネッケル夫人〔Suzanne Necker, née Curchod〕、ネッケル氏といった、著作において偉大な自然を文藝で表現した優れた頭脳の持ち主たちの国の出身であるが、そうした有名な同胞たち、つまり、いかに優秀とはいえ、鈍重で重厚で不器用な天才であり、ルソーも含めて皆いくらか甲状腺腫を患っているひとたちとは、まったく違う。テプフェールは、表現の軽やかさと思考の透明性においてフランス的なのだ。われわれが優雅さを持っているとすれば、彼もまたわれわれがフランスで持っているのと同じように優雅さを持っている。オーロラで金色に輝く母なる氷河の薔薇色の雪を、モスリングラス〔薄手で脚の細いグラス〕で飲むのだ、この原始的で素朴な風味に混じるものがあるとすれば、それはラインワインの一滴、純粋無垢な一滴であり、夢見がちで素朴なのは父の影響である。テプフェールはフランス人であると同時にドイツ人でもあるのだ。ふたつの民族の最も素晴らしい光が、彼のうちで混ざり合った。ドイツ人とフランス人の間で、スイス人は苦しみも叫びもなく、穏やかに取りこまれ押しつぶされた。

『ジグザグの旅』はテプフェールの最後にして最高の作品である。デュボシェ氏によって著者の最初の小旅行が美しい版で刊行された1844年から、早すぎる死を遂げた1847年までの間を埋めている。この三部構成の旅――グランド・シャルトルーズ、――モン・ブラン、――ジェノヴァ、――は、したがってテプフェールの三つの才能が完全に発揮された成熟した作品としての面白さを持っており、その後はおそらく海の潮が引くように才能が衰えはじめるのだ。三つの才能、と言った。実際、テプフェールは異なりつつも結合した三つの才能を持っている。風景画家であり、風俗画家であり、作家である。

最初に知られたのは風景画家としての才能だ――評価され、称讃され、おそらく他のふたつの才能、あまり時流には乗らず評価されにくい才能にも光が当たるきっかけとなった。確かに、今世紀のはじめの三分の一以降、自然描写は――何と言ったらよいか?――描写そのものが文学において非常に重要となった。画趣〔ピトレスク〕は偉くて力のある文学界の支配者なのだ。画趣を嘲っているのではない。逆だ。われわれの心は何だか分からないが画趣に弱い、とにかく弱いのだ、そして公平のために言うと、絵画という嫉妬深くて愛に溺れた妹が、詩という姉を抱きしめることで少し息苦しくさせているのを、われわれは知らねばならない。ルソーの後、ソシュールの後、セナンクールやシャトーブリアンやバイロン卿といった同時代の風景作家たち全員の後、そして描写について同時代の思想に広く衝動を与えた輝かしい〔トーマス・シドニー・〕クーパーの後に、テプフェールもまたやって来て、独自の観察や感性から、あるいはまだ言われていない言葉を言おうと考えての計算から、雄大なアルプスの風景にフランドルの方法を導入しようと試み、成功した。そうした観察と再現(創造といったほうが正しいかもしれない)の方法を使ったが、真の藝術家として、体系に囚われず、党派性による限界に盲目的に突き当たることなく、幅広く応用した。前景はフランドル様式で、〔ヤーコプ・ファン・〕ロイスダール、〔パウルス・〕ポッテル、〔フィリップス・〕ワウウェルマンのような見識と感覚で描かれているが、しばしば山頂にも目を向ける。隙間ごしの風景や人物の頭上には、より大胆で、より誇り高い、より大きく夢のような線が描かれ、雲や虹のかかるまだらな山頂をテプフェールが身を置く小さな枠の外へとつき出している壮麗で巨大な自然を思い起こさせる。テプフェールの魅力と成功の秘訣は、この対照にあるように見える。しかし、信じてくれ! 彼にはそれ以上のものがある。画家としての才能が名声による金の指輪の台座だとすれば、ルビーは彼の作家としての才能であり、この才能は常に本の枠組や作風や主題よりも重要で、思考の血液そのものであり、どこに落ちても、あらゆるものに命を吹きこむのだ――数滴であれ奔流であれ!

そして作家、作家だけなのだ。というのも、テプフェールにおいて、風俗画家は風景画家に匹敵していない。断じて違う。風俗画家としてのテプフェールには、襞、深み、人間の心の一杯だったり空だったりする袋や虚栄心の頭陀袋を奥底まで見通す眼力が欠けている! 善良なテプフェールの美しく青い目は、頭と同水準の、近視の目であり、滑る目、縛られない目、見通さない目である。しかし、風景や風景画家には相応しい、靄、ぼんやりとした輪郭、とらえどころなく判別しがたい消えかけの遠景といったものは、人間を描く画家、人間観察家、明晰に眺めて全てを識別し完璧かつ厳正な線を描かねばならない人間本性の観察者には相応しくない。テプフェールは輪郭を素早く描き、曲線に合わせて一滴の光を灯す。ただ、立ちどまったり座ったりはせず、ほぼ歩きまわって描く……。すべては一滴の光に収まるのだ。優雅な言葉づかい、陽気な諷刺画家や朝夕の巡礼者の歌にもかかわらず、通りすがりに鉛筆の先で巧みに描かれる場所を彼と一緒に歩いたあと、いつも冷たく恐ろしい言葉を発しそうになる。「なるほど、それで?」

なぜなら、人間はいつまでも風景を眺めたり表面に長々とこだわったりするために存在しているのではないからだ。「なるほど、それで?」独特の顔つきの案内人。皺だらけの頬が囲炉裏に照らされ、秋に赤く熟れた果物のように輝く老人。静かに照らされた囲いの隅で物思いに耽って夢うつつの牛から三歩離れたところで青い靴下を編んでいる、黄褐色で垂れた瞼の牛飼い女。ちょうどフランスの衛兵のように耳まで三角帽をかぶり、スータン〔聖職者の長衣〕の留金を外した、狩りに出かける司祭。これらはすべて画集に描かれた人物像、風景の中の庶民にすぎない。しかし、登山家の年を重ねた胸中、少女の薔薇色の心の中、聖務日課書の祈祷を朗読し、ミサを唱え、地上の貧しい人々を養うために空の鳥と戦おうというアルプスの丈夫な息子がいるのを思い出す男臭く貧しい司祭の人生を想像し知覚する方法、これがわれわれの見たいものであり、テプフェールが充分な細部を描いていないものなのだ、たとえばスターンだったら決して書き落とさないだろう、この偉大な人間観察家は、消えない木炭の風景画を三つの線で固定する方法を知っており、爪ほどの大きさだが無限の表現で、ひとたび見れば記憶に残り続けるのだ、壁に刺さった留具のように! 『センチメンタル・ジャーニー』のブルボネと、オフィーリアと乳姉妹である狂ったマリアを木蔭に座らせたポプラを思い出せば〔『センチメンタル・ジャーニー』で、ブルボネ地方を通る場面を書いた章のこと。オフィーリアはシェイクスピア『ハムレット』の登場人物で、『センチメンタル・ジャーニー』のマリアと同じく恋の悲劇から狂った女性として名前を挙げている〕、一面しか持たない才能と二面を持つ天才の違いや、『ジグザグの旅』は読み終えると旅行のように疲れるが『センチメンタル・ジャーニー』は滞在のように面白い理由が分かるだろう。

いや! テプフェールとスターンでは比較にならない――それでもふたりの間には遠戚関係がある、感情の類似だ。これらふたつの、調和のとれた自然の音楽は、同じ律動で心地よく優しく脈動している。〔ウィリアム・〕テルの矢が息子の金髪の頭に乗せた林檎を割ったように、ふたりが観察する心を穏やかな視線で割るのは、スターンだけだ。スターンは、自然の最も些細な特徴、僅かな輪郭から、人間の奥底へと到達する。自然を通じて人間を、人間を通じて自然を明らかにするが、どちらがよりはっきりと照らされ、より生き生きとし、より上手く描かれているかは分からない! テプフェールは自然しか見ない。人間の心からもパレットの厚みで隔てられているだけだが、ディドロの言うように「しかしレースがかかっている、それは青銅の壁なのだ……」テプフェールの観察は、彩色画に描く頬の平面を突き刺しはしない。光に酔った蜜蜂そっくりだ、花に針を突き刺すなど考えもしないだろう……。おそらくそのせいで、とても敏感であるにもかかわらず、表面的なのだ。おそらくそのせいで、面白く素直な陽気さが、観察者の眉の下に最も神聖な憂鬱の翳を湛えているスターンの陽気さとは違って、ほとんど悲しみを帯びることがないのだ。もし、子どもの先生であり自身も無邪気で可愛らしい子どもであるテプフェールが、もっと人間を見通したら、間違いなく悲しみがあるはずだ! そして、よく響く笑いの純粋な輝きは、ビロードの切れはしが墓の上を引かれるように、人生の価値を考えた者の唇に引かれた物憂げな微笑で消えてしまうだろう――そっと、音も立てずに。

もっとも、すでに述べたように、批評としては指摘せざるをえない確かな欠点によって、テプフェールは、彼が書いた普通のひとたち、つまり天才のうち下の三分の一より他は何も理解しないであろう者たちを、より喜ばせるのだ。それによって、彼の優れた部分、たとえば話の規模、構成、豊富な語彙、そして大作家の透明かつ充実したあらゆる性質において第一級のものである彼の文体を、受け入れてもらえるのだろう。ジュネーヴの言語学者がフランスの作家にもたらした素晴らしい教訓! 彼の話す言葉は、そこに脈打つ感情や、そこに広がったり集まったりする昂奮を除けば、本当に美しい。序文を書くのに熟達し、本が出る前に序文を書くサント=ブーヴは、そのひとつで、テプフェールを「抑揚のある、鋭く生き生きとした」作家と評している。レマン湖畔のモンテーニュとさえ呼んでいる、そしてフランス人にとってモンテーニュが偉大なのは、パスカルとラ・ブリュイエールを生み出し、かつそのふたりによっても乗り越えられていないからであり、テプフェールという控えめな名前もモンテーニュの名で呼ぶに値する。とはいえ、お世辞もあるにせよ、とりわけサント=ブーヴのように著名な藝術家かつ批評家がそう呼ぶのであれば、本当に『ジグザグの旅』の作者の才能のあらゆる側面やあらゆる源泉に光を当てた呼称なのだろうか? われわれが見るに、テプフェールの作品には、ビュフォンが『自然の諸時期』を書いたペンで、アルプスを描いたハラーの詩を翻訳しているかのようなページが(しかも何ページも)ある。モンテーニュを思い出させたあとにビュフォンを思い出させる、しかも依然として非常に個性的、まさしく彼自身であり、われわれが好んで読む真の諷刺作家であり、スターンで涙をこぼしたりジャン・パウルに驚かされたりしたときに、優しく涙を拭いたり心地よく目を休ませてくれたりする、そんな人物がルソーの同胞でもあるのは、光栄すぎるだろうか? 悲しい老後に彩りや香りを与えようと、丁寧に摘んだ花を家で待つ年老いた両親に散歩から持ち帰る子どもたちが温かい感謝を受けるに値するとしたら、陽気に山を歩いて花のように新鮮なページを持ち帰るテプフェールに、ジュネーヴは感謝するに違いない。この卓越した天性の才能、そして今までスイスでは全く無名だった才能がなければ、堅苦しい敬虔なプロテスタントの老婆〔ジュネーヴのこと〕が、しわくちゃだが誇らしげな顔に笑顔を浮かべることは決してなかっただろう。しかしテプフェールは彼女に自分の微笑みを与えた!

(訳:加藤一輝)

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