シャンフルーリ「日本の諷刺画」第6章:日本における死の舞踏

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仏・独・瑞の教会が一連の絵画で人間の虚しさを描いていた頃、ある僧侶によって同種の教えが12世紀の日本でも説かれていた。こうした思潮がヨーロッパと日出づる帝国の双方で流行していたからといって、驚きはしまい。古来より、同邦人を導くことを天職とする者は、死に至る生という現象を案ぜねばならなかった。瞑想する知性にとって、いかなる人間も逃れられない死を終章とした正劇の序章である生よりも滋味あふれるものがあろうか!

生とは走破せねばならないものだが、最も幸運な者は生きている間に快を味わい、富を蓄え、栄に浴する。その結末を隠すための空虚な詰め込みだ。権威や財産や享楽から去るときに、困窮や隷属を失くすよりも未練があってはならないだろう。

教会は、キリスト教の教義に忠実でありながら、取るに足らない哀れな人々に肩入れしてきた。貴族や富豪といった、民衆を抑圧したり搾取したりする者すべてに対し、教会が容赦ない鏡のうちに示したのは、死神が絶えず彼らの傍らに立って無慈悲な笑みを浮かべている、ということだった。王座も王冠も教皇冠も剣も、この恐るべき敵の力を削ぐことはできず、権力や顕職、何かの足しにはなるだろうと人間が思い込んでいる下らない偽りの詰物は、大鎌の一振りで無に帰してしまう。

貴族への軽蔑と弱者への共感は、カトリックの財産として、常に重要であろう。古代の哲学者たちも、生と死という大きな問題を俯瞰的に考察しなかったわけではない。ただ、エジプトやギリシャでは、人間の老衰を乾いた骸骨で描こうという藝術はなく、そのような題材を見出せる遺産はごく稀である。

わたしは25年前から多くの日本の画集を眺めてきた。この研究が形を成すまでに幾千もの絵を目にしてきた。物語や詩や小話を翻案した絵では、同じものが飽きるほど繰り返されている。しかし一度だけ、2体の屍が楽器を弾いて、ありふれた描写に幾らか厚みを加えていた。はっきりとした線で描かれたこの肖像は、おそらく今世紀初頭に遡るであろう画集から採ったものだが、江戸の一絵師がヨーロッパの死の舞踏から借用したとしか考えられない。あらゆる手法で描かれる日本の奇想画に順応して、屍という主題は、伝承や銘を附されることなく、植物や花の観察に混じっている。異国の奇妙なものが絵師の目に留まり、自然史の研究を中断して、生の歓びを嘲笑する骸骨という奇妙な描写をつけ加えることになったかのようだ。

それまで本当の死を描いた筆跡を日本の画集で見た覚えが全くなかったので、尚更そう思えたのだ。しかし日本の海辺に降り立った旅行者たちの話を読んで失望した、ほとんど訳せない日本語の文章を添えられた絵を見たときと同様、情報の断片は何ら満足できるものでなく、むしろ幾つかの絵画表現について明確に知りたいという欲望を掻き立てた。

物事の裏面を見抜き、国民の風俗を奥底まで見通し、領事官や文献学者や軍人や医者や大学人には注意を向けられないような事柄を報告する能力を持った知識人が、政府の使節として派遣されることは稀である。

文明は生活の実利的な側面しか知らないので、コンスタンティノープルに向けて旅立った某ジェラール〔ネルヴァルのこと〕が、そこで夢想の歩みを巡らせ、目を窄めながら見つめ、カラギョズ〔トルコの影絵芝居〕の演目を研究し、女を追って路地に飛び込み、ときに法学者よりも一国の風俗を知っているのを、蔑ろにする。

この諧謔家は異邦で恋をした。女とは、男にとって最も深く研究できる書物ではないか?

こうした奇矯な精神を持つ者に、訪れた国の民族が何を考えているのか、訊いてみたまえ。自らも参加した娯楽や祝祭について語らせたら、人文科学アカデミー会員の使節よりも外国について多くを知りながら衒うことのない遊惰者による、鋭い観察の数々に驚かされるだろう。知識人とは、わたしの考えでは、物事に対する認知と予知の力を持っている。さらに、扉の閉まった家でも中まで入ったかのように分かるほど優れた直観を加えるのだ。

しかし、いかなる政府が、そのような人物を使節に任ずるだろう?

ある友人が、わたしの日本美術への没頭ぶりを見て、パリ在住の貿易商である氏〔林忠正、パリを拠点に日本美術の紹介・販売を行なった〕との縁を取り持ってくれた。自国の歴史にも風俗や習慣にも非常に通暁している氏に、日本で死の舞踏が稀少なのは何故かと尋ねると、ほとんど間を置かず、そのような絵が何枚か含まれている画集を見せながら答えてくれた。

氏によると、一休は12世紀の僧侶であり、その教義の基底には、人事百般は儚く、人間は生の快楽を誤って解釈している、とする考えがある〔実際には一休宗純は15世紀の人物〕。

一休は女郎(高級娼婦)の集まりを好んだ。そのひとり、美貌で最も名高い女が弟子となり、ソクラテスとアスパシアのようになった。

そのような席で僧侶に出くわした者が驚くのも当然だが、一休は地上の官能の虚しさを説いて答えるのだった。

曰く、人間は肉体の特権に慢心しているが、それは間違いである。人間は無でしかない、最後に屍となった人間を見つめれば、そう確信できる。同様に、地上で得られる悦びや楽しみは全て空想同然であり、生ける者の影である骸骨のようなものだ。

そうした古代の教義を、ある日本の作家が1809年に『酔菩提』という小説の主題とした、その書名は「酩酊の中での無の哲学」とでも訳せばよいだろう〔山東京伝『本朝酔菩提全伝』挿絵は初代歌川豊国〕。

一休和尚の哲学的な教えを最も際立たせている絵のひとつは、日本の絵師の慣わしに即して、部屋の中と外の動きが描かれている〔巻之四〕。前景には、茶室の扉の前で、優雅に髪を結い豪奢な着物を纏った遊女たちが、花器などの道具一式を運んで、茶や、日本の高価なリキュールであるの準備をしている。正劇の序章というわけだ。室内では楽師たちが笛や三線(3弦のギター)を奏でており、その調べの理想的な艶めかしさは、絵師が奏者を骸骨で描くことによって表わされている。扇子遊びでしなを作っている女の骸骨たちの真ん中で、一休和尚が肉体の儚さと遊女の美貌や魅惑の虚しさを教えている。

その僧侶の道徳教義は安易な気もするが、貶すつもりはない。また別の版画〔同書〕が示すように、酔っ払い、飲みすぎて吐いた酒は魚となり、これは何だ?と言いながら宴の快楽を味わい、色香の虚しさを説きながら愛想を振りまく女たちとのつきあいを楽しむ、そうした生き方はリベルタン〔不信仰と放蕩を信条とする17世紀フランスの自由思想家〕も進んで取り入れたであろう。そのうち幾人が、老いによって萎び、死神の鎌にかかるよりも前に、立派な肉体を予め天引きして、骸骨!と自ら言うだろう!

この章に、日本の巧みな藝術家によって象牙に彫られた数々の奇想の屍を載せていないと非難されるのは、尤もなことだ。それらは確かに、独特な藝術の興味深い研究対象となるだろう。

どうして象牙は日本であれほど探究され、滑稽な顰め面と同じくらい髑髏や骸骨が目立つのだろう?風変わりな姿を気まぐれに垣間見せ、その凝った作りは、かの有名なホルバイン『死のアルファベット』の飾り枠を想起させる。

わたしはこの問題を今なお解決できておらず、そのため、更なる資料を必要とする題材については前面に出さなかった。しかし、この面白い題材に再び戻り、いつかこの章を完成させるつもりだ。

(訳:加藤一輝/近藤 梓)

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