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解放老人

いろんなことに、慣れた。
母は食事を買いにいく近所の店々や銀行で、お金をぼったくられた、騙された等小さく難癖をつけ縁を切ったり、電話が壊れた、人に見てもらったけどみんな「おかしい」と言った等、小さく嘘をついたり嫌な過去を都合よく塗り替えたりしながらも、そこそこ落ち着いて暮らしている。
デイサービスでできた友達が遊びに来たり、訪問看護師さんに懐いたりして、何かあったらサポートの人が連絡をくれることもあり、こちらから電話するのは週に2〜3回に減った。
長々と時間がかかった介護認定の区分変更も、やっと要支援2から要介護2へと上げることができ、ここから先は希望のホームの空きが出るまでおとなしく待つだけなので、会いに行くペースも月に1回、2泊3日ぐらいに減った。

嵐のあとの、凪のような状態だ。
嵐の前の静けさ、なのかもしれないが。

それでも母に電話するのは気合がいるし、「どうしてた?」と明るい声を出すときは、得体の知れない嫌悪感が沸き起こる。
これからの長い、「認知症患者」としての母と歩む時間のあいだに、私のなかで何が育っていくのか?決して楽しみではないが、瞑想して待つ気分だ。


先日『父という病』という本を読んだ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4591136736/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_XFeeDbG84FDB1

『母という病』は大変話題になったから読んでいたのだが、虐待する父以外に父親が子供にどんな悪影響を持ちえるのか、興味をそそられた。
大半の部分はあまり実感が持てなかったが、ひとつだけ「へー!」という記述を見つけた。

「母親にロールモデルとしての愛着を持てないと、かわりに父親へ憧れ、同化する」

自分はファザコンだと思っていたけど「母と取り合う」ような類の愛情ではないし、そのかわり姿勢、喋り方、性格などを知らないうちにコピーしてしまっている。だから若い頃から振る舞いがおっさんぽいし、やたら中途半端に政治や世情に物申したりしたがる。どこかで「父みたいになりたい」(≠「父に認められたい」)と思い続けてきた。
一方で、母のことは振り返って見るのも嫌で、なるだけ母みたいな振る舞いはすまいと頑なに思ってきた。かっこ悪い、ダサい、みっともない、痛い。母にはそんな悪口みたいな感情しかなく、それを猛烈に申し訳なく思ってきた。

父に対する気持ちは、母に向けたかった憧れの転嫁なのか。
そう思うと、しっくりきた。なんでこんな、人間離れした悪行を平気でする父親を大事に思ってしまうのか、私に振り向いてもらいたくて仕方ない母に嫌悪感を感じるのか。
わかってちょっと、安心した。

もう一冊、印象に残った本がある。
大好きなノンフィクション作家、野村進の『解放老人 認知症の豊かな体験世界』という本だ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4062164256/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_FJeeDbTZ3DCDM
氏が山形県にある精神科病院、佐藤病院重度認知症治療病棟を5年に渡って取材し、入院している重度認知症のご老人たちと人間対人間の関係を築きながら書いた渾身のルポタージュだ。

まさに「渾身のルポタージュ」という言葉しか浮かばなかった。

サブタイトルを見て、もっと明るい内容なのかと想像していたが違った。
人格的に完全に崩壊したかのように見えるご老人たちの、その苛烈な病態の向こう側に見える個性や過去の記憶に触れ、人生を想像し、ときに胸を突かれて涙する。その様子が、逆に「人生の終着駅」へ辿り着こうとしているご老人たちの哀れさを一層際立たせる。

氏は以前『救急精神病棟』という日本初の精神科専門の救急病棟へ密着取材したルポタージュを書いたのだが、劇症型の様態を見せる精神病患者たちの、病を越えた深遠な「精神世界」に触れようと取材を始めたら、実際には「精神」ではなく「脳の故障、誤作動の発露」であると思うようになったと振り返っていた。そして認知症にも同じような側面があることも。

でも他の精神病と大きく違うのが、認知症の多くに「加齢性」という側面があることで、多くの患者さんたちにはそれぞれの抱える歴史がある。認知症に罹ることによって、今まで理性でコントロールしていた根っこの「個性」が前面に開花する、そんな印象を持ったそうだ。ときに認知症は、辛い記憶から患者を解き放つ。認知が崩壊することで、穏やかな「救い」が訪れる。がん末期の耐え難い痛みも感じることはないそうだ。

「認知症は、年を重ね不安になっていく最後の恐怖感に、一枚一枚ベールを重ねて、ぼやかすしくみ」
「終末期における適応の一様態」

そんな専門家の言葉も引用されていた。

そこにいる患者のご老人たちは、ほとんどの方が家族に見捨てられ、それぞれの寂しさや不安を抱えて暮らしている。けれど、身近にいるスタッフは、我々健常者が「こうはなりたくない」と恐れる状態になった患者さんたちに、ときに力づけられ、ときに教わり、「好感」を持ちながら日々接している。

母もいつか、そうなるのかもしれない。
なる前に老衰や他の病で死ぬかもしれない。
でも、認知症は本人にとってひとつの「救い」になりうる。
私はそう信じているし、母にも信じさせたい。母が穏やかに暮らせる環境を整えて、見捨てずそこそこ寄り添っていきたい。

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