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ははからでんわ

なんだか目が覚めなくて二度寝進行に陥っていた私を、むりやり現実に戻したのは母からの電話だった。

私はいま5月病でぼーっとしているが母は逆のようで、なにかと「自分アレンジ」をかましてくる。去年自分に降ってわいた「認知症」という現実に慣れて、「認知症を患う老人」という新たな生活にも慣れてきて、新しい知り合いも増えて、逆に「自分はまだできる」と思うタームに入ったのだろう、あれこれアレンジしたり冒険したりして、そのうちの半分ぐらい失敗してパニックを起こす。

今朝は「これから今宿まで爪やすりを買いにいっていいよね?」という無謀な提案だった。

母は巻爪治療で、なぜか電車で1時間半ぐらい離れた場所にある病院に通っていた(この頃からもうおかしかったのだろうな)のだが、そこへ行かなくなってからもう5年も経つというのに、突然そこで買っていた爪やすりがどうしても必要と思ってしまったようだった。なんでも手持ちのものを家のなかでなくしてしまったらしい。


なくした→ショック→新しいの買えばいいじゃん→明日暇

で、「電車に乗っていればつくものね」と訪問看護師さんに電話したらしい。そこで私じゃなくて訪問看護師さんに連絡というのが、いかに訪問看護師さんが母から信頼されているかということだから大変うれしい状態、だけども、一度言い出した母を強く止める権利は訪問看護師さんにはないので、「どうしても行くなら娘さんに許可を取って」と言われてしまった、いいよね?と母は私に言う。

田舎の小さな駅で一度乗り換えをして馴染みの病院に行くのすらできなかった母が、九州いち大きな駅でJRから地下鉄のホームに行って、地上線に直通している電車を見分けて乗って、を含めての1時間半なんて、それはもう無理ですよ、おかあさん。

「無理だとおもうよ」と言ったとたん、どうして!と激昂する母。あーだこーだと言い募るのが、普通だったら1時間以上続くパターンだ。しかし、その時私は眠かった。だから頭のなかの回路が別方向につながった。私はすぐさま言った。

「私だって病気のせいでできないことがある。
薬を飲んでいればなんの問題もないから、飲むのを止めてしまいたい時もあるけど、止めて悪くなってを何度もやったから、今度こそ大丈夫はもう思わないことにした。
子供をもう一人生むのも諦めた。このまま「病人」として生きることに決めた。
自分にはできないことがあると、諦めた。
病気と一緒に生きるってそういうことだから、お母さんも自分に何が難しくなったか受け入れてほしい」

さっきまでの興奮が嘘のように穏やかになった。
「はい、やめときます!」と言った時こそ悔しそうだったが、「じゃあ訪問看護師さんに今日は行かないことにしたって連絡しとくね、心配してるだろうからね」と電話を切る前に言った頃には、自重できた自分最高みたいなドヤ声になっていた。

「できないこと」を納得させるときに、「治らない病気の者同士、頑張ろう」という。これは「おかあさんにはできることがある」の次に効く魔法の言葉だ。私には持病があって、それは寛解はあっても完治がない類のものなのだが、それがあってよかったと思える唯一のことはこの、母を諌める道具として絶大な効力を発揮することだ。

切れて手がつけられなくなった母に
「私が病気だってことを忘れるな。私が潰れたら困るのはおかあさん」
薬を飲み渋る母に
「私も薬の時間だから一緒に飲もう」
ほかにもまあ、いろいろ使える。

寝ぼけていたおかげで、母の繰り出す言い訳に振り回されず、すぐクールダウンスイッチを押せたのは本当によかった。

二度寝、最高。

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