私が酒を呑むのは偏に休むことを知らないアタマを止めるため

 

とかいうふうに長長と書くとそれだけで私には十分であと何の説明が必要か、となるんだけど私には十分でも他の方にはそんな経験はないと思うからまあ少し前後を話そう酒ついでにその周辺も。


あー、若いころにはというか結婚してた時には 「忘れてしまいたいことやどうしようもない悲しさ」 に包まれたときに夜半に強めの酒(バーボン)を少し煽って 「嗚呼」 を口にすることもあったけど別れてからはそんなことに包まれることはなくなったからまあ、酒に対する距離感は普通というか皆さんのイメージと同じようなものだったと思う。

そのころには表題の 「アタマを止める」 という意識は未だない。


いつのころからかひとりでお店(仲良しだったホステスの仔が勤めてた店だから厳密にはひとりではない、かな)で呑む或いは家(部屋)で呑むという行為が増えてきて、…

あ、もしかしてアタマを止めることを欲している

のかな ? と思ってみたら何となく辻褄が合う。

基本的に私のアタマは眠らない限りは休もうとはしない。 酔うと何も考えない時間が生まれる(考えることができなくなるわけではない)ということに気づいた私は以来意図してアタマを使わない時間を作るようになった。


話は変わるが。

私はニホンジンなので 「お酒」 と表現する場合はいわゆる日本酒(狭義には普段呑んでいる種別の)を指す。

私のお気に入りのお酒は公表しない。 ウチに来れば飲ませては差し上げますが。 かつての龍神丸のように手に入らなくなると生きててつまらなくなるので。

ワインも好きだけど安い(値段ではない)のは呑んだ後で変な残り方をする体質(これはお酒でも同じ)なのでそういうのに当たったときは呑むよりも料理に使ってしまうほうが多い。

よく 「お酒は苦手で」 という方が居るがアルコール全般が苦手じゃないのならそれは不味いのしか呑んだことないからじゃないかと思っているのは私がそうだったから。


さて。

話を戻しつつ脱線するが、この 「意図してアタマを使わない時間を作るようになった」 のには理由というか訳というか強迫されることがあったが故だと思っている。 井戸が如く枯れてしまうのではないかという。 少し違うがアルジャーノンやヨミのように。

呑まなくてもアタマを使わないようにする術を手に入れてからは 井戸とサイヤ人と私 でも書いたように呑み席で見かけたなら唯の莫迦にしか見られないことにも抵抗がない。

逆に最近では休んでばかりなのでそのうちに唯の莫迦かボケたか偽装かの境界すらなくなるんじゃないかと思っている。

とはいえ何を読んでいてもある文字列で連鎖発火が起こり 半透明の視界で動画が始まる のは変わっていないかむしろ酷くなっている。 下書きが溜まる所以だ。


いろいろ喋ったが。

相方と二人で呑むときはそれが家であろうと行きつけの店でも何となく惹かれて入った店でもそれが日本でも他所の国でもどちらかともなくポロッと呟いたテーマを深堀りしつつ敷衍し転置し互いの技術系の思考を楽しむという呑み方になる。 時に店主と話を交えて。

楽しいのよ、これ。 実に。



皆さんの酒はどんな酒ですか ?

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