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ソロ旅「ひとりドライブ」山の中の修道院へ

#わたしの旅行記
ヴィシェグラードから12キロほどの旅と家路編です。

午前7時に宿を出発して東の修道院へドライブ・マイ・カーです。


ドブルン修道院

Dobrun Monastery
ドリナ川の支流
ルザフ川峡谷に修道院の
複合的な建物が見えてきました
山の中腹に十字架と像
スルプツカの旗も見えます
入り口に鎮座するSL
蒸気機関車の一種である
シュタインツ・ベルゲン(Steinbeis-Bergen)
1913年にドイツで製造
第一次世界大戦中に
オーストリア=ハンガリー帝国に徴用され
その後バルカン各地で使用された後
ユーゴスラビア時代には
現在のBiHの鉄道で
使用されました
早朝の為森閑としています
大きな修道院です
入り口で清めてから
聖母マリアのモザイク
ドブルン修道院(МанастирДобрун)は
セルビア共和国との国境近くの
ヴィシェグラードから12kmです

ドブルン修道院の設立と歴史に関する信頼できるデータはないようです。昔のバルカンは別名「世界の火薬庫」です。修道院は何度も破壊され再建されできましたが最悪は第二次世界大戦中に起こりました。ドイツ人はこの修道院を武器倉庫として使用し1945年の撤退中に爆発させられました。

典雅なイコン画
教会入り口

修道院は1946年に再建されました。最も有名なフレスコ画は修道院の創設者と家族を表しているようです。その他イースターエッグやイコンなど教会所有の美術品を所有しているのですが今回早朝過ぎて拝見できませんでした。

中からミサの声がしており
残念ながら入場と見学は
次回にします
現在の母屋
敷地内に居る部外者は
私のみでした
早朝の靄が山にかかっています

過去、修道院の上の岩の洞窟に僧侶たちは住み大きな宗教上の祝日の間だけ修道院に降りてきたと言います。

ステチュツィ
セルビア正教会ですが
過去ボスニア教会として
信仰されていたと
私は考えています

現在この周辺はドブルン修道院だけですがかつてこの地域で最も重要な中世の集落があり、多くの人々が交差する15世紀から知られているコスモポリタンシティーたっだと推測されています。川が流れ山には砦を置き要塞としても機能していた様子が明らかです。

ひとりドライブの魅力

  1. 誰にも気兼ねせず・・・当たり前なのですが家族旅行でも友人・恋人との旅路でもありません。主役は自分自身。

  2. 荷物が多い人・・・公共交通機関での移動は小さくパッキングをして「持っていきたい物」も相当諦めます。けどマイカーであれば最悪パジャマで乗り込んで一切合切積み込んで出発できます。

  3. 車内は快適な個室・・・歌っても英会話の練習をしてもつぶやいても一人。もしかして宿が無ければ車中泊もでき飲食もできます。

  4. 出発地から目的地へ・・・乗り換えも待ち時間もなくDoor to Door(ドアツードア)です。

峡谷に住み続ける人々

ボスニアの山岳地帯を
切り開いて平地にした台地
山と川と小さな集落
これが典型的な
ボスニアの風景です
山深いエリアでどんな生活を
営んでいるのでしょう
ドリナ側と世界遺産の橋
周辺住民は
ラフティングツアーや
ロッジ経営をしている
人々もいます
ヤギや牛、馬の放牧が
各地で見られます
のどか過ぎます
山道がすごくて
自分で運転しているのに
車酔いをしたのは初めてです
スルプツカ共和国方面の
トンネル内の照明は
あまり設置されていません
サラエボ市庁舎
自宅付近に戻ってきました
連休の為サラエボ市内は
観光客でいっぱいです
帰宅後になりましたが
酔い止めを飲みました

お食事🍚情報

テスラ・パブ Tesla Pub

旧市街地へ向かう通り沿い
この人形に
いつもびくっとします
二コラ・テスラ
等身大人形
電球が膝の上に置かれており
創意に浸っているように
見えます

時代の寵児イーロン・マスク氏が電気自動車メーカーに「Tesla」という名前をつけた理由は発明家のニコラ・テスラに強い感銘を受けての事云々は周知の事実です。ニコラ・テスラは19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したセルビア系アメリカ人の発明家で交流電流や無線通信、X線など、多数の発明に関与しておりベオグラードにはニコラテスラ博物館もあります。バルカンが産んだ発明王です。

夜は生演奏も聴くことができます(壁画のクオリティーは・・ですが)
旅疲れを癒しましょう
様々なタップビアーが!
グラスはERDINGERですが
注文したのは
Kronenbourg 1664 Blancです
フルーティーで爽快
リフレッシュできました


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