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トレーニング of Toilet

こんばんは! 
Good night!(←ジャマイカでは、‟今晩は!”の意味で使います("お休み"は言いません。寝るときはサクッと寝ます))

今日は雑務を沢山こなし、
全て片付けてとても気分のいい私です。

そして突然ですが、最近
トレーニング  of Toiletを始めました。

私じゃないですよ。私の2歳の子供のです。

まだ1回もトイレでは成功したことは無いんですが、
有難い事にトイレのことは大好きなんです。

保育園で年上の子たちを見ているからか
しょっちゅうトイレに行きたがります。

トイレットペーパーをガラガラするのなんて大好物って感じです。

なんですけど、最近、
『大』をする時に隠れるようになったんですね。

前に一度もよおした時にトイレに座らせてみたら出なかったんですよね。
その日はその後も結局出なくて悩んだんですが、

それから大の時にトイレに行くのを
嫌がってカーテンの後ろとかキッチンに隠れるようになっちゃって…

集中したいのかな…なんて考えてたんですけど、
ある日風呂場の死角で「うーん、うーん」って言ってたので

「大丈夫?」って見に行ったら、

手を振りながら「バイバイ、バイバイ」って言うので
1人でしたいんだな。とは思ったんですが、
あまりに辛そうなので手伝おうと思って何回行っても
「バイバイ」って言われちゃうんです。
何故、最近…って不思議に思い始めてググってみたんですよ。

合点がいきました。……なんと、

【隠れてする時期ってトイレトレーニング真っ只中だったりしませんか?】って書いてあったんです!!

やっぱり大をする時にカーテンの裏やテーブルの下や、
保護者の見えない所に行く幼児って大勢いるみたいなんですね。

その現象ってトレーニング  of  Toilet中が多いそうです。

今うんちが出ていることをパパ、ママや保育士が知ったら、

「トイレ行こう!」って誘われる。

せっかく出そうなのに邪魔されたくない”

こう子供たちは思っているのかもしれないと、

「保育タイムズ」は言っています。

あと紙おむつに排泄するのが快適だからだ。とも

言っていました。

なるほど、それであんなに隠れていたのかと。

いつもは「母ちゃん、母ちゃん」と抱き付いてくる我が子が、

うんちの時は全く私の前に姿を現さない。

結構子どもに取っても、

センシティブな問題だったんだなって思いました。

《トイレトレーニングを始める目安》トイレトレーニングを始めるにあたり目安となる発達段階は、「歩行完了・言葉が話せる・排泄の間隔が空く」ことです。その3つが揃っていて、尚且つトイレに行く恐怖がなくなったら、あとはタイミング。「うんちが出そう」という感覚を子どもが掴み、「出そう」と伝え、「トイレに行く」コツは、失敗しても叱らないこと・出来た時は褒めてあげることです。出来た事を子ども自身が嬉しいと感じ、同じ気持ちで周りの大人も喜んでくれたら、それは子どもにとって大きな自信に繋がり、次も頑張ろうと思う気持ちになりますね。(保育士サポート.com【公式コラム】イケてる保育情報サイト保育タイムズより抜粋)

最後に私が調べている間に見つけた保護者たちの

うんちコメントが面白かったので載せておきます。

・『うちの子も隠れる(笑)。なんでだろうね?見ていたら恥ずかしがって逃げるし』

・『うちの息子も隠れてします。
 「見ないで、見ないで」って言うんです』

・『堂々と人前でします』

・『病院の会計待ちの時に普通のパンツにしました。(トイトレ中だった) しかも混んでいて悪臭が……』

後記:我が子の躾についつい、
『将来の幸せのために、頭の良い子にしたい』と
おもってしまいます。

本当は保護者が子供に出来ることって
"本人が幸せと思える人生を歩む為に
自分で考えることの出来る人になるように
一緒に考えたり、教えたりすること"
というのが私の持論なんですね。

だから、私が子供に与えたいものって
『選択肢』なんですけど、

頭でそう考えていても、前に戻りますが
ついつい『頭の良い子にしたい』って
自分(私)の願いが出てきちゃうんですよね。

それは私が高校中退という学歴コンプレックスがあるからなのか、
自分に自信がないからなのか…

『頭の良い子』と『自分の幸せな道を歩める子』は線で繋がるとは思うんですが、イコールでは無いと思うんですよね。

目的は『自分の幸せを掴める人になる』なのに、
ふと振り返ると『頭が良くなるような教え方』をしちゃっている気がします。

『頭が良い方が幸せかもしれない』は私のフィルターであり、
一般的に『頭の良くない子』が不幸せな人生を送っているか判断するのは不可能であり、自分勝手な話、幸せかどうかはその人自信が決める事、
ですよね。

『頭が良い』事の定義だって、その他の全ての事象において、

自分自身で決める事であり、保護者が子供に

押し付けるものではありません。

特に人生においては重要なこと。

『自分が歩みたい人生を子供たちに押し付けない事』。

かといって保護者は子供の身の安全も考え、

フレキシブルに機敏に選択する必要があるので、
いろいろ考えている暇がないのも事実。

本当に保護者には頭が下がります。
自分も含めてね!

トップのフォト "シャンティ、各テーブルは薄いカーテンで仕切られている" by hide10 is licensed with CC BY 2.0. To view a copy of this license, visit https://creativecommons.org/licenses/by/2.0/

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