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最後に

2016年に鳥海高太朗さんの「天草エアラインの奇跡」を読んで以来の念願の天草エアラインでしたが、みぞか号の可愛さはもちろんでしたが、倒産寸前だった天草エアラインが、5年連続の黒字にさせた変革力とはいったいどんなもんだろう。はたしてこの力は持続可能されているものだろうか?と悶々としながら2023年になってしまいました。新型コロナという、未曽有の災害に世界は巻き込まれ、大きな航空会社でも相当な痛手を被ったのに、日本で一番小さな航空会社が痛手がない訳ありません。

天草エアラインの補助は機体整備のみを熊本県から受けるのみの第三セクター企業で、搭乗率低下による赤字補填はしていません。ということは、集客力は企業努力に他ならない訳です。地元のライフラインだけでは限りがあるし、観光客ばかりを目当てにするにも限りがあります。(シーズンオフがありますからね)との両方を兼ね備えたエアラインでなくてはいけません。私は観光客ですからその目線から偉そうに言わせていただきますと、「天草にきなっせ!よかとこやけん」と集客への思いがホームページのあちこちに溢れていました。だからこそ、今回私は天草に行こうと思ったのです。その前にちょっと福岡で同窓会に立ち寄ってと。同窓会のついでに天草にいくのではなく、同窓会も天草もどちらも同じくらい大事な思いの深い旅行でした。

そういうわけで、天草エアラインでの一人旅は、わたしのような還暦おばさんでも十分に成立し、予想をはるかに上回る楽しい旅となりました。旅行の予算を第一に考えると、福岡から日帰り天草でもいいですし、日帰りでなくとも天草から再び福岡に戻って羽田へと乗り継ぐと予算も抑えられる筈ですが、それでも福岡~天草 天草~熊本~伊丹~羽田という旅程を組むというのは、思う存分みぞか号を楽しみたいというのが一番の理由でした。

そして同じくらい面白かったのが周遊バスを使った観光です。6月は梅雨のシーズンということもあり、あまりお客さんの予約が入りらないそうで、お客さんは私一人という贅沢さでした。バスと運転手さんとガイドさんを独り占めできるという経験はそうないでしょう。しかも、段々と天気はよくなるし、まさに願ってもないことでした。運転免許はあるものの、自分で運転して一人で島内を巡るというのは躊躇います。だからころめいっぱいの時間を観光バスで回るというのは願ってもない事でした。この周遊バスもそうでしたが、天草エアラインのホームページには、市販のガイドブック以上の情報量と楽しさが満載でしたし、みぞか号の座席ポケットにある手づくりの天草観光マップはなかなかなものでしたよ。これは乗らないと見られませんからね。ほんとうは、持ち帰りたかったくらいでしたが、それはダメですからね。

次回は今回のルートと逆、伊丹~熊本~天草 天草~福岡で上空からの景色を楽しみたいとか、閑散期に発売される一万円(今季は発売になるでしょうか?)で一日10フライトを乗りっぱなしで楽しむ過酷?を味わいたいとか、密かに考えています。

小さなエアラインは本当に地元天草のかたに愛されて、頼りにされています。今では天草になくてはならない交通機関になっているようです。お医者様は日帰りで出張診療も可能でしょうし、天草の方は長時間かけての地用距離通院が、飛行機を使えば体に負担の少ない短時間での長距離通院が可能になるでしょう。まさにエアラインが天草のライフラインを担っていてそれが23年の間にしっかりと根付いています。

バスの運転手さん、ガイドさん、タクシーの運転手さんみんなに、
「天草観光の目的はなんですか?」と聞かれ、
「みぞか号に乗りたかったんです」と言いましたが、天草には世界遺産の他にも、ドルフィンウオッチングや牛深ハイヤ祭りや窯元巡りやオリーブ畑に、そして魚釣りといろいろな楽しみがありますが、ここは日本ですもの、知らない土地にちょっとおじゃまして、そっとその中に自分を置いてみて、いつもの自分の時間軸をリセットして、その土地の風に身を任せて動いてみるのもいいのではないでしょうか。


後述すると言って、本当に最後の最後になってしまいました。
天草出身の小山薫堂さん。東京会議というテレビ番組で、機体の新デザインを公募する企画を考えたりと、天草エアラインが変わる大きなきっかけを作られました。

天草で暮らしている人は、陸路よりも運賃が高いから、あんまり天草エアラインに乗る機会がないんです。だったら天草の人にとってこの会社がどうなるべきかと考えた時に、頭の上を飛んでいくと思わず手を振りたくなったり、飛行機を見てかわいいなぁと思ったり、乗らない人も笑顔になる航空会社になってほしいなと。飛んでいる飛行機に愛着を感じてもらい、島のアイドル、マスコットになったらもっといいと思ってました。
(鳥海高太朗著 天草エアラインの奇跡より引用)

そうですとも、機体の親子イルカは私の心を一瞬でぶち抜きましたし、機体の下にくまモンが描かれているのをみると、空飛ぶくまモンを地上から見て手を振りた~い!とも思いましたし、天草の人みんながこのエアラインを大切に可愛がっていると感じることができました。

そうした小山薫堂さんの企画力はパラダイス山元さんを大きく巻き込んで、小さなエアライン会社の大きな楽しさとなりました。私自身この旅行のずっと前からそして今でもFacebookで情報を見続けています。そして福岡や伊丹熊本と、みぞか号にすぐに飛び乗って天草に行ける距離に住んでいないことが残念でたまりませんが、またいつの日かみぞか号で天草の地に遊びに行ければと思っています。

小山薫堂さんパラダイス山元さん、ありがございました。また「天草エアラインの奇跡」の著者鳥海高太朗さんにも感謝です。実は本を読んだ当時は鳥海さんの名前を存じ上げませんでしたが、新型コロナで旅行を取りやめる方が多い中、旅行の情報を発信続けていらしたのが鳥海さんで、ここで「あら、この方の本だったのね」な~んて思う還暦おばさんでした。

天草エアラインは2014年奥島透さんが退任され、吉村孝司さんから現在は永岡真さんだそうです。奥島さんで大きく変革した天草エアラインは2023年の今でも立派に空を飛び続けています。

このエアラインの事はわたしがここでいろいろ書くよりも、是非本で読んでいただきたいです。kindleでも読めますしね。

ということで、還暦おばさんサヴァのみぞか号と天草旅日記はここで終わりです。
このnoteは、気が向いたらこれを食べたら美味しかったとか、この本は面白かったとか、日々のな~んてことない徒然を書いていく。。。。かもしれません。
まあ、気ままですから、またどこかでお会いできればいいですね。
                                                  See you later!

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