【巻の一 序の巻】唐と日本の都の街並み

物言う猫の妖物に悩まされる劉雲樵。
その自宅を舞台に物語が始まる。

劉雲樵は、金吾衛の役人である。
金吾衛は、「長安の警察官の役どころ」と説明されている。

田頭賢太郎氏の『唐皇帝の軍事指揮権と金吾衛』によると、金吾衛は「行幸時の軍営における虞候軍」を第一目的として設置された衛府であった。
唐王朝で禁軍とされた、南衙(なんが)六軍十二衛のひとつである。

劉雲樵は、右金吾衛の役人で、右は「右街」を表す。
長安の右街は、西側のことで、「天子は南面す」(=君主は南に向いて執政する)と言われたことで、皇帝から見て右側、つまり西側というわけである。

同じことが平安京にも当てはまる。
御所から南を向いたときに、右手が西、左手が東となり、地図のように北を上にしてみれば、右京・左京は真逆となる。

平安京は、長安の街をモデルにつくられたが、方角の呼び名の他に、碁盤の目状である区街もまた然りである。
大内裏に南面する正門には、「朱雀門」の名が冠せられ、南北を貫く道は4キロメール、幅は約84メートルに及んだ(徐々に縮小)。
当時は、犬走(=歩道)と柳の並木を有していたという。

その通りは、長安では「朱雀大街」、平安京・平城京では「朱雀大路」と呼ばれた。


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