裁判所の勇み足

2012年5月26日


予想に反したことに少し驚きましたが、もっと驚いたのが、名古屋高裁刑事2部の下山裁判長の判断でした。
この裁判の経緯や感想は過去に書いている(社会派ではないけれど)ので、そちらを参照してください。



<名張毒ぶどう酒事件> 奥西死刑囚の再審開始を認めず
毎日新聞 5月25日(金) 10時2分配信

 三重県名張市で1961年に起きた「名張毒ぶどう酒事件」の第7次再審請求差し戻し審で、名古屋高裁刑事2部の下山保男裁判長は25日、殺人罪などで死刑が確定した奥西勝死刑囚(86)の再審開始を認めた高裁刑事1部決定(05年)を取り消す決定を出した。差し戻し前の高裁2部決定(06年)に続き、検察側の異議を認めた。ぶどう酒に混入された凶器の農薬が、奥西死刑囚の自白した「ニッカリンT」か否かが最大の争点で、下山裁判長はこの農薬の鑑定結果に関し「混入農薬がニッカリンTではないことを意味しないことが明らか」と判断した。

【争点】 「凶器の農薬」 名古屋高裁が判断

 下山裁判長は、高裁1部決定の刑の執行停止も取り消した。発生から半世紀、死刑確定から40年を経た事件で、開きかけた再審の門は再び閉ざされた。弁護側は特別抗告する方針で、審理は再び最高裁に移る。特別抗告期限は30日。
 差し戻し審では、専門家が再製造したニッカリンTを使った鑑定が行われ、この農薬に特有の不純物が検出された。この不純物は事件当時、現場に残ったぶどう酒からは検出されておらず、弁護団は「混入農薬はニッカリンTではなく、自白は信用できない」と主張。検察側は「検出されない場合もある」などと争っていた。
 鑑定の評価に関し高裁2部は、事件から当時の鑑定まで1日以上たっていたことから「(この間に)加水分解で不純物の元になる物質がなくなったと考えることが可能」と指摘。「自白は根幹部分において十分信用できる。奥西死刑囚以外にぶどう酒に農薬を混入しえた者はいない」と結論付けた。差し戻し前の2部決定の判断をほぼ踏襲した形だ。
 奥西死刑囚は三重県警の取り調べ段階で「事件前夜、自宅にあった瓶入りのニッカリンTを竹筒に移した」などと自白。しかし瓶も竹筒も見つからないなど物証に乏しく、自白を主な根拠に死刑判決が確定した。起訴直前に否認に転じていた奥西死刑囚は73年以降、再審請求を7回繰り返してきた。
 7次請求(02年4月)では高裁1部が05年「自白が客観的事実と反する疑いがある」として同事件で初めて再審開始決定を出した。だが検察側が高裁2部に異議を申し立て、別の裁判長が06年「混入農薬はニッカリンT」と判断して取り消した。弁護団が特別抗告し最高裁は10年4月「科学的知見に基づく検討をしたとは言えず審理が不十分」と指摘。事件当時とできるだけ同じ方法で鑑定を行うよう求め、審理を高裁2部に差し戻していた。
 確定死刑囚の再審請求では1980年代に▽免田▽財田川▽松山▽島田の4事件で、再審開始決定が相次ぎ、いずれも再審無罪が確定している。

 ◇検察側「適正な判断された」
 野々上尚・名古屋高検次席検事の話 奥西死刑囚の自白通り、ニッカリンTが犯行に使われたかどうかという核心部分について、科学的知見に基づき適正な判断がされた。
 ◇弁護団長「考えられない決定」
鈴木泉弁護団長の話 考えられない決定で暴挙以外のなにものでもない。直ちに最高裁に特別抗告を申し立てる準備に入る。この不当決定を必ず打ち破る。



奥西死刑囚の裁判について簡単におさらいをしますが、捜査段階では自宅にあった農薬をぶどう酒に入れたと自白したものの、自白は強要されたものだとして起訴前に否認に転じ、無罪を主張しました。
裁判が始まり、1964年12月、1審では、証拠が不十分で、自白も信用できないと無罪。
1969年9月、2審では一転して、犯行が可能なのは本人だけだと死刑判決。
捜査段階では数人が取り調べを受けたものの、奥西死刑囚のみが自白したとされています。
そして最高裁もこれを支持、1972年6月に死刑が確定しました。
その後、6回に及ぶ再審請求はすべて却下され、7年前、7度目の請求で、今回初めて、名古屋高裁に於いて再審の扉が開くかと思われました。
ところが同じ名古屋高裁の、別の裁判官が決定を取り消したのです。
しかし一昨年、有罪の根拠とされた農薬について化学的な解明が尽くされておらず、鑑定結果には疑問があるとして最高裁は審理を名古屋高裁に差し戻し、名古屋高裁はそれを受けて再鑑定を行ない、今回の「再審は認めず」の決定になりました。
高裁の判断は、犯行に使われた農薬が別のものだったとは言えない、自白は信用できる、との、全面的に検察側主張に沿った内容です。
奥西死刑囚の弁護団長は、
「化学にまったくの素人である裁判官たちが推論し、再審の道を完全に閉じてしまった。激しい怒りを禁じ得ない」
と高裁を非難しています。

この事件では、初動捜査の不備がずっと指摘されています。
争点は農薬の不純物についてです。
奥西死刑囚の自宅にあった農薬からは不純物が検出されたものの、犯行に使われた農薬を鑑定した結果、その不純物が検出されませんでした。
明らかなこの違いによって、最高裁が差し戻しの判断を下したのでした。
ここで、名古屋高裁の推論がクローズアップされます。
驚いたのは、その「推論」です。
「奥西死刑囚が自宅に保管してあった農薬に含まれていた不純物について、別の物質が変化したと見ることもできる。時間経過のために不純物の元となる物質が分解し、検出できなかった余地もある」
これは農薬を鑑定した専門家も、そして検察も主張していなかったことです。
その部分にこそ、弁護団長の激しい怒りがあるわけです。
日弁連も見解を表明し、
「検察官さえ主張していない独自の理由によって、新証拠の価値を否定するものだ」
と決定を批判しました。
弁護団は特別抗告の申し立てをして、また最高裁で争うことになることは確実でしょう。

インタビューに答えた元裁判官は言います。
「こういう見方ができる、こういう見方も可能だということで、有罪判決を維持してしまった。これは被告にとっては不意打ち。不意打ちは裁判所として絶対にやってはいけないこと」
一方、名古屋高検の次席検事は、
「今回の審理では、化学的知見に基づき、適切な判断がなされたものと理解している」
とコメントを出しています。

農薬鑑定の推論に関して、これは明らかな高裁の勇み足と見えてきますし、50年前の警察や検察の取り調べはどのようなものだったのでしょうか。
再審の前に立ちはだかるのは、常に自白の関係です。
今回も、自白は信用できるとの判断が働きました。
再審への扉は遠く重く、死刑囚となれば尚更で、今まで再審によって無罪が証明されたのは、戦後では免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件など、わずかです。
それにしても、一番驚いたのは検察ではないでしょうか。
ここまでが限界と、証拠を揃えて審理に臨んだものの、高裁の判断は推論に推論を重ねた内容だったのですから。
真実を見極めるべき裁判所が、推論だけで死刑判決を維持したわけです。
無罪と死刑が、こうも人によって判断が別れたということは、いったいどのように考えればいいのでしょう。
人の命が推論で決められてしまう怖さに、私も驚いたわけです。

裁判員裁判制度が始まり、確率でいうと350人に1人が裁判員になっているそうです。
例えば5万人収容のスタジアムでは、その中の143人が裁判員という確率で存在しているのです。
数十年前とは違い、現在は自白を得られずとも、さまざまな状況証拠の積み重ねによって犯罪の事実がが炙り出されて来ているようです。
自白偏重主義も、取り調べの可視化が進むことによって是正されるはずです。
これは50年前とはまったく違う、時代の必然でしょう。

裁判員に選ばれた場合、そして冤罪によって拘束されてしまった場合と、それらを真剣に想像してみます。
どちらにも関わりたくはないという本音の思いはありますが、もっと司法を知らなければいけないとも考えています。
真実は常にひとつしか存在しないのに、その判断が別れるのは、裁く側も常に誤謬を内包している人間だからです。
我々一般市民も、そのことを踏まえた上で、前例や慣習に囚われずに臨めば、無罪と死刑が二転三転する不条理は、かなり解消されるでしょう。
「完全」ではなく「かなり」と表現せざるを得ないのは残念ですが、裁判員裁判制度によって、司法の旧弊に風穴を開けられるのも、我々一般人なのだと信じています。

奥西死刑囚は、本当に犯罪者なのでしょうか、それとも冤罪なのでしょうか。
真実を知っているのは彼本人か、それとも闇に隠れた真犯人がいるのか。
判決は二つあっても、真実は一つだけです。


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