投込寺 浄閑寺

2010年6月11日



都内城東地区での用事を終え、少し時間の余裕があったので、十年振りに三ノ輪の浄閑寺を訪ねた。
説明するまでもない、投込寺である。

貧しさ故の人身売買。
年季明けで放免されるなど、まず望めなかった少女たちの境遇に思いを馳せれば、ただただ胸がつまる。
破られることを前提としての約束が、堂々とまかり通っていた不幸な時代。
彼女たちは我が身の境遇を、いったいどのように捉えていたのだろう。
面従腹背で生きたのか、それとも意思を封じ込め、ただひたすら、無心で日々をやり過ごしていたのか。


生きる意味は、人生の意義は、などの自問は、苦界を懸命に生きた彼女たちにしてみれば、甘すぎる感傷にしか過ぎない。

生まれては苦界、死しては浄閑寺。
彼女たちの心の鉛が、柔らかな綿毛になって天に昇ったことを信じ、空を見上げながら墓前に立ち尽くした。

附記
浄閑寺で私が連想するのは遊女の若紫で、彼女は年季明けを数日後に控え、めでたく所帯を持つ寸前で、客に刺殺されてしまいます。
明治31年、22歳の若さでした。
本堂横には若紫塚があるのですが、江戸時代のことだけではなく、戦後、売防法が施行されるまで、不幸な女性が多かったこともわかります。
彼女たちすべて、肉親との縁が切れてしまったからこそ、このお寺に葬られたのでしょう。

若紫はお墓があるものの、多くの女性の遺骨はひとまとめにされ、隙間だらけの塔の台座から覗くことが出来てしまいます。
供養塔ではなく、実際のお墓であることに何とも胸が痛み、中途半端な気持ちで訪ねる場所ではないことを思い知らされます。
誰が供えたのか、塔や石仏に新しい献花があることに、少しだけ救われました。

落語が好きで郭噺などもよく聴くのですが、「お見立て」の喜瀬川、「品川心中」のお染など、なかなかどうして、したたかな花魁もいて、こんな噺はホッとします。

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