降灰で荒廃

2009年2月6日


2日の浅間山の噴火で、降灰が東京にまで流されて来た。
マイカーもスゴイことになっている。
部屋の汚れは心の汚れ。
服装の乱れも心の乱れ。
では洗車はどうかというと、これも一般的にはその人のだらしなさ、無頓着さと判断される場合が多い。

だが、この降灰はどうか。
普段からあまり洗車はしないのだが、これは明らかに私のだらしなさでは断じてない。
確かに部屋も、お世辞にもきれいとはいえない。
服装にも無頓着である。
だが今回ばかりは、車の汚れは噴火の汚れなのである。


さて、きれいにしなければいけないのだが、拭き取ると石英質でボディにキズがつく。
ウォッシャー液を出せば、連動してワイパーが作動し、フロントガラスにもキズがつく。
そこで、ペットボトルでフロントに水を流して視界を確保し、コイン洗車場へ向かった。
ていねいに灰を洗い流し、ついでにワックスまで二度がけした。
気付けば二時間が経っていた。
これで心まできれいになった、と思う…。

浅間山の噴火で有名なのは、天明三年の時だろう。
天明年間は毎年のように飢饉が連続し、被害は甚大だった。
よく知られているのが、群馬県嬬恋村の鎌原観音堂だ。
この時の惨状は「天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記」に詳しく、とても興味深い。

桜島の噴煙に悩まされる鹿児島の方たちのご苦労が、ほんの一端だが、わかったような気がする。
噴火の降灰などで、こうして過去は地中に埋もれていく。
遺跡の大部分は我々の足元に埋もれている。
それは洪水であったり、土石流であったり、黄砂であったり、そのほとんどが自然現象の為せる仕業だ。
(戦争で瓦礫に埋もれるという、特殊な場合もある)
弥生の下には縄文、縄文の下には旧石器時代と、掘り進めるごとに年代はさかのぼっていく。
近代でも、汽笛一声新橋を、の汐留駅の遺構が発掘され、当時の駅址が確認されたことは記憶に新しい。

数百年後、発掘されても恥ずかしくないように部屋の掃除をしなければと、今回の浅間山の噴火で考えた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?