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私が届けたい日本、新年の形

子育てする海外永住組としては、日本文化というお題を見ると、やはり胸がざわざわします。常日頃から、これは大きな課題だと思っていますから。日本から遠く離れた場所での次世代への日本文化継承。出来る限り自分らしく自然な形で頑張りたい、私はそう感じています。

民族文化が混雑する中で育つと、子どもたちは早くからアイデンティティの問題に直面します。学校でも家族の系譜を作るなど、自分のルーツに興味を持たせる時間があったりします。そんな時は、その国特有の行事なんかが大きな役割を果たします。けれど、それを自分たちの日常の中に取り込むことは、なかなか難しいものです。

うちでは日本のこと。小さい頃は毎年のように日本に行ったり、家では日本語を話すようにしたり(でもやっぱり兄弟間では英語なんです)。周りに日本人や日系の友人がいない息子たちには、日本語のテレビは有効だったりしますが、あまりに押し付けると逆効果になります。ですから、昨今の日本ブームは本当にありがたいことです。食べ物やアニメを始め、様々な角度から興味を持ってくれる友人たちのおかげで、息子たちは気負うことなく日本文化を受け入れるようになりました。

それでも問題は多いです。話すことはできても日本語は書いたり読んだりは難しいですから、その辺りは柔軟に対応して本人たちのやる気を温存すべきですし、興味を示すイベントだって、押し付けてしまってはどこかよそよそしいものになる。好きになってほしいからこちら側も熱も入るわけですが、やりすぎは厳禁。色々とジレンマです。

そんなわけで、うちでの文化継承は、生活の中にいつもあったもの、気がつけば慣れ親しんでいたもの、そんな流れがいいのではないかと考えました。身近なもので、わかりやすくて印象深く、体験型と言えば、、、食。季節のある日本にはそれに添った美しい食文化があります。お花見や七夕、お月見に年越し。そしてなによりも思い出すのがお正月のおせちでした。

新年というのは日本人にとってやっぱり特別なものなのです。息子たちへという気持ちで始めたものですが、気がつけばあれこれ夢中になって、なんだか自分のためでもあったのかなあと思ってしまいます。そう、私にとっておせち作りは家族の形なのです。思い出の詰まった大好きなもの。ありがたいことに、そんな母の熱は息子にちゃんと伝わったようです。おせちを囲むお正月は確実に、うちではかかせないものになりつつあります。

今回の投稿と若干重複するところもあるかと思いますが、我が家のお正月を書いたものはこちら。

日本ののんびりムードに比べれば、アメリカはあっさりしたもの。新年のカウントダウンがピークで、休日気分は元日のみ。そこで冬休みが終わり翌日から登校なんていうこともざらです。ものすごく慌ただしい。前日に年越し蕎麦を用意しつつおせちを作り始める私、元旦は朝から晩まで、それはそれはもう、戦いのような時間です。

でも、少しでも好きになってくれたらいいなあと思うんです。おせちに入っている品の名前を覚え、味を楽しみ、家族で特別感をわかち合う。飾った花や小物や、いつもと違う食器類。美しいと思えるものが彼らの中に重ねられていったら本望です。

自分たちの中にはなんて素敵な文化が受け継がれているのだろう。この先何度となく、元旦の食卓を前にした息子たちが、そう思ってくれることを願ってやみません。


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