着物と私 1枚に託された想い

画像1 私にとって着物のお手本は、3つで始めた日本舞踊のお師匠さんで、着崩した感はあるのに決して着崩れないその立ち姿には、幼いながらに惚れ惚れしたものだ。帯を緩く締め、ほらこうするのよと笑いながら、膨らんだ長財布をググッと胸元に押し込む姿が粋だった。踊りは7年でやめてしまったけれど、何をもって綺麗というか、そんなことをしっかりと刻み込まれたような気がする。だからこそ、経験が結びついた今、当時おぼろげだったことが確固とした形になって浮かび上がってくる心地よさを私は噛み締めている。素敵なことだと思わずにはいられない。
画像2 仕事柄引きこもっているから、趣味の着物は基本家で着る。季節と柄合わせとか、後々の買い足しのためとか、記録しての写真を撮っておく。撮るのは好きだが撮られるのは苦手な写真。だから事務的に捉えて証明写真みたいに撮っていた。でもふと、何気ない一枚が残せたらと思った。家の人に撮ってもらうから無理は言えないし、こんな風に写りたいなんて、そんな器用な芸当ができるとも思えないけれど、少しでもその日の気持ちが漂うものになればと感じたのだ。着物を選ぶ時間が好きで、そこにはいつも想いが詰まっているような気がしていたからだ。
画像3 せめてカメラを意識しないものをと思い、あっち向いてる時に適当にとか後ろから何気なくとか、そんなことから初めてみたのだが、常に写真を撮られ慣れていない身としては、これがなかなかに難しかった。それなら色んな日に撮っておこうと考えた。我ながら大いなる進歩だと思った。それで、胸がいっぱいで瞬きしたら涙がこぼれそうな日にも撮ってみたらうまく笑えない自分がいた。けれどそれは、いつも着ない可愛い色を選んで、一生懸命笑おうとしている姿で、その向こうに揺れる想いが透けて見えるような気がして、その一枚がとても愛おしく思えた。
画像4 何気ない着物写真を撮ろうという努力は、どうやら写真嫌い克服にもなっているようだ。それに、外からの自分観察は奇妙だけど興味深いことにも気がついた。自分の表情は自分ではわからないものだから、こうして思いがけない形で出合えたことに感謝するばかりだ。年々忙しくなって、ゆっくりと着物を選んで楽しむ暇がなくなってきているけれど、長細くのんびりと、いつまでも着物を着続けていこうと思う。祖母や母の着物から始まって、少しずつ自分好みのものが揃ってきたから、お呼ばれした時には颯爽と、想いをたっぷり込めた着物で出かけよう。

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