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言葉と共感、今日私が考えたこと

世界には言葉があふれている。
心に響くものも、相容れないものも。

私は思う。
何が正義で何が悪であるか答えられないように、
万人に当てはまる言葉の意味は、多分ない。
強いも弱いも、時には黒か白でさえ。

言葉は己の表現方法であって、
知らない誰かのためのものではない。

だから、自分の考える意味はこれなんだと、
躍起になって押しつける必要も
にじり寄って同意を求める必要もない。
そんなことをするからややこしくなる。

私が、私としての想いを、私の言葉で綴る。
私として完結する言葉。それでいい。
そしてそれはきっとその先で、
あなたが、あなたとして想う、あなたの言葉に変換される。

そう、見える形は違うということ、
そして、見えない形は同じだということ。
赤いバラを美しいと思う人と、
黄色いタンポポを美しいと思う人が、
共に自然の美しさを讃えればいいように。

共感とは本来、そういうものじゃないだろうか。
緩くて曖昧なようでいて、意外にしっくり馴染んで心地よいもの。
これは寸分違わぬものだと、検証して決めるものではない。

あなたはあなたで、私は私。
同じものに寄り添わなくてはいけない理由がどこにあるだろう。
違っていても求め合い、結びつく時は結びつくのだから。

言葉の持つ意味の違いは、開いた葉っぱの形の違いと一緒。
みな太陽を愛し、その根っこは同じ未来を夢見ている。




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