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着物という魅惑の布

少し前に、家族の在り方としての日本文化のことを書きましたが、今日はとことん、自分の趣味嗜好の点から書きたいと思います。

着物、気がつけばかなりの枚数になっていました。祖母のもの母のものから始まり、久しぶりに袖を通すにあたって練習用に揃えたポリエステルのもの(着付ける脇から1歳児次男が舐めたり噛んだりしてましたねえ)、持っていない色柄をちょっと試してみたいと思って買ったリサイクル品まで。

小さい頃に日舞を習っていたり、母が着物好きでよく着ていたことから、着物を特別なものだとは思っていませんでしたが、自分から着たいと思えるようになったのはやはりここ数年。

なんでもそうでしょうが、始めるにはきっかけが必要です。さらにそれを後押しする時間的体力的余裕も。私の場合、とあるパーティーに、せっかくだから着ていくべきだと母がお膳立てしてくれサポートしてくれたことが大きかったように思います。

子どもがいたって素材を選べば平気。着方だって慣れが一番。どんどんやればいい。そう言って家での自己流着付け練習を励ましてくれ、当日には初アメリカで大変な中、色々ヘルプしてくれました。母と二人で着物を着て、家族と共にそのパーティーに出掛け、知り合いやそのご家族など、多くの人に喜んでもらえたことが、私のアメリカでの着物のスタートと言えます。

もちろん四六時中着物でいるわけではありません。どちらかと言えば洋服で、あれこれバタバタ仕事をしている方が多いように思います。でも、思った時には着物。着たいと思ったら着るんです。好きでいることが何より。気にいったものに巡り合ったら、いつ着るの?なんて言われても、いつか着る日を夢見てたたんでおくのがモットーです(笑)。

こちらで着物を着ると、何を着ても喜んでもらえるような感じですが、それでも、お能だったり狂言だったりのイベントや、長男の高校でのアジアンフェスタ(民族衣装着用)などには自分なりに考えて、持っているものの中で格式あるものを選んだりとこだわっています。

だけど、本当は洗えるものが好き。だから夏の着物が好きだったりします。麻ですね。古着で買った小千谷ちぢみと能登上布はとても重宝しています。汗をかいても気になりません。着ては洗い着ては洗い。洗えるって素晴らしい。これで着物に関する悩みの1つは華麗にクリア!です。

そうなると、ついつい色々洗いたくなってしまいます。ネット上でも、着物を洗う話は枚挙にいとまがありません。心くすぐられます。私も安く買ったもので試してみようと思いたちました。そんな一つが下の写真の本塩沢です。シボがあってしゃりっとした感じの単衣。これぞ夏の着物!ただこれ、、、正絹です。

どこかで「洗いました!」という強者の話を見たような気がしたんです。でも改めて検索してみても縮んだ話ばかり。怖くて洗えません。安かったとは言え、綺麗なものをわざわざダメにしたくありませんからね。

これは日本一時帰国時に、銀山温泉に遊びに行った時のもの。こういう雰囲気のある場所にはとても似合う着物。ますます洗えません。合わせた帯は麻です。大好きな葡萄の絵。いい感じの組み合わせですよね。やっぱり洗えません。うん、もう絶対、洗ってはダメだ(笑)。

それはさておき、着物を着る機会について。こちらでは仕事柄、出かけることが少ないので、もっぱら家で。でも母が言うんです。着物は慣れて体に馴染んだ感じが大事だから、家で着ればいいと。思い起こせば、まさにそれを実践していたような人ですから、言葉に重みがあります。もちろん、ここでも洗えることが基本です。

そんなわけで、家で着るのは木綿の着物が中心です。練習用に買ったポリエステルはほぼ使わなくなりました。体にフィットする感じ、締まる感じが全然違うんです。これはお気に入りの会津木綿。このストライプ、帯を選びません、とっても優秀。

他には遠州木綿、阿波しじら、墨色のデニムなど。どれも着やすくて使い勝手がいいものばかりです。最近ではレースを貼ったものも。遊び心があっていいですよね。買った時は固めの木綿の着物も、洗うたびに優しく馴染んでいきます。

これらの着物は改まった場所に着ていくことはできませんが、気にならない場所や気負いのない相手なら、好きなようにコーディネイトする楽しみがあります。色の綺麗な半衿を合わせたり、かわいいブローチを帯留めにしたりなんかすると気分も上がります。

そんな私はここ数年、浴衣について考えています。着やすいもの、始めやすいもの。今や商品も星の数ほどありますね。けれど残念なことに、いろんな意味で安くなってしまった感が。だらしなさや薄っぺらさだけが、やけに目だっているような気がしてなりません。

誰もが気軽に手に取れるからこそ、いいなあと思ってもらえるものになってほしい。夏の数時間なんて言わず、長く着られるものを選んでほしいし、合わせるものよっては、きちんとお出かけ風にもできることなんかも知ってほしい。どんどん進化させてもらいたいんです。

もちろんそこには着方もあります。きちんと着られることはやはり大きいと思います。でも難しいことではありません。練習すればちゃんと上手くなります。要は慣れですから(自分の過去を振り返っても!)。これは京都で着物やさんに着付けてもらったもの。いろいろと勉強になりました。

浴衣は、着物に興味がある外国の方にもお勧めしやすいものですから、そんな時には心から喜んでもらえるものを、自信を持って選びたいなあと考える今日この頃です。

それでもときには大枚はたいてほしいものがあります。無形文化財、牛首紬の全通袋帯。この色彩、この光沢。ため息つきつつ、ずっと眺めていたこの一本を、お店がセールになった日に迷わずポチったのは致し方ありません。伝統工芸における職人技、決して無くしてはいけないものの一つだと思います。セールで買っておいて大きなことは言えませんが、ここは購買者が頑張るべきところなのだと思います。

そんな着物にも寿命があります。祖母の「銘仙」なんかは、ビリビリと音を立てて裂けました。使っていなくても経年劣化で八掛けにシミが出たりもします。そう、後生大事にとっておいても知らずと朽ちていく。ですからどんどん着る、これが一番です。

以前に書いたものですが、私と着物についてはこちら。

選び方、買い方、着方。自分らしくあろうとするとぶつかる問題も多くあるかもしれません。伝統に裏付けされた正統派の美しさは、はるか先まで守り残しておきたいものですが、その一方で、今にそぐわしいものを見つめ、伝えていくことの大切さも感じます。

母から受け継いだ家で着る着物の醍醐味。家事をする、子育てをする、そう生活の中の形。気取ったものではなくて、汚れたらガンガン洗って着る着物。たまには裾も大胆にまくって、上のものを取るためにストゥールに乗ればいいんです。

気合いを入れてお出掛けする時には、大好きな「宝物」を引っ張り出してきて、それがさらによく見えるように、自信を持って振る舞いましょう。お値段や製作者なんか気にする必要もないですし、多少着付けが緩んだって大丈夫。自国の文化に対する愛をもって笑顔で佇んでいれば、それで十分に価値があると私は信じています。

私たちは生きている、変わり続けている、そしてそこにあるのが文化です。すべては形を変えていく。だからこそ、きちんと学んで理解してからの冒険は大いにやるべきです。本物を知った上での「型破り」は歓迎すべきことだと思います。たまにはお洒落にアレンジした木綿の着物で、ちょっとしたパーティーに参加したっていいのかもしれません。

着物は日本人ならではの美意識の集大成。異国で生活しているから特別そう思うわけではありません。どこにいても、これほどの美しさを紡ぎ出した民族としての誇りを胸に、今らしく、自分らしく、着物と向き合っていきたいと思うのです。そして、着物が今ここに確かにある、それをずっと模索していきたい。無理をせず頑張り過ぎず、何よりもいつまでも好きでい続けること、それが私らしい着物への愛、日本文化への愛だと思っています。

サポートありがとうございます。重病に苦しむ子供たちの英国の慈善団体Roald Dahl’s Marvellous Children’s Charityに売り上げが寄付されるバラ、ロアルド・ダールを買わせていただきたいと思います。