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君とUNOできる空間に棲みたい

UNOはいいぞ、UNOは。

小学校1年生のころ、習い事の合宿に参加した時に10人くらいでUNOをやった。当時の私にはまだルールが難しすぎて、全然楽しめなかった。それから数年間はUNOとは離れていたが、中学3年生のときに、私はUNOと再会した。学校のカウンセリングで。小学生のときとは対称的に、いつも私vs.先生という2人勝負だった。

そこから先生とは高校3年までちょくちょくUNOをしていた。

ふたりぼっちのUNO

UNOは恐らく大人数で楽しむことを想定して作られている。2対1だとスキップ(1人飛ばす)もリバース(逆回り)も意味が同じになり、「自分のターン」になる。

しかし2人しか居ないUNOというのはかなり深くて面白いのだ。

相手の一手を想像して裏をかいて裏をかいて裏をかく。2人しか居ないためテンポ感が良い。カードがあまり混ざっていない時にはその影響をダイレクトに受けるので秒でゲームが終わったりする。逆にもつれることもある。結構な頭脳戦になるのだ。

カウンセリングルームのふたりぼっち。ボロボロな自分が嫌いすぎて「ボロボロなんです」と言えば「ボロボロなんですね」と言われるのは苦痛で仕方なくて、あまり好きな時間ではなかった。

でも何故かカウンセリングを受けていた他の子がきっかけで、先生にもUNOやってみます?って言われてなんとなくルールを覚えた。それ以降のカウンセリングは、大体話をしたらUNOをするようになった。

UNOは好きだった。

数字のカードを前に出すとき、決して誰にも責められない。ただし孤独では無い。だから自分も自分を責めない。全く個人に深入りしない。但し相手のカードがどう来るかを思う。

純粋に楽しい。

純粋に楽しくて、居心地良かったからそれでいいやと思えて、そしたら「言いたくないことは言えなくていいや」と思えていた。

私がUNOを選ぶ理由

中学3年の終わり頃、買い物カゴを持った母に「欲しいものあったらもっといで」と言われて迷わずUNOをカゴに入れた。UNOはいい。あの空間がいい。どんなに対人関係を築くのが苦手でもUNOをやればちょうどいい距離に居られる。

カードのデザインがシンプルなのも嬉しい。

トランプだとハートとダイヤは色が似てるし、クローバーとスペードは色も形も似てるし、スペードとハートもなんか形似てるし…

あと数字が突然クイーンとかキングとか、あと一個なんだっけ…??とかになるのもやめて欲しい。一応みれば数思い出せるけれど一旦考える間が要るので疲れる。あと絵柄が全部似てるのも困る。それから数字系のトランプはあんなにシンプルなデザインなのに、突然クイーンとかだけ絵の情報量が凄いから気が散る。

「その分UNOはカードに機能がついててめんどくさいよ」と言われればそれまでかもしれない。でも私は王道のルールが1つ決まっていてそれさえ知っていればいいUNOの方が好きだ。

大人数のUNO

そして先日、久しぶりにUNOをする機会があった。それは、ある社会福祉施設で1週間お手伝いをさせていただいたときのこと。カウンセリングのときとは対称的に7人という大人数でのUNOだった。

施設の利用者さん達とのUNOはとても面白かった。

利用者さんはぼーっとしているように見えてルールを分かっていて、でも全然自分の手札を隠す素振りもなかったりして…。それでも手札が無くなり上がるととても嬉しそうで、負けるとすごく悔しそうで。

とても楽しそうだったし、この集団の中で完全なアウェイである私も、楽しかった。UNOのためにみんなでつくった大きな輪は、距離感とかあたたかさとか雰囲気とか色々全部ちょうどいい空間だった。

大人数でのUNOは、先が読めなくて全然理屈じゃない感じがして面白い。UNOのルールを知っていて良かったなと思った。

UNOがしたい

UNOはいい。UNOはいいぞ。

中学3年の終わりに買ってもらったUNOは、まだ1回も誰とも遊んでいない。相変わらず不器用で、誰かとちょうどよく居心地のいい距離感で生きるのは難しすぎてそこまでのプロセスが上手くいかない。

数字のカードを前に出すとき、決して誰にも責められなかった。でも孤独じゃなかった。だから私も私を責めずにいられた。踏み込み過ぎずに相手を思えた。居心地良かった。


せめて君に「UNOやらない?」と一言かけれたら。


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