「教室は間違える所」説はちゃんと機能していますか?

私は大学で音楽を中心に勉強していますが、今年から教職に関する科目も本格的に取り始めました。教職関連の授業がとても面白かったので、その授業を受けて思ったことを書いていこうと思います。

ルソーの教育観について説明を受けていました。そしたら教育観以外に○○観って言葉何があるー?と先生がきいたんです。

価値観って誰かが答えて、いいねぇー他には??ってなった気に

私、「達成感」ってこたえちゃったんですよ笑

「あーそれは漢字が違うね」と言われて、うわーやらかした恥ずかしいと思ったんですけど、その「感」も教育で大事なんだよね、こっちの「感」が付くのは他に何がある?って先生が言い出したんです。

で、「自己肯定感」とかの話になって。そして最後に「感」は感じ方、「観」は見方とか考え方を表すね~って話にまとまったんです。

これが教育を教える者の教育か…!!と感動しました。めっちゃいいロールモデル来たと思って。

「教室は間違える所です」なんて小学生の頃言われたけれど、実際先生方は生徒が間違えた答えを言った時、「ちょっと違うかな〜」とか「と、思うんだけど~」とか言って自分のレールに乗らない物に✕つけるんですよね。発言を求める時も少し誘導尋問みたい。授業進める上で仕方がないけれど。

確かに1度✕がついた上で解説されれば、なるほどと感じてその後間違いは減ると思います。ただ間違えたという事実はくっきり残るからどうしても恥ずかしいというか。でも今回の授業を受けて、本当の意味での「教室は間違える所」説っていうのは、

教室の授業は「間違い」も含めてどんどん意見を出して一緒に考えてつくろう!

という意味なのかなと感じました。

全ての授業がそうなったらいいのになぁ~って思うけれど、教師がちゃんと手綱握ってないと教室とか授業とか崩壊しちゃうから、難しいんだろうな。

などと色々考えさせられる授業でした。面白かったです!

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