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何も考えずにハッシュタグ令和とか使っちゃったけど、

その場しのぎの意見じゃなくて、都合がいい手段でもなくて、ちゃんと「自分の意見」が欲しい。私が考えていることが知りたい。言えるようになりたい。

でも、言えない・言わない人を潰したくない。

最近はこの2つの間を行ったり来たりしています。ある程度自分の考えていることが分かるようになって、言えるようになったら、自分の行動がかつての自分を追い込んでしまいそうだなと感じるようになりました。

キラキラしている人が強い。

その光が希望の光だとしても、恐ろしい人からみたら恐ろしいし、強いって怖い。

でも、そういう人に憧れているんだから、更にややこしくなります。突き抜けたいけど誰も傷つけたくないみたいな。

こういう言い方をすると「優しいね」って言われるけれど、人の痛みが分かる事が優しさだとしたら、誰も優しくなんかなりたくないです。少なくとも私はなりたくなかった。どこまで傷ついても終わりがないし。

でも痛みを知らない人に、「わかるわかる私も昔そういうことあった、でもね」とか「え、それはこうすればいいだけなんじゃ??」と言われると、誰にも理解されないと思ってしまう。だから何か相談したり主張したい時は、相手がある程度痛みを知っている人じゃないとこわい。それは分かる。

からその逆も真だと言いたいのも分かるけど、今はまだ損してる気しかしないかな。いつか得でもするかな?損得で考えてる時点でまだまだかな。

「優しい人ばっか傷つく」「正直者が馬鹿を見る」と同様に「考える人が損をする」とも思っていました。

めちゃくちゃ考えた上で提案してるのに、どんどん横槍が入ったりとか、「こうすれば良くない?!」とか勝手な事されて収支合わないとか、多分社会に出てもあるんだと思います。「良くない?!」じゃないよ「良くない」。

ただ、考えても考えてもキリがないことって結構あるんですよね。自分が気が付かなかったら、やっぱり気が付いていない何処かで「良くない?!」とか押し付けてて「良くない」に決まってる。

テキトーに流行りに乗ったり、軽いフットワークで何かすることで、誰かに「あーあ」って思われているんだなって。ハッシュタグ令和でツイートした後他の人のツイートみて気がつきました。

かと言って全ての行動に理由求められるのも嫌だし、そうされるとただでさえ行動力ないのに益々何も行動出来なくなっちゃう。ある程度の理由は自分の中であるけどさ。

んーーー

まぁ何はともあれ、今日から毎日、令和です。(ほらまた安直なまとめ方してる!!)

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