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【ストロベリー狂詩曲】08・前篇 Slight fever

 PVの撮影でスタジオに出向き、CDのジャケットに使う写真を二十枚以上撮った。

「前に会った時より表情は硬さが抜けて良くなった。問題点を挙げるなら、今の君は人を好きになる前の蕾だ。月に焦がれる花。次回は開きそうな所まで持っていけるといいね」

 現像後、監督は一歩前進したことを温厚な表情で褒め、続いて写真から滲み出る物足りなさを指摘し、日を改めて再挑戦しようと言った。
 マネージャーの時田さんと見学に来た事務所の社長は私の頑張りを評価し、過去の水無月チサカは別人だったと切り離せばおのずと道が開ける、などと、本人そっちのけで言いたい放題。高揚気味だ。
 商品のモデルに仕事が増えて事務所の利益になったら彼らはそれで良いのだと私は前向きに片付けてきたはずが、その日は胸の奥でチリッと痛みが走った。
 原因は、

(情緒不安定だ)

 近頃は感情がごちゃごちゃしていて、私らしさを見失いかけている。押し寄せる不安の波は、契約しているモデルの仕事に悪影響を与えた。
 四月と五月は、六月の梅雨時に身に付けるおしゃれアイテムの掲載準備に入る。五月に販売する雑誌では先取り情報を発信し、六月はメインで発信。入稿前に記事を完成させ、屋内外で写真を撮っておく。
 私は服の引き立て役でクールにキメるのが売りだったけれど、今回はか弱さが表情に出ていたとカメラマンに指摘され、スタジオで何度も撮り直した。微調整はあっても、魅せ方を変更したほうがいいかもしれないとスタッフの頭を悩ませるのは初めてで、焦り、迷う。上手く出来ていたことを出来なくなるのがこれほど怖く、歯痒いものだと知らず、自分で自分を許せない。
 撮影帰りの車内では助手席の後ろに座って背もたれにしがみ付き、窓の外に視線を向けたまま、運転席に居る時田さんに涙ぐむ声で弱音を吐いた。

「PV出演、間違ってた」
「イメージチェンジ次第では、別の雑誌に売り込めば済む話よ。代わりをこなせる人は居る。私と社長の判断は間違っていないわ」

 事務所も周りも、別の顔をした水無月チサカを求めている。

「前の私は不良品だったの?」
「完成していた物がバラバラになって、別の形に積み上げ直しているだけ。心を解放するのは嫌?」
「解放どころか拘束。寺田総司<てらだそうじ>に馬鹿にされた」
「チサカより数か月遅めに事務所に所属して、中学生で俳優デビューした子よね」
「何処にでも売っている、ただのお人形さんかって嫌味を言われたの」

 撮影現場を見学に来ていた歳の近い人気俳優に嘲笑され、言い返せず、悔しい思いを味わった。これが捻くれずに居られるだろうか。否、前の私なら受け流せた。

「学院生活はどう?」
「どうもない」
「答えになっていないわよ」
「ッ!……母親気取りで、あれこれ言わないで!!」

 モデルデビューして、初めて時田さんに大声で反発した。すすり泣く私に時田さんは無言。彼女は心身とスケジュールを管理するマネージャーで、悩みを聞いてアドバイスをするのも仕事のうちだけど、私の家庭の事情に深入りはしてこない。お互いに一線を引いているほうが楽だと知っている。
 問題の学院生活について、平日は杏里が仕事で学院を早退、または休んでいる日を除き、四人で一緒にご飯をたべて他愛のない会話をする。些細な接触だ。しかし、塵も積もれば山となる。連絡を交換してからこの一週間、周りの流れに身を任せていたら心が先に疲れ果ててしまった。気にしなくていいことを気にしているせいだ。
 杏里は単純に川嶋くんと親しくなりたいだけ。
 二葉くんは真意がハッキリしない。
 川嶋くんだって反応を窺うだけ。
 距離を離したがったのは私のほうなのに、人の考えを読み取ろうとする。
 反対に、彼らと過ごす時間が心を温めもした。私のことを本当に気遣ってくれているように映るのだ。
 嬉しいのか悲しいのか両極端な感情の収拾に理性が追い付けず、自室へ帰った時、ドアの前で体育座りをして蹲り、涙を零した日もあった。

(私、弱いな……)

 一月早めの、五月病かもしれない。


 今日は夕方にマンションへ行く予定が入っている。幸せな気分に浸れる音楽は中毒性の高い精神安定剤のようで、音楽で繋がった人間関係は不協和音を奏でる興奮剤のようなものだ。桜馬先生の「気兼ねせずに」という、当初の思惑通りに進み、癪ではある……が、先生の、音楽の話と演奏は好きだ。

『チサカちゃんが好きなケーキって何?』

 一限目。数学の授業中に朝倉さんがメールを送ってきた。頬を染めてにっこり笑った顔文字付き。女子ウケを狙っているのだろうか?
 私は休憩時間に入ってから、淡泊なメールを送り返した。 

『チョコレートケーキです』

 本命は定番のシンプルなショートケーキ。純粋な白と華やかな赤は今の気分に不似合いだという天邪鬼精神で選んだ。味の自己主張だけは立派なチョコレート。ビターなブラックだと尚良い。

(あのマンションって、例えるなら、お菓子が詰まった箱なんだ)

 二限目の英語の授業で英文にsweetが登場した時、ふと想像して、教科書の隙間にシルバーのシャープペンで落書きをする。集う異性達は、揃いも揃って甘い人で構成されている。蝋燭のような杏里が加わるとバースデーケーキの完成だ。賑やかで、楽しくて、幸せを分け合う。私の心は満腹で食べれないけれど。

(……ぼうっとする)

 今日は朝からだるくて体の芯に熱が溜まり、頬がじんわり火照っている。普段はしない想像をして落書きをするぐらいだ、おかしい。
 午後の休憩時間にトイレへ行った時、洗面台で鏡を見たら頬だけ薄ピンク色に染まっていた。風邪の症状は出ていない。

(断るか、行くか)

 桜馬先生と初めての打ち合わせで会った日に「プロ意識で頑張って」と言われたことを思い出し、ムッとなる。行くのが嫌でも仕事の一環だと無理に割り切り、放課後は帰宅せずに制服姿でマンションに向かう。

「チサカちゃん?」
「あ。どうも」

 駅前で朝倉さんに声を掛けられた。今日は白いYシャツ、グレーのスーツ、黒いネクタイ。右手には、花の絵柄と店名を印刷した小サイズのケーキ箱、左手に革製の渋いビジネスバッグを提げている。社会に慣れてきた就職二年目のサラリーマン風だ。

「学校からうちに直行?嬉しいな」

 言葉通り嬉しそうにとろけた笑みを浮かべる朝倉さんの顔を、ガーベラの花が囲うようにポンポンと咲いた。

「有難うございます。早く来過ぎて迷惑じゃありませんか?」
「ううん、いいよ。うちの弟子達とは仲良くしてる?」

 私は質問を受けて数秒間のうちに一週間の出来事を早送りで振り返った。仲良くとは言い難い微妙な雰囲気に目線を横へ逸らす。

「……仲……、良く……」
「あぁっ、ごめんね、気の利かないお兄さんで」
「いえ」
「俺には妹が居てさ、チサカちゃんは兄妹って居る?」

 道理で年下の私が嫌な顔をしても扱い慣れているはずだ。

「一人っ子です」
「じゃあ、俺をお兄さんだと思ってよ!」
「考慮しておきます……」

 マンションに着いてみてわかった。前回、二葉くんと川嶋くんの二人が先に来ていたことに気付かなかった理由、それは開閉式のシューズボックスにあった。私はお客様扱いで玄関に靴を揃えて置くが、二人はシューズボックスに入れる決まりだと朝倉さんが教えてくれた。
 一回目の時に選んだリバティのルームシューズに履き変え、五人でお茶をした広い部屋に入る。
 
「今日は『月の光』の詩について話をするみたいだよ」

 ケーキ箱を冷蔵庫に入れた朝倉さんから説明を受けた後、玄関のドアが開く音がして、二人で誰が来たのか注目する。上半身が濃いグレーのYシャツ、下半身は真っ黒なズボン。右腋にA4サイズの茶舞踏を挟み、左手は黒革のビジネスバッグを提げている。

「ただいま」
「あれ?シュンも早いじゃん」
「青春真っ盛りの女子高生達に囲い攻めされてみろ。逃げたくもなるさ」

 愚痴りたての桜馬先生は「羨ましいなぁ」とぼやく朝倉さんの顔をギロリと睨み付け、シューズボックスの上に一旦荷物を置き、私の前に立って顔を不思議そうに見つめてくる。

「何か、付いていますか?」

 眉間に皺を寄せて一歩後退し、ありきたりな質問をすると

「水無月さん、失礼するよ」

 微かに冷たい、右側の大きな手のひらが私の額を覆う。次に桜馬先生は、広い部屋の壁際に設置してある木目調の、小さい子どもがあみだくじをして遊びそうな形のシェルフの前でごそごそと何かを探し、此方に戻ってきた。

「測ってご覧」

 差し出されたのはスリムな電子体温計。桜馬先生の真面目な表情と口調は学校の講師モード。学科は違えども、学院内で一生徒の私は強く言えない気分にさせられる。

「え!チサカちゃん、熱あるの?」
「朝倉、気付くのが遅い」
「チークだと思ってた」
「そんなわけないだろ」

 体温計のスイッチを押して左の腋に挟む。十五秒でピピッと音が鳴った。取り出すと、表示は三十七度だった。

「微熱だね。悪寒は?」
「ありません。ただの知恵熱です」

 朝倉さんが私の顔を心配そうに見た。

「帰る?」
「いいえ」

 桜馬先生は頑固な私の頭をくしゃりと撫で、小さく笑みを浮かべる。

「僕の部屋で寝てていいよ。帰りたくなったら声を掛けて」

 強制的に帰らされるかと思いきや、居ることを許してくれた。

「『月の光』の詩について話をするって聞きました。仕事ですから、教えてください」
「じゃあ、子守唄代わりに話すね」

 あくまでも横にならせようとしている。私はスクールバッグをソファーに置き、体温計を元の場所へ戻した先生の後ろを付いて歩く。ピアノが設置されている部屋と案内された部屋はドア一枚で繋がっていて、およそ八畳はあるそこへ入るとホテルの一室のような良い香りがした。
 モダンな色で組み合わせたインテリアにパソコン、壁には額縁に入った油絵が一枚。洋風の建物が並んでいることから、海外の風景画だと何となくわかった。
 ルームシューズを脱ぎ、朝倉さんの質問メールで答えたチョコレートケーキを連想させる、ブラウン一色に染まったシングルサイズのベッドに横たわり、羽毛の掛布団を顎先まで覆い被せる。
 先生はスタンドライトを点けて部屋をオレンジ色に染め、背筋を伸ばしてベッドの端に座った。
 改めて下から見上げると、Yシャツを着た広い背中が大人だと実感させる。

「ドビュッシーが作曲した『月の光』は、詩人のポール・ヴェルレーヌが作った同じタイトルの詩に感銘を受けたと言われている。でも、ドビュッシーより先に曲を発表したのは、フランスの作曲家、ガブリエル・フォーレ。歌曲だった」
「かきょく?」
「うん。ソロで歌ったり、少人数で歌うための曲なんだ。訳は人によって変わる。僕はこう解釈してるよ。
 ーーあなたの魂は選りすぐりの風景。ベルガモの衣装に身を包み、リュートの音色に合わせて踊るも、ベルガマスクの下に悲哀を隠す。彼らは短調の調べに歌を乗せる。恋に勝ち得ても、人生が華々しくも、その幸福を信じる様子もなく、歌声が月の光と調和する。寂しく甘美に彩られた月の光の静けさは枝に留まる鳥達を夢へと誘い、しなやかな形をした目を見張る大理石の噴水をあでやかに泣き濡らすあの月の光に」
「……上品ですね」
「有難う」

 感心して褒めると先生が私を見て、目尻に皺を寄せて微笑む。こんな顔もするのかと思ったら、何だか胸の奥が熱くなった。

「『月の光』から脱線してもいいかい?」
「はい」
「フォーレが息子に綴った素敵な言葉があってね。結構、好きなんだ。
 ーー私にとって芸術、とりわけ音楽とは、可能な限り人間を今ある現実から引き上げてくれるものなのだ」
「現実から、引き上げる……?」
「音楽は心の薬になると僕は思っている」
「……現実が思い通りに行かない時も、引き上げる作用だって言えますか?」

 私の辛辣な質問に先生は

「副作用が辛いだけだよ」

 と、包み込むように柔らかく答えた。鎮痛剤で有名なラファリンは半分が優しさで出来ているのと同じで先生の言葉が薬と化し、半分は苦く、半分はバランスを崩した心身に溶けて広がる。

「水無月さん。小さい頃、体調が悪い時に親御さんが手を握ってくれたことは?」

 記憶を辿ってみた。

「……あります」
「悪い記憶ばかりじゃくて良かったね」

 親のことは言わないでと突っ撥ねたのに、誰も言わなかったことを言ってくれるだけで許してしまう。親を許すのは難しい状況でも、記憶を憎む必要はないのだと教えてくれた。
 先生は右手を差し出す。握れと言いたいらしい。

「子どもじゃありません」
「甘えたくなったら言っていいよ」
「甘えません」
「つれないね」
「擽る危険性があります」

 頑なに拒んで鼻まで掛布団を覆うと、桜馬先生は笑ったまま立ち上がって部屋の外へ行こうとドアノブを握り、顔だけで振り向いた。

「僕は指導に行く。体調が悪化したら言うんだよ。おやすみ」

 ドアがぱたんと閉まった後、私は体を丸めて布団の中で蹲る。森林系のフレッシュさとラベンダーのような良い匂い。庭園に居るみたい。柔軟剤かルームフレグランスか、後で聞いてみよう。
 副作用の不安を桜馬先生は良い兆候に捉えていた。人の優しさに甘えて打ち明けたら、重い気持ちが楽になれるのだとしたら。
 逃げ場所を作って貰えるなら、話してみたい。



(続く)

*今回掲載したヴェルレーヌ『月の光』の訳詩は、他の方々がブログなどで掲載している訳を参考に当方が自分なりに解釈してみました。

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