【ストロベリー狂詩曲】09

 今日は杏里を誘い、お昼の休憩時間は人が来ない立ち入り禁止の屋上へ続く階段で過ごすことにした。照明は、窓から差し込む強い陽の光。生徒の誰かが毎日掃除をする階段には大きなゴミが見当たらず、唯一埃に気を付けてハンカチを広げてから座り、二段セットのお弁当箱を膝の上に置いて蓋をぱかっと開ける。
 一段目はキノコの炊き込みご飯。二段目はよく熟れた赤いミニトマト、きゅうりの斜め切り、渦が綺麗な厚焼き卵、鰹節と和えたほうれん草のお浸し。祖父の代から雇っている、和食が得意な料理人のお手製弁当。母の味を知らない私に、家庭的なお弁当とはこういう物を指すのですよと教えてくれたことがある。

「アタシ達、調子に乗り過ぎたかな。ごめん」

 杏里がしおれた花のように謝ってきた。

「今朝ね、メールでシノブンにチサが知恵熱を出したって聞かされて、お節介が過ぎたかもって反省したの。本人の状態を無視するのは友達想いじゃないよね……」

 沈む語尾に気落ちした様子。下を向いたまま目を合わさず、杏里は不細工なたこウインナーを箸で摘み、頭から食べる。前に、義理の姉が作るウインナーの飾り切りはどれもが宇宙の未確認生物だと聞かされたことを思い出す。知り合って間もない頃は楽しかった。

(私こそ、友達を疑って最低だ)

 知恵熱を出した一件は隠しておくつもりだった。「早く言ってよ!」とぷんすか怒られる憶測をしていたからだ。下手をすれば喧嘩、最悪のパターンだと絶交宣言されるシナリオも過ぎっていた。話す機会を作れてもいつ切り出すか、此処へ来るまでの移動中、打ち明けた後にどんな反応をされるか不安だった。手に入れた関係を切るのは辛い。
 私はきゅうりを一枚ぽりぽり食べて間を置き、彼女の傷口に塩を塗らない遠回しの例えを脳内で探る。五限目は、体育の授業だっけ。

「ハードル」
「?」
「三人の親切が、私にはハードルが高い。飛び越えようとして躓いてばかり。感謝はしてる」
「じゃあ、下げるよ。どれぐらい下げようかっ?」

 杏里が詰め寄ってマジマジと見てきた。瞳の奥でキラキラする輝きに私はたじろぎ、左手でぐぐぐと顔を押し退け、程度より現状を話す。

「下げる、上げるの問題ではないの。自然体を表現するのが、……怖い。勇気が要る」
「ハードルを倒さなきゃ無理ってことね」
「モデルの仕事に影響してて、マネージャーに八つ当たりするぐらい疲れてる」
「……ざ、罪悪感……」

 零してしまったストレートな本音がサクッと頭に突き刺さったのか、箸の先をくわえてガタガタ震える杏里に私は慌ててフォローをする。

「良かったこともあった……!四人で居ると、いいなって感じる時もあったの」
「例えば?」
「言葉では、巧く説明出来ない。本当は不器用な人間より、愛想の良い人間のほうが扱いやすいのはわかってる。杏里達もそのほうが楽しいだろうなって。卑屈だよね」
「うん、酷い。罰として厚焼き卵を半分貰いマス」

 杏里は私のお弁当箱に入っている厚焼き卵に箸をズボッと突っ込み、半分に割って自分の口に放り込んだ。美味しかったのか満足げな笑みを浮かべている。

「チサって笑うと可愛いじゃん。澄ました顔のチサも好き。今までのチサも大好き」

 裏表無くハッキリ言われ、人に認められて受け入れて貰えていることに安心感を覚えた。胸の奥と目頭が熱い。

「私も、杏里のこと好きだよ」
「ありがと。初めは何なのこの女ってムカついたのも懐かしいや」
「お互いにね」

 二人してふふっと笑う。

「チサ、それが自然体だよ。好きな時に笑えばいいの」

 後半の台詞に私は笑みを消して湿っぽい溜め息を吐く。

「新しい仕事で微笑みを要求されていて、その件も含めて気持ちが不安定なの」
「あっちは強制だもんねぇ、そりゃ参るわ」
「時間、残ってる?」

 スマホの画面に表示してある時刻を見てヤバいと感じた私達はお弁当をパクパク食べて平らげた。さほど噛まずに早食いをすると胃が重い。
 横に並んで階段を下りながら杏里が言う。

「アタシは学校を卒業した時、大好きな友達に何も楽しいことが無かったって感想より、杏里や他の友達と思い出が一杯作れて楽しかったって言って貰いたいの。って、独り善がりか……!」

 最後に一人でツッコみ、ガーンとショックを受けて表情をコロコロ変える彼女に尋ねる。

「不貞腐れたり泣くことがあっても、友達で居てくれる?」
「根性が曲がらない限りはね」



 下校中、大通りで新しくオープンした文具店の前を通りかかると、ガラス越しに棚の前で本を二冊持ってどちらにしようか迷っている二葉くんの姿を見つけた。参考書のコーナーだ。
 ドアを押し開けて鈴の音をチリンチリンと鳴らしながら店内へ入る。二日間限定の二割引きセールが目的なのか、同校と他校の生徒がそこら中に群れて商品を選んでいた。
 参考書のコーナーへ行き、ボリュームを落として二葉くんに声を掛けたら、高校生向けの難易度が高い問題集を選んでいたところだった。熱心ね、と話せば、音大の入試は実技が合格でも数学や英語などの科目も一定以上の点数を取らなければならず、音楽以外の勉強も怠らずにやっているとの返事を貰う。

「読んでみる?」

 問題集を渡されてページを開き、私は五秒でぱたん、と両手で閉じた。レベルが高くて理解不能だ。
 二葉くんの誘いを受けて、会計後は目的地の途中まで歩きながら話をすることになった。

「お昼、断ってごめんなさい」

 私が謝ると彼は全く気にしない様子でいつも通りにこにこしている。

「僕は謝らないよ」
「え?」
「水無月さん、頑固でしょ?」

 師弟は似ると聞く。見透かした質問の仕方が桜馬先生と瓜二つだ。私は物怖じしてしまう。

「うん」
「同類だ」
「何処が?正反対」
「僕も負けず劣らずの頑固者で、桜馬さんの手を散々焼いてきたからよくわかる」

 川嶋くんには毒舌な時があっても、大人に対しては優等生な感じの彼からは想像し難い言葉だった。

「水無月さん、お父さんとお母さんのこと好き?」

 また先生と同じ質問をしてくる。ひょっとして話が漏れている?

「……大嫌い」
「嫌いで良かったね」

 始まった。彼特有の夢見がちなピントのずれた話に進んでいる。

「変よ。私が好きって答えたら、あなたが『好きだと思える親で良かったね』って返すでしょう?」

 私が怪訝な視線を送ると

「それが最良の答えだよね」

 わかった上での返しだと知り、からかいにも取れる。

「二葉くんは、親についてどう思ってるの?」
「聞きたい?」
「聞いてもいいなら」
「好きだよ」

 質問返しをするぐらいだから風変わりな答えにドキドキしていたら、肩透かしを食らう普通の答えだった。

「僕はね、実の親に虐待されても嫌いと思ったことが無いんだ」

 擦れ違う人々の声、車の走行音、信号音に掻き消されずに聞こえた衝撃的な実態。近場で事故が起きたのか救急車のサイレンが鳴っている。
 耳と目を疑った。誇らしげに聞こえる異様さ。愛情の誤認。欠落した感情。

「おかしい。変よっ」
「らしいね」
「他人事じゃないでしょ」

 自分の身に置き換えていない気楽な様子に私は戸惑った。
 二葉くんは目に暗闇を秘めて、口元だけ笑い、語り出す。

「あの頃はおかしいとすら疑わなかったんだ。事態を知った周りの大人達が騒いで『あの親はおかしいんだよ』って僕を説き伏せようとしたけど実感が湧かなくてさ。そういう人達を相手にするのが面倒臭くなって、適当に合わせる術を学んで、」

 --そして心に鍵をかけたんだ。
 と、彼は言った。
 虐待を受けた小さな子どもは、どんなに暴力を振るわれても生きるために親を嫌いになれず、成長しても親の愛だと信じ続ける人も居るのだと、ニュース番組で心理学者がそのように説明していたことがあった。

「世間で酷評される親を憎んでいないって話すと、優しくて良く出来た子だねって褒められる。不器用でも親を嫌いだと言える水無月さんと、器用に親を好きだと言える僕。どっちが罪深いのかな?周りの大人達は愚かな評価しか出来ないのかな、なんちゃってね」

 聞いていて胸が苦しくなる。夢見るお伽噺の住人どころかグリム童話の住人だ。天使の仮面を被っている彼に身の毛立つ。

「怖い?」

 無意識のうちに、横に距離を取っていた。可哀相は、失礼だ。同情は求められていない。
 答えに悩んで無言になると平気な顔をされる。

「イエスでもいいよ」
「……」
「神様からのしっぺ返しは貰っているから」
「どういうこと?」
「桜馬さんと忍」
「?」

 散歩中の柴犬に擦り寄られた二葉くんは立ち止まり、頭を撫で撫でして「バイバイ」と手を振って歩き出す。過去の話に触れた時と違って、今の雰囲気は怖くない。

「酷いんだよ二人とも。親に愛されていなかった、愛されたかったんだって現実を突き付けて、僕泣いちゃってさ。中学三年生でだよ?」
「……中学三年生でも、子どもは子ども。親との歪な記憶はずっと染み付いて気になる」

 わかってくれているといった感じに、二葉くんはあどけなく笑う。

「水無月さん。僕も変わるの怖かったけど、変わっても微々たるものだよ」
「その微々たる感情の乱れが仕事に悪い影響を及ぼしてる」
「降ろすって言われた?」
「まだ」
「水無月さん、僕らは発展途上。壁にぶつかって泣いたり笑う。悲しみも役に立つ。音楽も芸能も経験が役立つ仕事で良かったね」

 両親のことがあったから無機質になって、それが仕事に活かされていた。良かったとは納得し難くも、道標にはなっているのかもしれない。二葉くんはマイナスに「良かったね」を付け足してプラスにしている。桜馬先生もベッドで横たわる私へそんな風に言ってくれた。

「あぁ、もうそこまで来ちゃった」

 二葉くんが名残惜しむように言ってくれる。怖くて、憎めなくて、癒し系で、一番不可解な男の子。

「色々話してくれて有難う」
「水無月さん」
「何?」
「桜馬さんのことは信じていいよ。忍も頼りになる。僕も辛い時は話を聞く。我慢しなくていいんだよ」

 朝倉さんもね、と付け足して二葉くんはたたっと走り出し、駅の改札口を抜けて行った。


(続く)

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ストロベリー狂詩曲

恋愛小説。学生たちと大人の甘く切ない恋模様と成長の過程を、時々クラシックを絡めながら綴ります。連載中。
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