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たりないふたりが終わった。

たりないふたりが終わった。

寂しいという気持ちがないと言えば、嘘になる。

でも、10年以上好きでい続けた推しの人生の恐らくは重要なターニングポイントであろう瞬間を、リモートではあったけどリアルタイムで見届けられたことが嬉しくもあり、また、初期からずっと見てきた大好きなユニットが、恐ろしく綺麗な形で完璧な芸術品のように完成して盛大に幕を下ろしたことを、誇らしくも思っている。

最初は、もうこれで大好きなものが1つ終わるんだな、という惜別の気持ちで泣くのだろうな、と思っていた。(ライブを見る前から泣くことは前提だった、お笑いライブなのに。恐らく本人たちには不本意なことだろうから申し訳ない…)

でも、最終的に自分が泣いた理由を考えると、単純にそれだけではなかった。

本当に数え切れないほどの色んな感情で頭の中がぐちゃぐちゃになって、嗚咽を堪えきれないレベルで吐きそうになりながら号泣していた。

もちろん、同じくらい笑った。

説明できないけど、自分の感情の整理として、メモしておきたくて、noteを開きました。長いです。自分語り長いです。何しろ山ちゃん派の直系流派を受け継いじゃってるので。


私は、山ちゃんが好きだ。

いつからか、というと、南海キャンディーズが初めてM-1グランプリ決勝に出た時から。

その頃には毎年M-1を見ていて、そこそこお笑いに造詣がある、という程度ではあったけど、後にも先にも、南海キャンディーズの漫才ほど、画期的な発明だと感じたことはない。(オードリーの時もぺこぱの時もハライチの時も、画期的な発明だ!とは思ったし、すごく好きだけど、一番最初の南海キャンディーズの衝撃は超えていない気がする)

そこからずっとテレビで応援していて、ツイッターもフォローし、初期の140にも行っていて、ラジオも聴くようになった。

ラジオを聴いていると、どうしても人となりを知っているような気になる。もちろん全てではないだろうけど、かなり内面をさらけ出してくれるパーソナリティが多いので、ネタだけではなく、技術だけではなく、中身も含めて山ちゃんという人間がどんどん好きになっていった。

世間的にはクズとも呼ばれることもある、それを否定することもしにくいくらいダメなところが多い人だと、かなり痛いファンである私でも思う。でもあんなすごい才能を持った人が、人格者である必要も別にないよなーと思う派だから、山ちゃんの闇の部分や末っ子気質な部分も含めて大好きだったし、それは今も全然変わってない。

リスペクトできるところが多すぎて、欠点が気にならないというかむしろ多少欠点があるからこそ人間くさくて魅力的なのでは?とも思うし、一般的には欠点と思われる極度の嫉妬深さや卑屈さを原動力にして才能を磨いてきた人だから、それがないと「山ちゃん」はいなかったよな、とも思っている。

同じく、オードリーもM-1決勝で初めて知った。新しいツッコミの形を開発して世に現れた姿が、南海キャンディーズが出てきた時と似ているな、と思って、そこからずっと応援している。

似ているな、と勝手に思っていたふたりが、ある日、意気投合して漫才を始めた。

勝手に似ているな〜と思っていた推しと推しが仲良くしてるなんて痛いファンからしたら、垂涎もののご褒美で、たりないふたりはまさに夢の競演、私にとってはドリームマッチだった。

若林さんが、オードリーの漫才やバラエティ番組での立ち位置とは全く違うサイコパスなボケで暴れ回るのも、山ちゃんがそれに振り落とされるどころか有り得ない反射速度で全てのボケを的確なワードで打ち返すのも、鳥肌が立つほど興奮した。

そこからずっとたりないふたりを見てきた。2014年以降、たりないふたりでの漫才をしていない間も、他局ながら時々ラジオ同士でやりとりがあったり、ゲストで行き来があったり、バカリズムさんを含めた闇4での絡みがあったり、ミレニ…ア…?ウッ頭が………いや、そんなものはなかった。うん、なかった。

そんなこんなで、直接たりないふたりとしての仕事はしていない時も、それぞれをそれぞれ、応援してきた。どんどんMCの仕事が増えていくのを誇らしく思いながらも、ただ、ふたりともすごく好きなお笑いをできている感じがない時期もあり、やっぱりラジオが一番楽しそうだし楽しいな〜という時もあったような気がする。それは私の個人的な感想だけど。

山ちゃんが結婚した時、私は、初めて芸能人の結婚報道を見て、泣いた。

友達の結婚式ではもちろん泣いたことがあるけれど、好きな芸能人がいても、歌手であれば歌が好きだし、役者であればお芝居が好きで、所詮は他人だし、他人の人生は私には関係ないことで、おめでとう〜とは思うが、心を動かされるほどのことはなかった。

しかし私は、山ちゃんが蒼井優という日本で知らない人はいない、とても素敵な女優さんと結婚すると聞いて、自分でも驚くほど号泣した。

そこで気付いたのだが、多分ここまで長い間、応援し続けた芸能人が山ちゃん以外にいなかったのだ。好きな芸人や役者やアーティストはたくさんいて、ライブや舞台に行くこともあるが、内面まで知り尽くして(ラジオでさらけ出してくれる範囲ではあるが)、人間として好きな相手、しかも10年以上変わらず追っているのは山ちゃんしかいなかった。

幸せになってほしいと思っていた推しが、誰もが認める素敵な女性に、良いところを認められ、尊敬され、愛されて、幸せになることが嬉しくて泣いた。

幸せになったら、闇を吐き出していたラジオのファンであるリスナーを裏切ることになるのではないか、と不安だった、と発表の日のラジオで語られた時には、また泣いた。

もはや可愛い初孫がお嫁に行く感慨である。

蒼井優さんのような才能ある素敵な女性が、山ちゃんの才能をリスペクトしているということもとても誇らしく嬉しかった。私の推しすげえんだぞ!と世界中に自慢したい気持ちだった。

自分のSNSでは、私がずっと山ちゃんのことを応援しているのを知っていた友達から、たくさんおめでとうと言われて私が結婚したのかと思った。

そして、山ちゃんの結婚で、さらにとんでもないサプライズが起きた。沈黙していたたりないふたりが動き出したのだ。

ふたりがそれぞれ、別々の仕事でどんどん腕を上げているのも知っていたから、今、漫才をしたらどんな相乗効果が生まれるのかわくわくした。

さよならたりないふたりは現場には行けず、ライブビューイングで見た。

CreepyNutsが、たりないふたりにインスパイアされて、勝手に同タイトルの楽曲を作っていたということはその時には知っていたから、公式からのオファーでライブのテーマソングとして歌詞を書き下ろしたと知った時は、胸が熱くなった。

たりないふたりに背中を押されたCreepyが、ヒップホップ界で唯一無二の存在感を放ち、どんどん売れていくのを見て、これもまたとても嬉しかったのを覚えている。

さよならたりないふたりでは、アドリブだったのか、多少の台本があったのかはわからないが、次のたりないふたりは若林さんが結婚でもしたらかな、という話があった上で、ヘリコプターの擬音を聞いた山ちゃんが即座に「きたねえヘリコプターだな!」とついさっき若林女王様に言葉責めで言われたセリフを言い放ったラストの大オチで、ゼクシィを買いに行くと嘯いた若林さんが、その20日後に入籍するという伏線回収まで含めての、大スペクタクルだったのが印象に残っている。

若林さんが結婚したら、と言われて、また数年後にでも見られると良いな〜と思っていたし、もしかしたら一生復活しないかもな〜くらいに思っていた(山ちゃんより圧倒的に若林さんのが結婚できないと思っていた…)。山ちゃんも多分そのくらいの気持ちだったと思う。

でもその時、すでに若林さんは自分がその月に入籍するのを知っているわけで、山ちゃんとまたすぐ漫才できる!と一人だけ思って、わくわく楽しみにしていたんだろうな…と考えると、結婚報道を聞いた瞬間、私は、わ、若林〜〜〜!!!と何とも言えないエモさに身悶えるしかなかった。

そして、またたりないふたりが見られる!からの春夏秋冬……秋の山里事変である。

私は、山ちゃんが好きなので、山ちゃんの気持ちがめちゃくちゃわかる。というか、山ちゃんの気持ちに寄り添いたくなってしまうので、めちゃくちゃ想像してしまう。

総合演出の安島さんのツイッタープロフィールを見ると、若林さんとやってる仕事がズラッと並んでいる。山ちゃんとの仕事の方が少ない。そりゃ山ちゃんだもの。嫉妬くらいするよ。と思ってしまう。

仕方ないことだと思うし、そんなことはスタッフさんが悪いわけでは絶対にないのだけど、山ちゃんの気持ちも仕方ないことなのだ。だって山里亮太だもの。

そして安心もした。あー山ちゃんはたりてない。まだまだ全然たりてない。

MCの仕事が増え、しずちゃんと仲良くなり、結婚してからCMも増え、テレビの中でのポジションは明らかに上がっていってるのに、未だに変わらないものがあることに安心した。

対して、その頃には若林さんは、いい感じに達観したエッセイを上梓し、賞なんかもいただいて、慕ってくる後輩を上手に可愛がり、若いアイドルとも良い距離感で番組をできていて、ナナメに世間を見る目線を捨て始め、人間的に大きく成長したように見えていた。

その差が、若林さんが山ちゃんの秘孔を突いてしまった要因でもあるし、秋以降のラジオでの福神漬カレーライス放送事故に繋がるんだろう。

傍から見た勝手な印象だが、山ちゃんが未だに若林さんをライバルとして目の敵にし、嫉妬の炎を燃やしているのに、若林さんは「山ちゃんのことは家族だと思っている」「山ちゃんは十分すごいのにまだそんなこと言ってんの?」という、相手の凄さを素直に認める、というスタンスで山ちゃんの遠吠えをあしらっている…構図になってしまった。

若林さん側からすると、山ちゃんの才能はすごいと思っていて、勝てないと思ったからたりふたではボケに回ったし、長く一緒にやってきて親友とか家族だと思ってるけど、山ちゃんには大阪の同期の方が近いんだなーという寂しさみたいなものを感じている…とラジオで語っていたし、

山ちゃん的には同じ土俵で戦ってて、未だに負けたくない!と思うライバルに「もう家族だと思ってる、山ちゃんには負けてる」と言われても、下に見られてる!としか思わないよなぁ、というのも頷ける。

お互いに相手を特別に思っているけれど、その感情の種類が違うだけで、アンジャッシュのような盛大なすれ違いが生じているんだな、と双方のラジオを聴いていて思った。

確かに、たりないふたりが始まった頃、ふたりは同じ感覚を共有しているように感じていた。社会性や女性経験の無さ、嫌だと思うもの、世間に対しての不満、同じストレスを共有して舞台上で暴れていたように見えた。そしてたりないながらも、この芸能界で一緒にがんばっていこうぜ、みたいなライバルというよりは戦友のように、私は思っていた。

それがいつの間にか、違ってきていた。よく考えれば、当たり前である。違う人間が違う道のりを歩んで、違う環境で戦いながらそれぞれ違う武器を磨いてきたのだから、違う考え方になるのは当然だ。

それを寂しいと思うこともない。ふたりとも、10年の間に成長して、変わって、違ったんだな。というだけだ。

けれど、秋に秘孔を突かれた山ちゃんがその傷から溢れるどす黒い嫉妬による愚痴をラジオで撒き散らし、若林さんがそれに答え、翌週の不毛な議論で、公開痴話喧嘩仲直り神回放送になった時に、わかった。

私は、山ちゃんが未だにたりてないことが、心の底から嬉しかったんだな。

自分にも自虐や卑屈や嫉妬や闇色をした醜いネガティブな感情が人よりも多くあるなぁという自覚があって、だから今まで、そういう闇を武器に戦う山ちゃんの格好良さに惹かれていたし、どんなに世間が山ちゃんのことを悪く言う時でも、山ちゃんの気持ちの方がわかるような気がして、ずっと応援してきたから。

その部分で山里亮太は何も変わってない、ということが、すごく嬉しかったのだ。

はーーー。

もうそろそろ、気が触れていると思われてそう。まだ、ライブの話を1ミリもしてないことはわかっています。

前置きがクソみたいに長くなったが、

その気持ちを踏まえて、踏まえまくって、私は、5月31日月曜日の夜、最後の解散ライブ、明日のたりないふたりを見たのである。

以下ネタバレ含みます。

想像してみてほしい。

山ちゃんが竹槍を投げ込んだ泉で、泉の女神に扮した(?)若林さんが、

「竹槍、捨ててんじゃねえぞぉ!!!」と叫んだ時の私の気持ちを。

不毛な議論にアポもなく乱入し、不倫謝罪会見でもするみたいなお通夜ラジオを間一髪で救った正義のヒーローカレーライスは、その後TBSラジオを出て、「俺は青山通りで車停めて、おいおい泣いたんだよ!!!」と言った。

その瞬間、私がおいおい泣いていた。

若林さんが、山ちゃんのことを好きだということは、今までの数々の言動でちゃんと表されていたし、十分に知っていると思っていたけど、

40を過ぎた男が、唯一無二の友人、家族とまで言う相手のことを思って、車を運転できなくなるほど、泣くなんてことがあるだろうか。

どれだけ愛してるんだよ。

私が、山ちゃんが変わってなくて嬉しかった、と思ったその部分を、

若林さんも、山ちゃんにはその部分が必要なんだって、それをわかってなかった自分が未熟だったんだなって後悔して泣いた、と言った。

好きな人の、好きな部分を、肯定してくれる人がこんなにすぐ隣にいて、今、馬鹿みたいに楽しそうにふたりで漫才をしている。

その光景が、尊くて、嬉しくて、怖いほど美しくて、

そして、今日が、最後なんだ、と思い出して、

そこから先は一度も泣きやめずに、それでも面白くて笑って、最後の画面がブラックアウトする瞬間の絵まで、ずっと、

ありがとうと、お疲れさまでした、の気持ちで泣き続けた。

ふたりが、自分のまだたりない部分を舞台上でさらけ出している時、本当に輝いていたな。

きたねえヘリコプターで「たりない」から飛び立とうとしている若林さんを山ちゃんが必死に止めている時の言葉は、若林さんへの直球すぎる感謝と愛情に溢れすぎていて感動しながらも、若林さんの膝を心配してしまった。(今思うと、膝よりもっと大変なことになってしまっていたんだな…この場面が原因かはわからないけど)

若林さんが、山ちゃんに言わせるために、めちゃくちゃな設定をぶちこんでは、完璧に誘導尋問していくのを、これは一体どういう類の才能なんだろうと感心してしまったよ。

無観客だからこそ若林さんが言い続けてた「ライブ後の公園でふたりだけで漫才やろうぜ」を最後に実現できてしまったし、客席まで使った若林さんの歯のないおじさんファンの設定と、パイプ椅子の泉を泳いで帰ってくる泉の女神の設定も客がいないからできたよね。

あの歯のないおじさんは、ほとんど私だなぁと思いながら見ていた。「Mの設定入った山ちゃんは最高に面白いな!」「色んな意見があるけど俺は秋も好きだよ。」一言一句同感です。

心に残っている面白かった山ちゃんのワードを羅列しておきたい。

「俺たちで興奮したら、俺たち抱けよ!」

「んーー…バジル!!」

「生クリームかけてどうすんだよ」

「秋来てないのよ、異常気象」

「ちょっとCO2出しすぎたかしら」

「今ちょっと食材が切れてまして、」

「何があったかは掘り下げないよ!俺のスコップが行くなっつってんのよ」

「やばいよ、寅さん超えるんじゃないの」

「心から思うけど…(タメ)…いいアイデアだと思う」

「革命の香りがするよ」

「ブヒィ出荷されたい出荷されたーい!」

「フィンラーンド!!!」

「IKEA生まれの雄豚でございます」

全部太字にしたいくらい、パンチラインだらけだ。

鉄骨渡るターンと、杏さんの話と、うち禁煙だから、のくだりはマジで若林さんイカれてんな!ポイントだったな。

山ちゃんと若林さんのそれぞれの奥底の本音が聴けた。2時間ぶっ通しの漫才自体、そもそもとんでもなくすごい芸だった。

それから、もう一つ、無観客開催の中で、唯一、現地で見届けた「ファン」が、初期のたりないふたりに刺激を受けて今や超メジャーになったCreepyNutsのふたりだったのマジでやばエモすぎて、たりふたよくわかってないCreepyファンにクソ長文で布教して配信チケットを買わせてしまいました。

だって、あのRさんが、武道館でも松永さんに先を越されてろくに泣かなかったRさんが、歌えなくなるほど感極まってる姿なんか、ファンにこそ見てほしいじゃないか。

若林さんに「松永、頼んだよ」って言われて、自分たちがこのライブタイトルの「明日のたりないふたり」なんだってわかっちゃったぐちゃぐちゃの松永さんの顔、見てほしいじゃないか。

その友人が地方にいるCreepy仲間に明日のたりないふたりのことを教えたら、元々山ちゃんのことも結構好きだったらしく、配信を見て号泣してくれて、それをきっかけに今度地元に山ちゃんの140来るから、と140のチケット買ってくれたらしい。

自分がきっかけで、推しの地方公演の動員を1人増やせたのは、私の人生の数少ない自慢です。やったね!

話がそれました。

ライブ後、まだ嗚咽も止まらぬまま、山ちゃんと同じくらい、SNSをハッシュタグで隈なく検索した。

山ちゃんが褒められているのが嬉しかった。

たりないふたりがリスペクトされているのが、最高に気持ちよかった。

多くの人が、たりないことを肯定された、勇気をもらった、背中を押してもらった、と感動して泣いていた。

CreepyNutsのように、背中を押された人たちがきっとあの夜もたくさん生まれて、新たな「明日のたりないふたり」の種を、最後のたりないふたりはたくさん撒いたのだろう、そのこともとても誇らしかった。

けれど、

私は、特殊な業界で確固たる地位を築いて生き抜いている、あんなにもすごい才能を持って、死ぬほど努力してきた特別な人同士の、唯一無二の最高な漫才を見て、

何の努力もしてきていない、何の価値もないクソみたいな自分の人生を重ねて、勇気をもらうとか明日から頑張ろうなんてことは、おこがましくて口が裂けても言えなかった。

ただただ、

ずっと大好きな人が、大好きな人と、12年間自分自身をさらけ出しながら傷つきながら続けてきた、楽しくて面白い最高のエンターテインメントが、大勢の人に見守られ、讃えられながら、堂々と幕を下ろしたことが誇らしく、嬉しくて泣いていただけだった。


推しが、

生き様ごと面白くて、

才能があって、

最高にかっこよかったから幸せ!!!!


ただそれだけ。

私にとって、明日のたりないふたりは、

ただそれだけの、ただのお笑いライブでした。


12年間、お疲れさまでした。


12年間、

たりないままでいてくれて、

最高の終わりをちゃんと見せてくれて、

ありがとうございました。



これからもずっと、山里亮太と若林正恭の生き様を、追い続けてしまうと思います。


ただただ、たりないふたりが、面白いから。


ああ、たりなくてよかった。



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