宝来屋

町屋の 子供村に 野菜運んだついでに

会社で 働いてる従業員に 昼飯買おうと

町屋の宝来屋で タイ焼き と たこ焼きを 買った。

私は 幼少のころ これを主食としてた。

主食なので 小麦粉が 重い。

ずっしりとかではなく もはや アメリカンドックかな。

おばさんに

くださいな。と声をかけた。

おばさんは カレーはあと 3分で焼けますと答えた。

私は それでは

ハムたい焼き 15個と カレーたい焼き15個

たこやき 10個入り 5個 ちょうだいな と 頼んだ。

おばさんは

ハムたい焼き 5枚と カレーたい焼き 3枚

たこ焼き 2個しかありませんと いつものように事務的に

応えた。

それでは それを 全部下さいと お願いした。

焼3分間 沈黙があった。

この 今では おばさんは

その昔、私が子供のころ まだ幼く

お母さんが たい焼き焼いてた。 隣にいつも居た。

お母さんのエプロン引っ張ってさ。まだ幼かった。

娘さん。も あれから40年たって

今では

昔のお母さんがしてたように たい焼き焼いてる。

あのお嬢さんも 今では いいおばさん。

通い続け 40年以上。 宝来屋。

気分がよかったので

俺は 初めて お嬢さんに 声をかけてみた。

彼女も その昔は 小さかった。

お互い 年をとったね。と。

子供のころから 俺たち世代は 働いてたね。

私たちは自営業だから手伝い仕方ないけど 

サラリーマン家庭がうらやましかった・・・・と

俺も たい焼きやに生まれてたら

たい焼き 焼いてたのか、はたまた

たい焼きくんに なって
海に逃げ込んでたのか。

子供時代に 彼女に声をかけてたら 

僕らはどうなってたんだろうか。

彼女は クスリともせず

手を止めずに たい焼き焼きながら

手際よい 包装を終え

最期

毎度!ありがとうございます。

と いう

毎度返しを 初めて聞いた。

子供時代 大勢で いつも ワイワイ行ってた宝来屋。

彼女は いつも 店の向こう側で お手伝い。

もしかしたら 俺は彼女の事を好いてたかもしれない。

少年時代に 戻ったら 俺は 間違いなくロミオになって

毎日毎日 鉄板焼かれて 嫌になっちゃってる

ジュリエットお嬢さんの 手を取り 海に 一緒に逃げ込んだだろう。

淡い思い出は 宝物だ。

変わらないものも 美しい。

何かを背負って働いてる女性は 美しい。

しかしだ。

見事に 新商品とかない。

ハムたい焼き カレーたい焼き  杏サンデー練乳入れ  たこやき

何も 味も 変わってない。

運転しながら 今日も ズボンに たい焼きから
はみ出たアツアツのマヨネーズこぼした。

俺はこの町で生まれた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?