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「音楽」は「音を楽しむこと」ではないのです...

「音楽って音を楽しむことだ」なんて言う人が時々いるけど,それは違うんだ。音楽とは「音で神様をアソバせる」という祭り事なんだ。

「音楽は音を楽しむことだ」という説明にずっと違和感を抱いていた僕は,語源を調べたことがあるんだ。もう随分前のことで,参考にした情報源もどこかにいっちゃったんだけどね。そのときのメモ書きの抜粋は以下の通り。

「楽」という文字は,昔々の神事のときに使っていた,木にどんぐりをつけて楽器にしたものを表す象形文字らしい。 ほら,これだけで,音楽が祭り事と関係することはわかるよよね。でもね,話はもっと壮大なんだ。話を続けよう。

「楽」
は古事記にも出て来る言葉で、 その当時は「アソび/ぶ」と訓読みして、 同じように読む「遊」と同じような意味をもってたらしい。 で、その昔「アソビ」とは「神様への祈りや鎮魂の儀式の際に歌ったり楽器を鳴らしたり踊ったりすることを指していた。この神事での歌舞(うたまい)としての「アソび/ぶ」という言葉は、 神様をアソバせるという意味に由来する。「神様がアソブ」ってのは 「神としての行為を行なう」(神様しかできないことをする)ことで、要は神様が天地万物を治めるようなレベルのことをすることらしい。ほら,ずいぶん壮大な話になってきたね。

神様が「アソブ」度合いがすぎると 「スサブ」となって,非力な我々人間なんぞにはどうしようもない困った状態になる。 今は昔の古事記のお話では、 スサノヲのミコトが「スサブ」もので、 ショックを受けたアマテラスオオミカミは天の岩戸にこもってしまい世の中真っ暗となった。 困った神様が集まって、アメノウズメのミコトが舞踊って「アソブ(楽ぶ)」と、アマテラスオオミカミが世の中を再び照らし 「アソ(遊)バシタ」ってぇわけだ。こんなかんじで、古事記の世界では、「楽ぶ(アソぶ)」とは世の中を異常事態から日常の状態にもどすという神々の「アソビゴト」を意味する。 これぞまさしく神技だ。

「神楽」って言葉もあるよね。 「神楽」はそもそもは「かぐら」でなく「かみあそび」と呼んでたという説があるらしい。 まさに,アメノウズメのミコトのごとく「歌や踊りで神様をアソバせる」というのがそもそもの意味だそうだ。

「楽」を岩波国語辞典で調べてみると 「楽器を演奏する意味(器楽、楽器、楽曲...)」 と共にいわゆる「楽しい」,「心身に苦しみが無く安らかなこと」といった説明がある。 「楽」がそもそも 「世の中を平穏にする神の力」であり, また,「神に平穏を願う歌舞い」でもあったことを考えると,辞典にある「楽」の意味はそこから派生しているとうなづける。

さてさて、お題の「音楽」に戻ると、「楽」の語源を遡って考れば、「音楽」とは「『音』で『世の中を平常な状態に戻す奇蹟を起こす技』」って言えそうだ。 ぁぁ,ごめんなさい。今後,「趣味は音楽です」などとは口がさけても言いませぬ。

ちなみにmusic はね,museの神々のなせる芸事なんだよ。それをヒトがするというのは,やっぱり祭り事になるんだと思う。

難しい話はさておき,祈るような気持ちで真摯に音楽に向き合っている演奏なら,そこに上手いとか下手とかは無いんだと思う。

ぇ? お前の演奏はうるさいだけで,お祈りになっていないって?
ぁぁ,そうか,だから下手なんだ。。。

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