その手に握りしめている手綱を手放すために

うちの夫は、家事育児の天才かもしれない

と、思うことにしてみた。

いや、実際に、うちの夫は本当に天才なのだ。

子どもの遊び相手をすることも、兄妹ケンカをなだめることも、私よりずっと上手い。すぐに「ダメ」とか「やめて」とか言っちゃう私とは大違いだ。(「私と違って、あなたはたまにしか子どもと関わる時間がないからそういう余裕があるんでしょ」って思っていることはナイショ。)

家事だって、大抵のことはだいたいできる。夫が作るお好み焼きは世界一だし、洗濯も食器洗いもササッとやってくれる。(自分が食べたお菓子の袋はいつもその辺に転がっているし、何度言っても夫が洗った食器は裏がベタベタなの、なんとかなりませんか?あ、あとズボンのポケットにしょっちゅうボールペン入れて洗濯するのはやめてね。)

※このnoteは、夫もいつも読んでいます。

* * *

今よりもっと多くの男性が主体的に育児に取り組むようになったら、きっと日本はもっとハッピーでゆるやかな社会になるんじゃないか、と思っている。

それはあくまでも「やるべき」とか「やるのが当然の義務」と言ったプレッシャーを与えている状態ではなく、男性自身がみずから「やりたい」と思える状態をさす。

そしてそれは同時に、これまでずっと女性が「私がやらなきゃ!」と必死に握り締めていた手綱を手放し、よりパートナーを信頼している状態、とも言える。

しかしそれはべつに新しい考えでもなんでもなく、むしろ多くの母たちが切実に望んでいることなのだと思う。しかし、現実の日本社会はそうなっていない。それはなぜか。

* * *

どちらかというとなんでもすぐに指示したり、先回りして注意を促してしまったりと管理的になりがちな私と反対に、夫は基本的にのんびり屋で、あまり細かいことを気にせず、本人のやりたいようにやらせるタイプだ。どちらが正しいとかではなく、カタチは様々でも、夫婦ってそうやってお互いにバランスを取り合っているものなのだと思う。

だからこそ、女性だけが一人で一心に育児の責任を抱え込むのではなく、男性がそこに入り込むことによって、気持ちが軽くなるのではないかと思うのだ。

しかし、「一緒に」と言いつつ、実際には「私のやり方に合わせてほしい」と思っている女性が大半なのではないか。

「夫がなにもしてくれない」とか「いつまで経っても家事レベルが低い」とか「大変さを全くわかってない」とか「いつになったらちゃんとできるようになるのよ」とか。そういう言葉を、女性同士の会話でよく聞く。

これ、要するに「私のやり方が正しい。私のやり方に合わせなさいよ。だって家事も育児も、私の方がずっと長くたくさんやってきてるんだから!」と言いたいのだと思う。その気持ち、よくわかります。しかし、これで家庭に参加したいと思う男性がどれだけいるだろう。

いや、「やりたい」とか「やりたくない」とかではなく、『父親』なんだからやるのが当然でしょ。そんなにお膳立てしてやらなきゃやらないって、おかしくない?という声が聞こえてきそうだけれど。

こんなに針のムシロのような環境で、家庭に自分の居場所を見出すことはかなり難しいのではと思う。それでも真面目な人は、一生懸命取り組もうとするのだろう。「自分は父親だから、そうするべき」と。

でも、ちょっと待って。それって私たち女性がずっとガンジガラメになってきた感情なんじゃなかったっけ?それが苦しくて、抜け出したくてたまらなかったんじゃなかったっけ?同じ苦しみを、今度は男性側に経験してもらおう!だって私たちはずっと長い間それに苦しめられてきたんだから、当然よ!ハハハハハ!

…果たしてそれで、日本の育児を取り巻く環境はハッピーになるのだろうか。

「ちゃんとできるようになったら」とかではなく、まずはじめに、全面的に、無条件に、「うちの夫は家事育児の天才なのだ!」と信じ切ることからはじめてみるのはどうだろう、と思うのだ。

それはあなたの夫が本当に元々そういう人だから言えるんだ。うちは違う。うちの夫はああでこうで…という言葉が聞こえてきそうだけれど。

実はこれ、私自身が一番自分に伝えたい、意識したいことなのだ。

そんなにイクメン夫なのに?あなたはそんなこと考える必要もないでしょ?と、思われるかもしれないけれど、そうではないのだ。こんなにイクメンな夫であるにも関わらず、私はずっと、夫を信じることができていなかった。

「私がやらなきゃいけない。だって夫はアレもコレもあって忙しいのだから。」と、無用な忖度をしていたのだ。夫の方はそんなこと全く求めていないにも関わらず。完全に一人相撲だ。

男尊女卑で、女性は男性を立てて一歩下がるべきと言いたいのではけしてない。男性の役割はこれで、女性の役割はこれだ等と言いたいわけでもない。これはお膳立てでもなんでもなく、なによりも女性自身が、これまで必死に握り締めていた手綱を手放して、よりゆるやかな気持ちで育児に関われるようになるために必要な考えなんじゃないかと思うのだ。

* * *

少し前に、こちらのnoteを読みました。

とても誠実に書かれているなぁと感じます。気になる方は、ぜひ全文読んでいただきたい。

何度も言いますが、保育士は誰にでもできる仕事ではありません。ただ、それを声高に主張することよりも、目の前の子どもたちこれからの子どもたちこれからの保育業界を見据えて、多くの人たちが保育に携われるような環境を一緒に作っていったほうがいいんじゃないかと思っています。

ー本文よりー

これ、家庭にも通じる考えなのではと思う。
なるほどなぁと思った。

男性が家庭に参加しやすい環境を作る。じゃあそのためにどうするのか?そのためには、男性自身が自ら「やりたい!」と思える環境を作ることが必要なんじゃないか。その一歩として、まず信じることからはじめてみるというのはどうだろう。

* * *

すべての男性はそもそも家事育児の才能が備わっている、といった類の言葉を前にどこかで耳にしたことがある。私もこの考えにとても賛成だ。

本来的に男性は狩猟で女性は家を守る生き物、といった捉え方がいまだに多くの日本の社会では主流なように感じるけれど、本当にそうなのだろうか。

うちの夫だけではなく、周りを見ていると、子どもとの関わり方や距離の取り方が上手いなぁと感じる男性がたくさんいる。

すぐに先回りして助言してしまったり、ちょっとハズレたことをするとすぐ注意してしまったり、知らない子どもと遊ぼうとするとすぐに遠ざけてしまったり。女性は比較的、管理的になりがちな傾向にあるような気がするけれど、男性はその反対に、比較的子どもの好きなようにやらせてあげることが得意なように思うのだ。あまりちゃんと見てないだけという説もあるけれど(笑)、それこそが『才能』なのだと思うのだ。もちろんそれに限らず、他にも男性ならではの良さがたくさんあるだろう。

「このやり方が正解」というものがあるのではなく、単純にバランスの問題なのだと思う。女性か男性、どちらかだけが育児の責任を一手に担っていれば、当然バランスは崩れる。そして次第に、支配傾向の強い状態が生まれてしまうのだと思うのだ。その点において、今の時代はあまりにも女性が育児を抱え込みすぎている。

一昔前のように何かあったら父親の一喝が飛ぶような時代は、女性が家事育児のすべてを担う状況は今でもそう変わりはないのかもしれないけれど、精神的な面で、「何かあったらお父様に」という感覚があったのは、女性にとってある意味最終的な責任を負わなくていいという安心感につながっていたのではないかと思う。

それが今では消え去り、家事育児の負担だけが残された。家庭において父親の居場所はほぼ皆無になり、母親だけが家事育児に奮闘するようになった。それが次第に重圧へと変わり、こんなに息苦しい時代になってしまったのではないかと思うのだ。

だからと言って昔のように戻ればいいとは微塵も思わない。今の時代には、今の時代に合った新しいやり方が必要なのだと思うのだ。

そのためにまず、男性の育児能力を信じてみる。そこからはじめてみたい。

この手に握りしめた手綱を、手放すために。

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