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この世界で、私の子どもの心を最も深く傷つけるのはきっと私だ

自分の子どもが誰かによって傷つけられることを望む親など、きっといないだろう。

クラスメイトからのいじめや、先生や上司からの暴言、見知らぬ他人からの中傷等、この先の人生で子どもが何かで傷つく可能性を考えればキリがない。それらから子どもを守ってやりたいと思うのは、親の自然な気持ちだろう。

にも関わらず、きっと実は私自身が一番深く、子どもの心を傷つけてしまっているのだ。今までも、これからも。

* * *

3歳の息子が、ここ最近しょっちゅう「かあちゃん大好き。」と言う。
多いときで、1日10回くらい。

もちろん私も、「かあちゃんも大好きだよ。」と言ってギュッと抱きしめる。
なんて微笑ましい光景だろう、と、そのやり取りを見た人は思うだろう。

本当に心からそう思う。こんなに愛おしい存在は他にいない。もちろん0歳の娘の事も、同じように愛している。

しかしそれと同時に、時々どうしようもなくその存在を鬱陶しいと思ってしまう時がある。
自分で産んだはずなのに。欲しいと思って授かった子なのに。

* * *

人を傷つける行為は暴言や虐待といった激しい言動に限らない。一緒にいる時に発するちょっとした言葉や行動、表情、ため息、そして何より発している空気で、いとも簡単に傷つけることができてしまう。そして自分では良かれと思って発した言動で傷つけていることも、きっとある。それはきっと、0歳の娘でさえも同じなのだと思う。怖いのは、そうと気付かずにそうしてしまっていることだ。

「今は一緒にいたくない」「お願いだから放っといて…」そう思いながらも顔だけは笑顔でなんとかやり過ごすごしている時に、息子はきっと見抜いているのだろう。私の心がここにないことを。
だから繰り返し何度も言うのだ。「かあちゃん大好き。」と。

親の言動が子どもに及ぼす影響力は強大だ。きっと他の人の何十倍以上だろう。
だけどそのことを気にして、絶対に傷つけまいと必死にがんばったらきっと、私は気が狂ってしまう。そして、今更取り繕ったとしても、きっともう遅すぎる。どんなに取り繕っていい親のフリをしたとしても、今までもこの先も、私の子どもの心を最も深く傷付けてしまっているのは、きっと私だ。

例えばこの先、私の子どもが誰かに傷つけられたり、誰かを傷つけたり、あるいは自分を傷つけることがあるとしたら、その心の傷の原点はきっと私にあるのだと思う。

親である以上、それは誰にも避けられないことなのだと思う。避けられる人がもしいるとしたら、それはきっと人間ではなく聖人だ。

いつの時代もそうなのだろう。大昔でも、これから先どんなに時代が進化しても。
だからこそ親業は嬉しいと同時に、苦しいのだ。そして悲しいのだ。

それは仕事のソレとも、他の人間関係とも違う。世界で最も愛する人を、自分が最も傷つけてしまっている。そして自分も、自分の親に傷つけられている。そのことを、きっと誰もが心のどこかで少しずつ感じているのだろう。それは永遠の矛盾だ。

しかしその傷が、その先の人生の熱量を生み出す大きな源になることもある。少なくとも、私の場合は。しかしだからと言って、開き直っていくらでも傷付けていいわけではけしてない。

だからせめて、そのことを自覚しておきたいのだ。この世界で、私の子どもの心を最も深く傷つけるのはきっと私なんだ。

私にできることは、少しでもたくさんの楽しい思い出を作る事。自分が間違っていたと思ったらまっすぐに謝ること。そしてできるだけたくさん子どもを抱きしめる事。「大好きだよ。」と言葉にして。


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