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雨の日曜日、スーパーの片隅で

ピッ ピッ ピッ
いらっしゃいませー
ありがとうございましたー

高く鳴り響くレジの音と、店員の声。
往来する人のカートを引く音と、チャカチャカと微かに聞こえるBGM。
時折聞こえる子どもの柔らかい声と、大人の話し声。
店内の隅々まで薄白く照らされた照明。

日曜日のスーパーは、色々な音と色で溢れている。

片隅のイートインスペースで、息子とともに店内で買ったメロンパンをかじっている。娘は抱っこ紐に抱かれたまま、私が小さく一口サイズにちぎったパンをハムハムと咀嚼している。それを飲み込むとすぐ「もっとちょうだい!もっとちょうだい!」と言っているかのように、抱っこ紐からぶら下がった短くて丸っこい足をバタつかせる。

外は大粒の雨が斜めに降っている。

子どもが生まれてからというもの、スーパーはすっかり私の憩いの場になっている。
特にこの片隅にあるイートインスペースが、私にとってつかの間の休息の場所だ。
笑顔でいなくてもいい場所。『母』でなくてもいい場所。

* * *

これでも、学生時代はスタバでアルバイトをしていたことがある。何をしても長く続かなかった私が、初めて長く働いた場所がスタバだった。薄暗い間接照明、シックな内装、聞き心地のいいジャズ、人々のどこかくぐもった話し声、豊かなコーヒーの香り、そこで働いている自分。そのすべてが好きだった。ご多分に漏れず、あの年齢の女性にありがちなカフェ巡りも好きだった。しかし今ではすっかり、スーパーが私の居場所になっている。

ちょっと前まで、イートインで食べたり休んだりしている人を見ると「よくあんなところでごはん食べられるなぁ」と思っていた。そこはレジからも出入り口からもよく見える場所に設けられている。恥ずかしくないのかなぁとさえ思っていた。しかし気が付いてみると、今では自分がすっかりそこに収まっている。今ではちょっとした休憩だけでなく、時々お昼ご飯をそこで済ませることさえある。

家で朝からずっと子どもと2人きりで過ごしていて息が詰まりそうになったとき。
近所の子育て支援センターが休みで、しかも雨が降っていて外遊びもできない日。
レストランに行くのはハードルが高すぎるけど、家で子どもと2人きりでごはんをあげるのがしんどいとき。

特別まとめ買いをする必要がなくても、牛乳1本や卵1パックのために、スーパーへ行く。

明るい照明。人々の雑踏。

知らない人ばかりだけど、そこに行くとなんとなくホッとするのだ。
「あぁ 私はひとりじゃない」と。

* * *

その日は日曜日だというのに、夫は珍しく仕事が入っていた。

外は朝から雨が降っていて外に出られないストレスのせいか、息子も娘もなんとなく機嫌が悪い。ついでに私も低気圧のせいか、体が重だるい。

よし。こんな時は、スーパーに行こう。

娘を抱き、荷物を持ち、息子の手を引いて車に乗り込む。たったこれだけでも一苦労。雨の日ならなおさらだ。
娘のお茶飲みたいアピールと息子のおやつ欲しいコールに対応し、「あぁアレを忘れた」と家に戻って忘れ物を取りに行き、やっと発車。行き付けのスーパーまで車を走らせる。

空はどんより曇り空。大粒の雨がフロントガラスを次々に打つ。

スーパーは知らない人ばかりなところがいい。人に会いたくないのであれば家にいればいいのだが、そうではない。今は知ってる人には会いたくない。でも人がいるところに行きたい。そんなとき、私にとってスーパーはちょうどいい場所なのだ。

週に2、3回行く子育て支援センターにもとても助けられている。顔見知りになった保育士さんや他のママ達と、ちょっとでも会話ができることに何度も救われた。それでも、毎日行くのは正直疲れてしまうのだ。そこにいるときは常にニコニコしていなければいけないような気がすること。『母』を演じていなければいけないような気がすること。そのすべてが、重荷に感じる時がある。しかし、スーパーは違う。

2人も子どもを抱えながら買い物をするのだから、当然『母』として振る舞う場面もある。子どもが何か粗相をすれば注意するし、知らないおじいちゃんやおばあちゃんに話しかけられれば瞬時に『母』の顔に戻る。

もちろんもし余裕があるのなら子ども無しで、オシャレなカフェでゆっくりしたい。そこでなら、完全にオフの状態で居られるだろう。しかしそれは、状況的に今はなかなか難しい。もし、オシャレなところに行きたいからと子連れで無理矢理そんなところに行ったとしたら、全く楽しめないどころかむしろ周りに気を遣って返って疲れるだけだろう。そんな私にとって、スーパーのイートインスペースは『母』として子連れで行けるギリギリの、『母』を演じすぎずに一息つける場所なのだ。

変化を受け入れるとは、こういうことなのかもしれない。

昔は好きだったオシャレなカフェ。好きだった薄暗い照明と落ち着く音楽。今はそれらとはすべて真反対の場所にいるけれど。それを今の幸せとして受け入れていければいいのだと思う。変わらないものはなにもないから。

雨の日曜日。スーパーの片隅。ここが今の、私の居場所。

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