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子育てにおける孤立 ー小さな自尊心を打ち破るー

けして友達がいないわけでも、サポートがないわけでもない。それなのに、自分たち親子は社会から孤立している。そう感じることが、よくある。

週に2、3回は、近所の子育て支援センターや児童館に遊びに行っている。公園にもよく行くし、たまにはママ友とその子ども達と一緒に遊ぶこともある。近所の人たちは道でばったり会えば声をかけてくれる人もいるし、遠くに住んでいる両家の親はたまに様子を見に来てくれる。それなのに、孤独なのだ。

公共の施設はどこへ行っても「親は子から常に目を離すな」という暗黙のルールに縛られ、常に親が子どもの後ろにピッタリくっついている現象が生まれる。そのため、子どもがほんのちょっと他の子に向かって物を投げたり体が当たったりするだけでも側で見ている親はドギマギし、オモチャの取り合いでも始めようものなら親はすかさず自分の子を引っ込め、相手の子(と見せかけて相手の親)に「ごめんね〜」と謝る。
大きなケンカならまだわかるが、この現象が本当にちょっとした小競り合いや、ちょっとした子どもの粗相(自分の子が滑り台の階段をゆっくり登っていたら後ろから他の子が来て詰まってしまった、自分の子が他の子が遊んでいる所に混ざろうとした等々、粗相と呼ぶほどでもないような事)でも起こっている。この状態で子ども同士の交流が自然発生的に生まれる余地は、ほぼないと言っていいだろう。そして、これは自分の子のためでも相手の子のためでもなく、「私は親としてちゃんと自分の子を見てますよ、対応してますよ」という、自分の小さな自尊心を守るためのアピールでしかないのだ。結果、家にいようと外にいようと、子どもの相手は常に親がせざるを得ない状態が生まれている。

現代の子育てにおける孤立には、2つの要素が絡み合っている。親の孤立(おしゃべり相手、相談相手、育児サポート)と、子の孤立(遊び相手)だ。この問題は、親が仕事をして子は保育園に行く、あるいは地域のママサークルにでも入れば、容易に解決することかもしれない。しかしいくら少子化とは言え、子ども向けの施設や公園に行けば周りにはこんなにもたくさんの親と子がいるのに。それなのに、特定のコミュニティーに入らない限り親も子も孤立してしまう社会ってなんなのだろう…と考えはじめると、たまらなく悲しい気持ちになる時がある。 

この現象はきっと、日本の自己責任社会の縮図なのだと思う。それは極端に言って「周りは全員敵だ」と感じているのと同じことだ。けれど、もしかしたら、誰しも少しずつ似たような事を思っているのかもしれない。だとしたら、「周りは全員敵」から「周りは全員味方」という見方に変えれば、関わり方は大きく変わるのかもしれない。

テーマは全く違うけど、小野美由紀さんのこちらのnoteを読んだ時も、「あー、わかる…」と強く感じた。

現代の日本における子育て環境の孤立は、すでに親が他界しているとか、無縁状態で育児サポートが容易に受けられないといった特別な状況下にいる人だけでなく、どこにでも、誰にでも起こっている事なのかもしれない。もしそうなのであれば、自分だけの小さな自尊心を守るのは辞めて、すぐ隣にいる人に自分から声を掛けてみる。それだけで、見える世界が少し変わるような気がする。

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古川 明美

2児(3才息子と1才娘)の母。長野県の自然学校にて子ども対象の野外活動インストラクターとして活動。現在は育児に専念中。「しあわせな育児」をテーマに、誰もがゆったりと、心豊かに育児を楽しめる社会について模索するnote。たまに暮らしや仕事や趣味の話あり。

子育ちエッセイ

たまらなく愛おしいと思うこともあれば、どうしようもなくしんどいと思うこともある育児。その両面をコトバにできたらと思っています。
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