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開業までの経緯④(事業計画書など)

出来る限り週1ペースでの更新をと思っていますが、間が空くと何を書いていたのか忘れてしまいますね。あらためて、このnoteはCenterのこれまでの記録として、そして近い将来、情報発信の手段のひとつとなることを目指し、そのうち何か身を結ぶかなと気の向くままに書いています。

Centerのこれまでの記録としては
はじめましてCenterです(開業までの経緯①)
開業までの経緯②(どんな行動を起こしてきたか)
開業までの経緯③(スペースのこと)

ということで、今回は②の続きのような位置付けで書いてみようかと。またビジネスっぽい内容になりそうです。写真は栃木県益子町の風景。


実際に足を運び始める(2018年~)

益子への移住計画(断念)

実は栃木に移住をと考え始めた当初は、陶芸の町・益子が移住先の第一候補でした。春と秋に開催される陶器市が好きで、センスの良い店もたくさんあり、土地のお祭り・土祭(ひじさい)鈴木昭男さんのパフォーマンスを見たり、実験音楽のCDショップ・Art into Lifeがあったことも大きく、事あるごとに帰省の際には益子へ遊びに行ってました。田巻も、縁あって小さい頃から益子に足を運んでいたということもあり、もう益子に住みたいよね、と。

その証拠に移住ツアーにも参加した様子が掲載されています(!)。

ツアーでもとてく良くしていただき、今でも益子は大好きな町なのですが、Centerをやるにはいくつかのネックがありました。①東京からのアクセス(電車が無い)、②実家からの距離(宇都宮から1時間弱)、③住民の少なさ(益子町2万人・鹿沼市9万人・宇都宮市51万人)、④冬はめちゃくちゃ寒い(これは鹿沼も同じでしたが)。特に海外からのお客様は東京からの移動が多いであろうということを見越し、①はかなり厳しかった。②は子供がまだ小さかったので、何かあった時には実家を頼りにしたい気持ちがあった。③についても、宇都宮の方が人口が多い分、イベントに来てくれるお客様も多いのではと。益子にはすでに文化もあるし、もしかしたらCenterのやることは少々ミスマッチかも、と苦渋の決断ではありましたが、益子移住計画は見送ることとなりました

宇都宮での物件探しスタート

上記の理由もあり、じゃあ(実家もある)宇都宮にしよう!ということで、今度は宇都宮での物件探しがスタート。2019年の正月の帰省早々、近所を歩き回ったり、知り合いの不動産屋さんに足を運び、物件情報があれば紹介してもらうことになりました。とはいえ、このあたりからすでに私は第二子を妊娠しており、移住・起業計画もしばし小康状態に。そうこうしているうちにコロナで宇都宮にも足を運びづらくなっていきました。

開業の計画を立てる(2018年~)

ネリサポに行ってみる

起業についてあれこれ調べるとまず初めにぶちあたるのが、事業内容や目的、コンセプト、売上、資金調達などを記載する『事業計画書』の存在だと思います。起業内容を整理して融資を受けるためにも、まずはこれを作ってみようから始まる訳なんですが、どこの自治体にも起業初心者をサポートしてくれるサービスがあり、我々も当時住んでいた練馬区の練馬ビジネスサポートセンターのセミナーを受講したりしました(2018年夏)。
基本、真面目なので、セオリー通りにやります。

創業塾に参加

とはいっても、やはり栃木のつながりを作らねばということで、栃木県産業振興センター創業塾にも参加しました(2020年夏)。約1か月、全5回、毎週開催されるセミナーに参加すると、融資や助成金の申請資格が認められるのですが、結局諸々の事情もあり、申請資格といった面ではあまり意味がありませんでした。
つながり作りとしても、当時はコロナで東京にいる私は他県への移動が難しく、オンライン参加となったため、参加者とはほとんど顔も合わせないままとなってしまいました。が、色々と勉強になりましたということだけは言っておきます(内容あまり覚えてませんとは言えない)。
あとは商工会でも起業セミナーがありましたが、セミナーばかり受けててもしょうがないかなと、こちらは受講しませんでした。

事業計画書の苦しみ

事業計画書は2019年にver.0の作成から始まり、2022年に金融機関に提出する頃にはver.14まで更新を重ねました。実際はver.14に至るまでに何度も見直しているので、数えてみたら70-80ファイルくらいありましたが、これは正直、やり過ぎだったし無駄な労力だったと思っています。というのも、売上高と経費の試算が細かすぎて、子供を寝かせては夜な夜な会議を開き、土日には有料の保育所に子供を預けて会議を重ね、平日には会社勤務もあり限界に達した私はなんとかホットラインの相談窓口に泣きながら電話をしたりもしました。辛かった。

それなのに結局蓋を開けてみたら、売上高も経費もまっっっっっったく異なる数字となりました。まさに机上の空論。今事業計画書(の数字の部分)を見返すと本当に恥ずかしい。事業計画書はコンセプトや事業内容がブラッシュアップされていれば、数字の部分はもっとざっくりで良かったかなと思っています(個人の見解)。単に経営力が皆無なだけかもしれない。

ここまででようやく2020年あたりまで到達しました。2022年の開業まであと2年。実際には色々と並行して進んでいたりするので時系列での整理は少々難しいのですが、、、あとは最終的に鹿沼に決めた経緯とか、街との関係性とか、改装工事のこととか、そんなところだろうか。あと2-3投稿じゃ終わらなさそうだなあ。早くオープンまでこぎつけたいのですが、④へ続く。

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