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キルギスを知るための10皿

中央アジアに位置する小国キルギスは天山山脈の高い山々に囲まれた山岳国家である。シルクロードの東西交流の経路にあたる中央アジアには砂漠のイメージがあるがキルギスは夏でも雪を頂く山々や緑豊かな高地草原が広がる光景を見ることができる。この国の主要民族であるキルギス人はもともと遊牧民である。ソ連時代に定住化が進められたが彼らの食文化には今なお遊牧の伝統を受け継ぐものが多くある。肉と乳製品が中心となる遊牧民の食は素朴だと思われがちであるが、日本人など農耕を行ってきた民族には想像を超えた豊かな食の世界が広がっている。また、キルギスは多民族国家でもあり多様な背景を持つさまざまな民族の個性的な食文化を見ることができる。ここでは文明の十字路であるキルギスの知られざる食の世界を紹介していくこととしたい。

① ベシュバルマク

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遊牧民であったキルギス人にとって最も重要なごちそうとされているのがベシュバルマクである。「五本の指」という意味を持つ麺料理で、幅広の切り麺の上に羊肉や馬肉を乗せたものである。遊牧民にとって高価で貴重な食材である小麦粉を使った麺料理であり、冠婚葬祭などの儀礼や遠来の客をもてなす際に作られる。筆者がいただいたべシュバルマクは、わざわざ羊のソイ(屠畜)を行ってから作られた。肉は長時間茹で、塩で味付けしただけだとは思えないほど柔らかく、麺と一緒に食べるとその濃厚な味わいに驚くほど美味しく感じられた。

② クムズ

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クムズは馬乳酒である。キルギス人など遊牧民にとって馬は生活に無くてはならない家畜であり特別な存在である。馬が持つ優れた機動力によって遊牧民たちはかつて中央ユーラシアの草原の覇者でもあった。キルギスには馬にちなんだ地名も多い。馬乳をアルコール発酵させたクムズは酒と言ってもアルコール分は1〜2%とごくわずかで健康飲料のような扱いである。栄養的にも優れており小さな子どもも飲んでいる。灰を混ぜると飲みやすくなるそうで飲んでみると燻製のような香りと強い酸味がした。馬乳は夏の間しか搾乳できないうえに長期保存ができないので、クムズは夏の飲み物である。

③ クルト

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クルトは乾燥チーズである。キルギス人など遊牧民は肉と乳製品が主要な食文化である。
日本では最近までほとんど乳製品が使われてこなかったので、遊牧民の乳製品がどのようなものかイメージするのは難しいのであるが、キルギスではきわめて多様な乳製品を見ることができる。遊牧民にとっての乳製品はそのままでは腐敗しやすい生乳を加工することによって長期に保存し安定的に食料とすることに重点が置かれている。このうちクルトは生乳からアイラン(酸乳=ヨーグルト)→スズメ(脱水チーズ)→加塩+乾燥という過程を経て作られる。酸味と塩味が強いので癖のある味わいだが長期に保存することができる貴重な食料である。

④ ボルソック

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ボルソックは揚げパンである。小麦粉の生地を5センチ四方の四角形に切って油で揚げただけの素朴なものであるがキルギス人にとっては宴会の場や客人をもてなす際のごちそうである。揚げたてのボルソックにカイマックというクリームや蜂蜜をつけて口に入れるとほのかに甘く、いくつでも食べられる。現在のキルギス人は定住して農耕を行う者もあるが、そもそも遊牧民は小麦などの農耕は行ってこなかったので、小麦粉などの食材は定住民から交易などによって手に入れる高価で貴重なものであった。その小麦粉をふんだんに使い大量のボルソックを揚げてテーブルの上いっぱいに敷き詰めて豪華な宴会を演出するのである。

⑤ プロフ

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プロフとはピラフのことである。油炒めした羊などの肉とニンジンといった具を用いて鍋で米を炊き込んだ料理である。信じられないほど大量に油を使ったほうが美味しくなる。黄色い見た目はニンジンによるもので、味付けも塩とクミンしか使っていないにもかかわらずご飯に肉の出汁が染み込んでとても美味しい。プロフに使われる米は様々であるが、特にキルギス南西部のウズゲンで産する赤米を使ったものが特に美味しいとされる。キルギス南西部の都市オシュは定住民であるウズベク人が多く住み、本格的なプロフを食べることができる地域である。もともとは中央アジア南部のオアシスで農耕を行ってきた定住民の間でのごちそうであったが、現在では遊牧民の世界であった北部などを含めて中央アジア全域で好んで食べられている。プロフは「食べもの」を意味する「アシュ(オシュ)」とも呼ばれ、まさに中央アジアのソウルフードであると言えよう。

⑥ ディムダマ

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ディムダマは羊などの肉とジャガイモ、パプリカ、ニンジンといった野菜を蒸し煮にした中央アジア版の肉じゃがである。この料理は鍋に蓋をして野菜の水分だけで作られるのだが、これは砂漠の多い中央アジアでは水が貴重なものであるという乾燥地域ならではの料理法であろう。味付けはやはり塩だけなのだが、肉や野菜の素材の持ち味が最大限に引き出されていて味わい深い。もともとは先に挙げたプロフと同じように中央アジアの定住民の料理であるが、遊牧民であったキルギス人の間でもソ連時代以降に定住化が進み、農耕を行うようになるなど野菜が簡単に得られるようになったためこのような野菜を多用する料理も一般的になった。

⑦ ラグマン

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ラグマンは中央アジアのうどんとも言える麺料理である。キルギスだけではなく、中央アジア全域で食べることができる。シルクロードの経路にあたる中央アジアは古来よりさまざまな文化の影響を受けており、ラグマンは中国文化の影響を受けたもので漢語の「拉麺」が語源とされている。「拉」の字には引っ張るという意味があり、ラグマンの麺も小麦粉の生地を引っ張って伸ばす手延べ麺である。麺はかなり太く、ラーメンよりうどんと表現したほうがわかりやすい。ラグマンには平皿の麺の上にトマト味の肉や野菜の具をかけたものや、スープ麺、焼きうどんなどさまざまなバリエーションがあり日本人にも馴染みやすい料理である。

⑧ アシュリャンフー

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キルギスは多民族国家であり、さまざまな民族が個性的な食文化を伝えている。アシュリャンフーはドゥンガン人の麺料理である。ドゥンガン人はもともと中国の西北部に住んでいた回族と呼ばれるムスリムであるが、清朝末期の太平天国の乱の混乱のなか、中央アジアに逃れてきた民族集団の末裔である。アシュリャンフーはリャンフー(涼粉)と呼ばれるデンプンでできた麺状のゼリーを小麦粉の麺の上に乗せて冷たいスープで食べる中央アジア版冷やし中華のような料理である。スープは辛くて酸っぱい味わいで、辛い料理は中央アジアではとても珍しい。もともとリャンフーだけで食べていたのが、きちんとした食事にするために後に小麦粉の麺の上にリャンフーを乗せて食べるようになった。アシュリャンフーの「アシュ」とはキルギスの言葉で「食べ物」を意味し、このような「アシュ」+「リャンフー」の組み合わせは中央アジアで完成された特徴的な料理であると言えよう。

⑨ ククシ

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ククシは中央アジアの少数民族である朝鮮人(高麗人)の麺料理である。彼らはもともとロシア極東の沿海州に住んでいたのだが、第二次世界大戦中にスターリンから日本のスパイであるとの疑いをかけられ中央アジアに追放された民族の末裔である。現在でもキルギスには多くの朝鮮人が住んでおり、バザールではキムチを見ることができる。ククシは酸味のある冷たいスープで食べる麺料理で、具には酢漬けの野菜や卵、焼き肉が乗せられており華やかな見た目である。中国や朝鮮では長い麺には「長寿を願う」という意味があり、ククシは結婚式などの慶事に食べられるハレの料理である。苦難の歴史を歩んできた中央アジアの朝鮮人は現在ではロシア語で生活を行い、すでに朝鮮語を話せる者も少なくなってきたが、民族の伝統を失わないために「長寿を願う」という象徴的な意味を持つ料理を伝えているのだろう。

⑩ ガルプツィ

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近現代の中央アジアの歴史に大きな影響を及ぼしたのがロシアであり、食文化でもロシアの影響を見ることができる。家庭でも作られているロシア料理のひとつがガルプツィである。ロシアのガルプツィはひき肉をキャベツで巻いたロールキャベツのことであるが、キルギスのガルプツィはピーマンの中にひき肉を詰めたものである。コーカサスや西アジアなどの地域ではブドウの葉でひき肉を包んだりピーマンの肉詰め料理にドルマというものがあり、ドルマは中央アジアにもある。ロシアのガルプツィはドルマに似た料理であるが、そもそもロシア料理自体がさまざまな文化の影響を取り入れて形作られたものである。よってキルギスなど中央アジアではガルプツィは馴染みやすく、外来の料理なのか中央アジアの伝統的な料理なのか境界があいまいである。このあいまいさこそが、古来よりさまざまな文化の影響を受けてきた文明の十字路である中央アジアらしい食文化と言えるのではないだろうか。

先崎将弘(中央アジア食文化研究家/おいしい中央アジア協会)

関連書籍  先崎将弘著『食の宝庫キルギス』群像社 2019年 

http://gunzosha.cart.fc2.com/ca23/221/p1-r-s/

※この記事はカフェバグダッド「この広い世界を知るための10皿」との共同企画です。https://note.mu/cafebaghdad/m/md0b6f625ecbf

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