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「もう1度食べたいポロ。」①西安でのポロ

 ポロ(プロフ、抓饭)について2回分記事を、とお話をいただいたので、個人的な思い出になるけれど「私がもう1度食べたいポロ」について書いてみる。

  初めてポロを食べたのは2007年の7月頃。留学先の中国・西安に着いて2、3日後。先輩の留学生が連れて行ってくれた校舎近くの路地にある小さくて小汚いウイグル料理の食堂。最初に食べた時の事は残念ながら覚えていない。気付いたらポロを食べるのが当たり前になっていた。その食堂は全部でテーブル席が8席くらい。薄暗くて顔立ちや言葉も違うウイグル族のお店。たまに中国語が通じない。最初に連れてこられたときは少しドキドキしてた気がする。いくつかの大学が近くにあるので学生の利用が多かった。その頃も中国国内でのウイグルの問題は複雑な事もあり、客の漢族とウイグル族の店員のやり取りは注文等の必要な事のみ、特にギスギスもして無いが和やかだった様な印象も無い。でも安くて美味しいから皆が食べに来た。  

(着いて数日後に食べたポロ。)

  中国では外食の機会が多い。寮の共有のキッチンもあるが自炊は何かイベントがあった時くらいしかしなかった。学食か、学校近くの安い食堂か。今よりも物価が安かったこともあり、私は節約して1日の食費は3食で20元(約350円)を目安にしていた。 留学生2〜4人で週に1〜2回は行っていた食堂。日本人達が毎週のように来るので顔も覚えられて話しかけられ、ウイグル語の単語を教えてもらったり、ヒマな時は楽器(ドタールか?)を弾いてくれたり。一緒に写真も撮ったりした。当時は飛行機よりも列車で安く移動する人が多く、故郷から西安まで列車で35時間くらいかかる、と聞いて驚いた。 

(行きつけの食堂。お客さんがいないとき楽器を弾くウイグル族のお兄さん。壁にも楽器が。)

 少し西安の話をしたい。西安といえばシルクロードの起点とも言われている古都。昔から様々な文化や人々が集まった場所。有名な観光地の1つ「回民街」は中央アジアではドゥンガン人とも言われるイスラム教を信仰する回族が多く住んでいる。中国語では清真寺と言われるモスクも大きいものから小さいものまでたくさんある。食堂の看板や店内には清真(ハラル)の表示あり、お酒も持ち込み禁止。回民街のウイグル料理屋に行くとパキスタンやタジキスタン、トルコの留学生達も見かけた。私の留学していた大学は当時はカザフスタンの留学生が1番多く、日本人留学生約20人に比べてカザフスタンの学生は約150人以上いた。その他にもキルギス、タジキスタンの留学生がいてロシア語も飛び交っていた。

  さて、先ほどの大学近くの食堂の話に戻る。なぜだかその店ではラグメン(ラグマン)を食べた記憶があまり無い。いつも注文するのはポロ、ナン(ノン、馕)、羊肉串。数人でシェアする。たまに独り占めしたくて一人で行って羊肉串を20本(お肉は小さめです。念の為…。)テイクアウトしてこっそり食べたことがあった。 ポロは肉の塊を入れてもらうと少し値段が上がるが、そのお肉の柔らかいこと…。皆でシェアするとその肉の取り分も減るので、やっぱり独り占めしたくて一人で行って食べたこともある。昔から食い意地が張っている…。

(そのお店の羊肉串とナン)

 1年間ほぼ毎週食べていたポロ。もともと歴史に興味があって西安に留学生した私。帰国1ヶ月前の2008年夏にはシルクロード1人旅にも出かけることになる。まだその頃はウイグルの文化に特別な興味はなくてメインは嘉峪関、敦煌の観光。そこまで行くのだからウイグルにも行って美味しい羊とポロとラグメン食べてこよう!という、またまた食い意地の張った理由からウルムチとトルファンも旅の予定に追加されたのだった。またその後も何度かウイグルへと旅立つこととなる。その事については次回。 

 留学して初めて食べた食堂のポロ、その店で最後に食べたのは帰国日の数日前。その時の写真は残っていない。日常的に食べるものになっていたから。 

 今、お店はどうなっているのか。実は留学から帰国して就職活動等でバタバタし、次に西安を訪れたのは2年後の2010年だった。大学の中にある宿泊施設に泊まり留学生活を懐かしむ。「ポロと羊肉!」と1人でお店に向かった。 その場所にお店は無かった。どうしてもポロが食べたくて遠出して他の店で食べた。美味しいけれどなんだか違う気がする…。悲しい気持ちで店を後にした。その後も、勝手に第2の故郷と思っている西安には現在までに8回程行っている。しかし大学の近くに行ってもその店のあった場所には何となく行けていない。 次回行くときには行ってみよう。 見かけは怖そうなお兄さんが実は笑うと可愛くて、ヒマになるとちょっとこっちを意識しながら楽器を弾き始める、そんなあのお店がそっくりそのままあの場所にあればいいのになぁ。またあのポロを食べることができたら少し泣いてしまうかもしれない。

Yoshikawa Kazuyo

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