見出し画像

子どもの頃の勉強って

今回は中学校の勉強について。

大人になって思うのだが、
中学校で習ったことはほとんど必要ない。
顕微鏡の使い方が分からなくても電車には乗れるし、
江戸幕府を知らなくてもスマホは使いこなせる。

中学生だって思っているはずだ。
こんなことを勉強して、なんの意味があるのか、と。

まあ、意味はあまりない。
というのが、正直な答えだ。

でも大人は言うんだ。
勉強しろ、と。

意味がないと分かっているにも関わらず、
勉強をやらせる。
意味がないと分かっているにも関わらず
テストで高得点だと褒め称える。
なんとも滑稽で矛盾だらけだ。

こんなことを言うと中学生は大抵、
ほらやっぱり。じゃあ勉強はしない。
と結論を出すだろう。

ここまで書いてきてあれだが
中学生に言いたい。

黙って勉強しろ。成績を上げろ。

大人が揃って勉強しろという理由はなぜか。
それは『選択肢』の問題だとぼくは考えている。

例を挙げて話を進めていこう。
例えばぼくの前職、小学校教員。
小学校教員になるためのステップはこうだ。
①教員免許を取得することが可能な大学(短大)の学部に進学する
②教員採用試験に合格する
大きくこの2つが必要なステップだ。
そして最も大事なステップが①だ。
要するに
大学に行けないなら先生にはなれないよ、と。
高卒では先生という『選択肢』は消える。

医者になりたければ医学部に進学しなければならない。
医学部なんてどこも異次元の偏差値が必要になる。
その辺の高校生には到底届かない世界だ。
つまり、抜群に勉強できないなら、
医者という『選択肢』は消える。

この他にも勉強していないことが原因で
消えていく『選択肢』がこの世には溢れている。
でも子どもはそのことを知らない。
大人はそれを知っている。
いや、正確には経験しているのだ。
自分の人生において、
いくつもの『選択肢』を失っているからだろう。

もっと勉強しておけば、こんなこともできたかも…。
そう思う大人が大半なのだ。
偉そうなことを言っているがぼくもその1人だ。
今の知識と経験をもって子どもに戻れるなら、
死ぬほど勉強して宇宙飛行士を目指すだろう。
少なくとも大学生になる頃のぼくには
宇宙飛行士という『選択肢』はなかった。

中学校で勉強する「内容」に関して言えば、
確かに大人になれば、大半のことは意味をなさない。
これは真実だ。

しかし、勉強してより高いレベルでいることは
人生において大いに意味がある。
勉強していればたくさんの『選択肢』の中から
自分の人生を選ぶことができるようになる。

だってそうだろう。
偏差値が70あればほとんどの高校に合格できる。
選びたい放題だ。
一方偏差値が30だったら。
申し訳ないが選べる高校は少しだけだ。
それも劣悪な環境が待ち受けているものばかり。

『選択肢』は人生の豊かさに直結するだろう。
より自由に働ける社会がやってきて、
より一層、個人に焦点が当たる社会において、
いくつもの『選択肢』を君はもてるだろうか。

ぼくは今、記事を書き続けるという努力を続けている。
それはライターという『選択肢』を増やしたいからだ。
学習塾の経営には様々な物理的要因で限界が来るのは明白だから。

中学生にできる努力はなんだ?
誰にでも努力する権利が与えられているものはなんだ?

今回は中学生の勉強の大切さを
大人になったときの『選択肢』の数で考察しました。
『選択肢』の少ない人生に後悔して
「もっと勉強しておけばよかった」と思うのか、
自分の理想に近い『選択肢』を手にして
「勉強しててよかった」と思うのか。

すべては今の自分の『努力』次第だ。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?