見出し画像

るみ姉へラブレター


 タイトルで既にお分かりと思うが、これはるみ姉へのラブレターである。

最初にるみ姉の記事を拝見した時は、まだわたしはフォロワーにもなっていなくて、それはTwitterでシェアされた記事だったと思う。
その頃から、るみ姉の書くものの、言葉の選び方、文章から伝わる温度、感情の揺れ動き、決して読者を置き去りにしない、いつも画面のこちら側を意識して書いてくれているような感覚がとても好きで、読ませていただいている。

先日、ふと思い立って、るみ姉の過去記事にお邪魔した。それは2018年の記事。そこから数日かけて2018年の記事をまず読ませていただいて、本当はすべての記事を拝読し終えてから、とびきり好きなnoteをご紹介しようと思っていたのだが…多い。お気に入りの記事が多すぎる。多すぎてこれは1本のnoteにはまとめきれない。

ということで、まずは2018年の記事の中から、とびきり推しなるみ姉の文章たちをご紹介させていただこうと思う。

では、スタート!


 ご友人のお子様の話から始まるこちらの記事。自分の世界の広げ方、広がりについて書いてくれている。わたしも基本引きこもり族なので(笑)、共感する部分が多かった。わたしは、世界は広いと感覚的に思っているが、自分の世界を広げることに、特に人との繋がりを広げていくことにちょっと躊躇いがある。もし会って話して、幻滅されたら?思っていた人と違ったと思われたら?一緒に出掛けて、ただ話をしていた時は感じなかった違和感を持たれたら?と、とにかく臆病であることは自覚している。そんなわたしの臆病さに、優しく背中に手を添えてくれるような、そんな思いがした。


 職場での出会いを書いたこちらの記事。人との出会いの大きさを、彼女への溢れんばかりの想いとともに書いてくれている。仕事を通じて出会った彼女の存在が、だんだん大きくなってゆく感じ。自分の行動の原動力、そういったものは環境や人なのだと、改めて感じた。実はこの彼女、ここではイニシャルが出ていないのだが、時々るみ姉のnoteに現れる彼女ではないかな、と思っている(るみ姉、違ったらごめんなさい💦)。何がきっかけでかけがえのない間柄になれるかなんて、本当にわからないものだ。


 るみ姉の自己紹介と受け取れる記事。ライティング・ゼミについて、noteを始めた理由について教えてくれている。こちらの記事のラストに、ライティング・ゼミ プロフェッショナルで当時自己ベストを獲得したという記事が紹介されている。これがほんっとうに素敵な記事で、実はまとめnoteを書くと決めていたにも関わらず、その記事だけ先にTwitterでシェアさせていただいたほど大好きだ。これは是非、沢山の方に改めて読んでもらいたいと思わせる、るみ姉ご夫婦が羨ましくなるし心がほわっと温かくなるし胸きゅんだし…という、思わずるみ姉にハグをしに行きたくなる記事なのである。本文中には、”よかったら読んでみてください”とるみ姉が書いているが、個人的には、ぜひ読んで!!!という気持ち。


 ”何かの決断を迫られたとき、あなたはどうしますか?”という言葉から始まるこちらの記事。自分に置き換えて考えてみながら読み進めた。るみ姉がひとつの決断を下すまでの流れを、気持ちを丁寧に綴られている。何かを決断する時、いろんな不安が胸をいっぱいにしたり、後ろ向きなことばかり考えてしまいがちなわたし。つい癖で、最悪のパターンを想像して、ではそうならないためにどうするか、のようなところから考え始める節がある。それでもいいのかもしれないけれど、”やってどう思うのか”という視点はとても大切だと思った。


 ”いつのころからか、自分に自信がなくなった。”という冒頭の一文で心を掴まれた。自分に自信を持てたことなど、数少ないからだ。そもそも自信ってどうやって持つんだっけ、などと考えてしまうこともある。アクセサリーを制作していて、出来上がった瞬間は「いいものができた!」となるけれど、それをminneに作品登録する段階になると、それが実際に売れるまで不安で仕方なくなる。自信を持って作ったものばかりなのに、作った直後の自信はどこか掴みどころがなくなってしまうのだ。人間関係においてもそう。ちょっとしたことで、「嫌われたかな」「今の大丈夫だったかな」という気持ちがむくむくと起き上がってきてしまう。そんなわたしの”「ネガティブ変換器」”を、優しく包んでくれるような記事だった。そういうところがあってもいいんだよって、るみ姉に言ってもらえたような気がした。何度も繰り返し読みたい記事。


 こちらの記事、これは本当に、瞬間に出会わせてくれた記事。るみ姉は俳優の田中圭さんが大好きだ。Twitterでも溢れる推しへの想いに、読むこちらまでうきうきしてきてしまう。そんな田中圭さんへ落ちた瞬間が描かれているのが、こちらの記事だ。誰かが何かにハマる瞬間、そこに立ち会えるのは人生でそう多くないんじゃないかと思っている。それはその人との距離の近さもあるし、瞬間を見る事はなかなか難しいというのもある。それを、過去記事とはいえ言葉で、文章で立ち会わせてくれたようなしあわせな記事だ。


 るみ姉がライティング・ゼミで書いてきたエッセイたちを、備忘録というかたちで紹介しているこちらの記事。いくつも好きなものがあるので順番に。
まず、『「欲望」の本棚から「好き」の本棚へ』。タイトルに全てが詰まっているのだが、本棚を見ると心が落ち着くし、見ていいと言われたら人の本棚も見るのが大好きなので、そんなわたしにぴったりの記事(笑)。本棚にはその人が表れると思っている。小説なのかビジネス書なのかエッセイなのか画集なのか絵本なのか。その中でもどんなジャンルの本が並んでいるか。自分が好きな本が並べられていれば勝手に親近感を持ってしまうし、気になっていた本が並べられていればその人自身に更に興味が湧く。本好きな本棚も好きなのだ、ということを、うんうんそうだよねやっぱり、なんてひとり腑に落ちながら読んだ記事。
次に、『ツーアウト満塁からのサヨナラ逆転ホームランを狙え』。こちらは天狼院書店のライティング・ゼミで、編集部セレクトに選ばれた作品なのだそう。るみ姉がものすごく、言葉にしてしまうにはあまりに大きく努力した経験が細かく書かれている。人の努力の塊を、エネルギーを持って届けてもらったような感覚だった。


 …そろそろ、長すぎないか?って読んでくださっている方は思う頃かしら…いやでもどれも素晴らしすぎて好きすぎてね、選べなかったわたしがいけないんですけど。チョイスするって本当に大変だなぁと思いつつ、だってどれも改めて紹介したいんだもの仕方ない、と開き直っていたりします。
 さて、こちらでは、『大好きな二人に言葉の花束を捧ぐ』という記事を推したい。るみ姉から大好きなお二人への、お手紙をこっそり読ませていただいたような記事。これがね、本当に素敵で、るみ姉の感情がとても鮮やかに書かれていて、読んでいるわたしまでうるっと来てしまうくらいの、これはまさに”言葉の花束”であり、ラブレターだなと思った。大切な誰かに想いを伝えることの素晴らしさも詰まっているし、読むと、大切な人へその想いを伝えたくなる記事。


 ここで推したいのは『ワークとライフは釣り合わなくていい』という記事。「ワークライフバランス」という言葉が聴かれるようになって久しいが、るみ姉のこちらの記事では、”行ったり来たりするのもいいんじゃないか”と書いてくれている。バランスが取れるに越したことはないかもしれないけれど、集中している時は、どちらかに偏りがちになるのも然り。わたし自身、制作に集中すると家事が疎かになることもあるし、家事に偏れば制作の時間は取りにくくなる。そこを上手くやれるのがすごいのだろうけれど、実際はそうもいかない。そんなわたしの日々を肯定してくれているようで、何だか嬉しかった。


 るみ姉にはライティングの師匠と仰ぐ方がいる。その方について書かれたのが、『月に一度のお楽しみは、ライティングの師匠』という記事だ。「書く」ということと、るみ姉が真摯に向き合っていることが何よりも伝わる記事だと思っている。丁寧に、ひとつひとつの出来事と向き合い、掘り下げ、言葉を選び、自分を見つめることを怠らないその姿勢を尊敬している。日々の小さな出来事も大きな転機も、るみ姉なりの言葉で包んで語り掛けてくれる。そういうことの積み重ねが、「書いて生きる」ことなんだよなと、心にすとんと落ちた。


 さて、ここで、るみ姉の地元に関する記事をぜひ。わたしは徳島県に行ったことはないが、香川県に生まれてから3歳半まで住んでいたので、勝手にそこでも親近感を持ったりしている。
『オススメの「阿波おどり」あります』という記事。これは本当に楽しい。阿波おどりが踊れなくても、徳島県に行ったことがなくても楽しい。読んでいると言葉からお祭りの空気が広がってくるようで、夏のあの湿度の高い、それでいて熱気もすばらしく高い空気が伝わってくるよう。行ったことがないからこそ脳内再生はどこまでも広がり、そこを歩く人々の嬉しそうな顔までも描ける。寒くなる前に読めてよかったし、夏は得意じゃないけれど、ぜひ夏にお邪魔できたらいいなと思いを馳せる文章だった。


 るみ姉が、自分を労わってあげたnote。大変で、つらくて、どうしようもなかった時の自分。誰しも経験があるのではないかと思う。その頃の自分を思い出すと、ちょっと呼吸が浅くなる。わたしの場合は、だけれど。
そんな自分に向けて、あの頃つらかったよねと、他の誰でもない自分が寄り添う。そうすることで、小さな過去の自分があたたかいものに包まれる気がする。るみ姉の言葉を読みながら、そんな想像をした。誰かに話せば、共感して慰めてくれる人もいるかもしれないけれど、自分で自分を労わってあげるというのは、また違う癒しになるような気がしている。自分を許す、という感覚なのかもしれないな、と思った。


 年の瀬ぎりぎりまでちゃんと書くことと向き合っているるみ姉。すごい。わたしは日々の雑事に追われがちで、書くことと遠ざかりがちになってしまうので、るみ姉を尊敬しつつ見習いたい!と改めて決意した記事。
この記事では、冒頭に全てが詰め込まれている。上記リンクを貼った時点で見えてしまっているので、あえて掲載はしないが、この文章に尽きる。そしてそれを山に例えて書かれているのだけれど、その表現が本当にわたしの中にすとんと落ちて、あぁ本当にそうだ、と感じるのだ。苦しいことはいやだ。つらいことは長続きさせたくないし、早く通り過ぎてほしい。それでも、放棄するのではなく考え続けたり、時々休んだりしながら頭と身体を動かすことで、それはギフトのようにするっと最善の方法が降ってきたりするのかもしれない。るみ姉は、”心や感情を捨てるのでもなく、無理やり笑うことでもなく、辛い、不安だと口に出しながらも、答えを探しつづけていくしかない”と書いてくれている。弱音を吐きながらでもいいと言ってくれる人がnoteの世界にいてくれるというのは、わたしにとってものすごく大きな支えになる。


 2018年のるみ姉note推し集はいかがだったでしょうか。長すぎてごめんなさい。ここまでで4600字…もっと絞れたんじゃないかとか言わないでね。だって好きなんだもの、仕方がないのです。
るみ姉、好き通知が山のように届いちゃってごめんなさい。でもまだ届くので、仕方ないなぁと許してやってください(こら)。2018年を読んだだけでも改めてるみ姉のことを好きになったので、きっとまた好きになるnoteが沢山ある気がしています。

 それでは、2019年のるみ姉に会いに行きたいと思います。楽しみで仕方ありません。



20210928 

いただいたサポートは、アクセサリー制作費にさせていただきたいと思います。していただけたら幸いです。