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第五章 「辺境」

ニコニコ大百科のトートロジー

 前章われわれが見出したコミュニケーションの問題、キャラクターの問題については後ほど再説させていただくが、その前に「残念」という表現の肯定的変化についてもう一つ別の側面を捉えておきたい。私は「残念」が周囲の人の眼を惹きつけることについてはいくぶんかのことを述べた。だが、「残念」と自称するように「残念」さを自らのものとして受け入れるあり方についてはまだ充分に述べていない。まだ、「残念」さを小突き回すあり方についてしか述べていない。これでは、「残念」の思想について公平な判断はできないだろう。
 そのことについて考えるにあたって、.まずニコニコ大百科によく見られるトートロジックな説明文について考えてみたい。
 たとえば、さやわかは、ニコニコ大百科の「残念な美人」の項目についてこう述べている。

 声優だとかアニメだとか、いかにも若年層向けのような、若者が書いたものらしい記述がされているのがわかる。文章もどこか稚拙だ。「残念な美人とは、美人でありまた残念である女性」という説明は同語反復的で、何も説明していないに等しいと思う人もいるかもしれない。たぶん、この文章だけで眉をしかめるという大人もいるだろう。*1

 さやわかは、このトートロジーに若者らしい稚拙さを感じ取る。だが、私はそうは思わない。この表現は、単に文章能力の稚拙さから偶然的に現れたというべきではない。ニコニコ大百科の他の記事を見てみよう。たとえば「残念」を単語のなかに含む項目だけでも次のようにトートロジーが見られる。「残念な美少女とは、美人でありながらも残念な要素を持つ少女に付けられるタグである。」「残念神とは、残念の神である。」「残念な一覧とは、残念な一覧である。
 それ以外の記事でもトートロジーの表現は決して珍しいものではない。「ネタが多すぎてタグに困る動画とは、その名の通り「ネタが多すぎてタグに困る動画」につけられるタグである。」「ちくわ大明神とは、ちくわ大明神である。」「例のアレとは、例のアレである。」「ウンチーコングとは、ウ ン チ ー コ ン グ である。」「牛乳(クッキー☆)&小麦粉(クッキー☆)とは、牛乳と小麦粉である。」「クッキー☆の中盤あたりに出てくるニワトリとは、クッキー☆の中盤あたりに出てくるニワトリである。
 こうしたトートロジーの多用はそれ自体意味のある表現なのではないか。書き手が若者だからといってこうも集団的にトートロジーが説明になっていないということを失念することなどありえるだろうか。
 ところで、このさやわかの「稚拙」という指摘には、ある意図を感じる。その意図、というのはその文章および書き手を「若者らしい」「大人ではない」ものとして印象づける、という意図である。さやわかは統計まで持ち出して「ニコニコ動画にはとにかく若者が多い」ということを証明する。さらに『一〇年代文化論』の冒頭では「若者文化がありうる」ということを述べるために紙数がさかれている。彼はここまでの労力を使って、彼の示す新しい感性の若者性、一〇年代性を強調するのだ。
 だが、今さらだが、本当に今さらだが、実を言うと私は「若者論」「世代論」というものを根本的に信用していない。それは私が「日本論」「日本人論」を信用していないことと同じで、つまり「若者」「世代」というものを明確に区切ってそこに何らかの性格を見出すことなど不可能ではないか、と思っているのだ。
 しかし、同時に私は『一〇年代文化論』のような試みに大いに共感せざるをえない。「若者論」「世代論」は厳密な議論としては信用ならないが、しかし書かれることは避けられないものだったに違いない。われわれは、つねに前の時代が前の時代を理解するために作り上げた言葉のなかに住んでいる。そうした言葉のなかから、今というものを理解するためには、かつてと異なる今として「新時代」「新世代」というものを語ることは不可避の作業なのだろう。 
 そして、さやわか自身、正確に区切ることが可能でないこと――つまり、区切るとしたらそれは一つの虚構であること――を理解していた。彼はあとがきのなかで次のように述べる。

 しかし、そんなことを考えながら書き上げた原稿を直していた時、僕が序章で引用した、二〇〇七年に『ユリイカ』に書いた文章が、目に飛び込んできた。
「手前勝手な解釈だけに基づいて過去の出来事を並べ、そこから未来に至る過程の中に自身を位置づけること。歴史とは常にそういう種類の虚構だ。人はその物語を信じ、影響されて、次代を作る。すごいことだ。その物語がただの物語に過ぎないなんて、指摘するだけ野暮である」
 僕は途端に気付いた。自分はずっと、この言葉にしたがって、この本を書いていたのだ。*2

 さやわかは、このような未来へ向けた助走のために歴史、一〇年代、若者という虚構をあえて書いたのだ。私はその姿勢に共感する。だが同時に「若者論」「世代論」という拘束のもとに書く労力ははたして割に合うのだろうか、とも思うのである。
 とりあえずさしあたり、私は「若者論」「世代論」として本書を書いてはいないし、このニコニコ大百科について言うならば「ネットの発言に大人も子供もない」というような見解で臨むこととしたい。
 さて、トートロジーについてであった。上に見たように、トートロジックな説明文はニコニコ大百科では頻出しており、偶発的な悪文とみなすことは不合理だ。説明になっていない悪文である、というよりは、「説明になってないじゃん」とツッコミを誘い、笑いをよぶためのジョークとして書かれている、とみるべきである。そうすると問題は、ではなぜ同じジョークがこれほど繰り返されているのか、という点にある。
 それは何故か。それはニコニコ大百科が辞書のパロディだからだ。ニコニコ大百科は、普通の辞書には決して載らない言葉、概念、タグをあえて辞書の体裁で説明する。辞書というものは本来ある言葉を知らない人にも分かるように説明するためのものだ。しかし実のところ、このニコニコ大百科を使うような人間はタグ、概念の意味するところ、示唆するところを大体知っており、他方全く知らない一般人はそもそもこのような大百科を利用する必要がない。「クッキー☆の中盤あたりに出てくるニワトリ」だなんて、「クッキー☆」を全編視聴するような層にしか用のない単語だ。
 ニコニコ大百科を大百科として理解するのはその一側面しか理解したことにならないだろう。ニコニコ大百科とはむしろ、ある言葉について議論したり、あるいはそれに関連する動画の情報を共有したりするための掲示板として理解したほうが良いように思える。
 しかし、そうだとしても記事は辞書の体裁で書かれる。だがその言葉について知っている人間は実のところその説明を必要としていない。そこで記事は辞書のパロディとして書かれる。「妖精哲学の三信」や「アダムとアダム」、あるいは「カヴァン神話」という記事でも読むといい。これは完全にその言葉について知っている人に向けたジョークである。
 そして、トートロジーもまたそのような状況をふまえているのである。つまり、(知らないので)説明が必要な人にとっては(どうでもよい言葉なので)説明が要らず、(もう知っているので)説明が不要な人にとっては(関心のある言葉なので)説明が要る、というパラドキシカルな状況では、ただどんとトートロジーを載せるだけで説明になっていないにも関わらず、こと足りてしまうのだ。ああ、うん、「ネタが多すぎてタグに困る動画」ってつまりはネタが多すぎてタグに困る動画に貼られるタグのことだよね、よく分かる。・・・・・・説明になってないけど。という具合に。
 ここでニコニコ動画について私が前に述べたことを思いだしてほしい。ニコニコ動画は一般的に残念であると言いうる、それは「このような世間には見向きもされない場所で」「多大な才能と努力、そして時間を投じて、動画を投稿してゆく」からだ。「こんなところ」で。それが「残念」の重要な契機なのである。
 このように考えてみると「残念な一覧」という項目が「残念な○○の一覧」ではなかったこと、そして「残念な一覧とは、残念な一覧である。」という説明文にもう一つのニュアンスを読み取ることができるだろう。つまり、「残念な一覧」とは、一覧にして誰にでも分かりやすくするという努力自体が意味のないもので、それゆえ「残念な」一覧なのである。

内田樹のみた「辺境」の効用

 「こんなところ」で。「世間には見向きもされない場所」。言ってしまえば、「辺境」。物事の中心を遠く離れたどうでもよい場所。この「辺境」というものについて、内田樹は日本論としてその効用を書いている。二〇〇九年に出版された『日本辺境論』というその本を、私はここで参照したい。
 ここでははじめに、日本人の辺境性、ここではないどこかに中心、絶対的価値体を見、それを仰ぎ見て、オリジナルを産み出して世界を領導することを諦めている辺境性を確認する。それらを確認した後で、内田樹は言う。「とことん辺境で行こう」、と。

外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。そして、それはもう私たちの血肉となっている。どうすることもできない。私はそう思っています。千五百年前からそうなんですから。ですから、私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。この欠点を何とかしろと言っているわけではありません。〔中略〕私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。*3

 そして、その辺境の効用について内田樹はこう言う。「辺境人の「学び」は効率がいい」、と。彼は『鞍馬天狗』と『張良』という能楽の二曲に採録されている太公望の武略奥義の伝授についてのエピソードを引き合いに出す。

 張良というのは劉邦の股肱の臣として漢の建国に功績のあった武人です。秦の始皇帝の暗殺に失敗して亡命中に、黄石公という老人に出会い、太公望の兵法を教授してもらうことになります。ところが、老人は何も教えてくれない。ある日、路上で出会うと、馬上の黄石公が左足に履いていた沓を落とす。「いかに張良、あの沓取って履かせよ」と言われて張良はしぶしぶ沓を拾って履かせる。また別の日に路上で出会う。今度は両足の沓をばらばらと落とす。「取って履かせよ」と言われて、張良またもむっとするのですが、沓を拾って履かせた瞬間に「心解けて」兵法奥義を会得する、というお話です。それだけ。不思議な話です。けれども、古人はここに学びの原理が凝縮されていると考えました。
『張良』の師弟論についてはこれまで何度か書いたことがありますけど、もう一度おさらいをさせてください。教訓を一言で言えば、師が弟子に教えるのは「コンテンツ」ではなくて「マナー」だということです。*4

 ここで張良は「何か」を学んだのではなく、学び方を学んだのだ、と内田樹は見る。黄石公の意味の分からない動作を、メッセージと受け止めてそこから何かを読み取ろうとすること、その学ぶ構え、それが大事なのだ、とする。

「私はなぜ、何を、どのように学ぶのかを今ここで言うことができない。そして、それを言うことができないという事実こそ、私が学ばねばならない当の理由なのである」、これが学びの信仰告白の基本文型です。
「学ぶ」とは何よりもまずその誓言をなすことです。そして、この誓言を口にしたとき、人は「学び方」を学んだことになります。ひとたび学び方を学んだものはそれから後、どのような経験からも、どのような出会いからも、どのような人物からも、豊かな知見を引き出すことができます。賢者有徳の人からはもちろん、愚者からも悪人からもそれぞれに豊かな人間的知見を汲み出すことができる。*5

 一体これが何なのか、私には分からない。その分からないということがこれが私にとって重要でどうしても学ばねばならないものであるということの証明である。こうした考え方は、「よく分からないもの」にどうしようもなく惹かれる、柳父章の示した「秘」の思想とよく似ている。
 内田樹は、「よく分からないもの」を無視しないこのあり方についてレヴィ=ストロースの言う「ブリコルール」を引き合いに出す。

 野生の人々には固有の知があります。それはあらかじめ立てられた計画に基づいて必要な道具や素材をてきぱきと集める能力ではありません。「ありもの」の「使い回し」だけで未来の需要に備える能力です。
 ジャングルを歩いていると目の前にさまざまなモノが出現してきます。それは植物であったり、動物であったり、無機物であったり、有機物であったり、人工のモノであったり、自然物であったりします。その中のあるものを前にしたときに「ブリコルール」は立ち止まります。そして、「こんなものでもいつか何かの役に立つかもしれない」と言って、背中の合切袋に放り込む。*6

 このことは、物が豊かでないところにすむ人々にとってとても重要なことだ、と彼は強調する。だが、彼は、こうした思考の行き過ぎにあらわれる病態を指摘することも忘れない。

 だから、どの時代の、どんな領域でも(政治でも、芸術でも、学問でも)「時流に乗って威張る人」と「時流に乗って威張る奴に、いいように鼻面を引き回されている人」があっという間にマジョリティを形成してしまう。見た目はずいぶん違いますけど、彼らはある反応パターンを共有しています。それは、「何だかよく分からないもの」に出食わしたら、とりあえずそれに対して宥和的な態度を示すということです。「なんだかわからないもの」に出会ったら、判断を留保し、時間をかけて吟味し、それが何であるかを究明しようとするのではありません。とりあえず宥和的な態度を示す。そのままぼんやり放置しておく。そして、誰かが「これはすごい」と言うと、たちまちそれが集団全体に感染する。
 これは学びへの過剰適応と呼ぶことができると私は思います。*7

 しかしそれ以上にその効用を強調する。内田樹が危惧しているのは、むしろこうした辺境意識が失われてしまうことなのだ。『日本辺境論』を書くにあたって、彼が身を置いているのは実はこうした辺境性が確固とした血肉となっている日本ではない。そうではなくて、学ぶ力がどうしようもなく失われつつある日本なのである。二〇〇五年、彼は箱根で「学びからの逃走」をテーマに講演を行った。ここで彼は、子供たちの「学びからの逃走」の原因を、家事のちょっとした手伝いのような家庭内労働の機会の減少により子供たちが労働主体として自らを意識するよりも先に消費主体として確立してしまうところに置いている。彼は言う。

 コンビニのレジカウンターにお金を出せば、「いらっしゃいませ、こんにちは」という無機質な挨拶とともに、買い手が四歳の子どもであろうと、二十歳の青年であろうと、八十歳の老人であろうと、原理的に同一の商品やサービスと交換されます。〔中略〕
 問題は金の多寡ではないのです。「買い手」という立場を先取することなのです。
「ぼくは買い手である」と名乗りさえすれば、どんな子どもでもマーケットに一人前のプレイヤーとして参入することが許される。その経験のもたらす痺れるような快感が重要なのです。
 〔中略〕当然、学校でも子どもたちは、「教育サービスの買い手」というポジションを無意識のうちに先取しようとします。彼らはまるでオークションに参加した金満家たちのように、ふところ手にして、教壇の教師をながめます。
「で、キミは何を売る気なのかね? 気に入ったら買わないでもないよ」
 それを教室の用語に言い換えると、「ひらがなを習うことに、どんな意味があるんですか?」という言葉になるわけです。*8

 その同じ著者が『日本辺境論』においては『武士道』を引きながら、これと真逆の学習態度こそ日本人の民族的エートスの根幹にあると力説するのである。
 彼が『武士道』を取り上げた箇所について、私はすでに引用した。そこで彼は「空気」というものを読み取るが、しかし、それは彼の目的ではないようだ。というのも、彼は「空気」そのものについては深く掘り下げようとしていないからだ。この記述の目的はただ単に、新渡戸稲造の『武士道』の日本性を強調するための傍証にすぎない(しかし、このことは私には好都合だった。そのために内田樹は(山本七平のように)ある術語として「空気」を用いるのではなく、表現としての「空気」のイメージをごく自然に持ち出す、というかたちでこの言葉に関わった)。
 ではなぜ『武士道』を彼は取り上げたのか。それは新渡戸稲造の示す、武士階級の商業に対する相容れなさを取り上げるためである。「武士道は「或るものに対して或るもの」という報酬の主義を排斥する」*9という一文を高く掲げるためである。内田樹は述べる。

 努力と報酬の間の相関を根拠にして行動すること、それ自体が武士道に反する。新渡戸稲造はそう考えていました。私はこのような発想そのものが日本文化のもっとも良質な原型であるという点において新渡戸に同意します。努力と報酬の間の相関を予見しないこと。努力を始める前に、その報酬についての一覧的開示を要求しないこと。こういう努力をしたら、その引き換えに、どういう「いいこと」があるのですかと訊ねないこと。これはこれまでの著書でも繰り返し申し上げてきた通り、「学び」の基本です。
 もちろん、世界中のあらゆる賢者はこのことを一般論としては熟知しており、それについて繰り返し説いてきました。けれども、この構えを集団的な「刷り込み」によって民族的エートスにまで高めようという無謀を冒したのは日本人(とユダヤ人)くらいでしょう。*10

 しかし、これほどまでに日本人と日本文化の根幹に結びつけられて把握されている「学ぶ」力は、実のところ、その喪失への強い危機感に結びついているのだ。かつて子供と若者の危機として意識されたそれは、いまや「国民的危機」と表現される。

狭隘で資源に乏しいこの極東の島国が大国強国に伍して生き延びるためには、「学ぶ」力を最大化する以外になかった。「学ぶ」力こそは日本の最大の国力でした。ほとんどそれだけが私たちの国を支えてきた。ですから、「学ぶ」力を失った日本人には未来がないと私は思います。現代日本の国民的危機は「学ぶ」力の喪失、つまり辺境の伝統の喪失なのだと私は考えています。*11

 日本人は自らの辺境性を見失いつつある。それがこの本の隠れた危機意識である。だが本当にそうなのだろうか。本当にわれわれは辺境性を忘れ去ってしまったのだろうか。

辺境を楽しむ

 さて、われわれはニコニコ動画やニコニコ大百科に、「こんなところ」「このような世間には見向きもされない場所」という意識がある、と見て取った。だが、それは本当だろうか。むしろ現代はこのようなサブカルチャー、オタク文化が大手をふって一般化してゆく時代なのではないか。
 さやわかが「第五章 あなたはオタクではない」で強調するのもその点である。オタク文化は拡散してゆき、かつてのある特殊な人々に対する蔑称としての「オタク」というニュアンスは徐々に薄れてゆく。集団としてのオタク、「オタク族」は無くなり、文化の一ジャンルとしての「オタク文化」が誰の手にも届くようになる。
 この点について、岡田斗司夫は「オタク・イズ・デッド」と叫ぶ。

 岡田はオタクたちの地位向上のため、自らオタキングを名乗り、価値のないものを愛するというオタクの素晴らしさを訴えた。しかし彼のその努力が実を結んだ結果、オタクがメジャー化し、オタク的な趣味も当たり前のものになった。それゆえに彼が想定したような「人から理解されないようなものを愛でる集団」という意味でのオタクは成り立たなくなったのだ。*12

 二〇〇六年、五月、岡田斗司夫は「オタク・イズ・デッド」と銘打って、三時間に及ぶトークショーを開催した。「オタクの葬式」と宣言されたこのイベントのなかで、彼はこう言っている。

「そういうなんか、オタク統一民族っていう幻想が死んじゃった。「オタクっていうのはみんな一緒なんだ」っていう思いが死んじゃっただけなんです。だからなんかもう、僕ら、オタクじゃないですね。そんな民族はもういないです。ただ単に「声優が好きな私」とか、「アニメが好きな僕」とか、「ロフトプラスワンが好きな誰か」とか、そういうのがいっぱいここに集まっているだけなんですね。」

 さやわかは、この岡田斗司夫の言葉を引用して、さらにこう続ける。

 だが、岡田はこの後に続けて、「だがそれでも、世間は価値のないものを愛する自分たちのことを白い目で見るだろう。そうすると僕らはやっぱり死ぬほど辛いに違いない」という不安について述べている。そうなった時に、一人一人バラバラの「変わった趣味を持つ人」になってしまった人々は一体どうすればいいのか。
〔中略〕
 しかし本書の関心に照らし合わせてみると、その不安を解消させるのが、やがて二〇〇七年頃をピークにして訪れた「残念」という言葉の意味の変化だったのではないだろうか。*13

 何度も言っているように、「残念」の変化とは、その意味における変化ではない。だが、実は、私はこの最後の一文にまったく同意するのである。
 さて、少し他の人の視点を見てみよう。二〇一五年の「このマンガがすごい!」男性マンガ部門一位に『ダンジョン飯』が輝いたが、この漫画について、飯田一史と藤田直哉が対談をしている。その対談の題名はこうだ。「スライムの内臓を描いた「ダンジョン飯」のリアリティ。サブカルチャーが空気になった時代の日常漫画」。

 サブカルチャーが空気*14になった時代、彼らはこの漫画にそのことを感じ取る。彼らは、同年の「このマンガがすごい!」女性マンガ部門の一位であった『ヲタクに恋は難しい』を引き合いに出して次のように言う。

藤田 「このマンガがすごい!」女性マンガ部門の1位『ヲタクに恋は難しい』も読んだのですが、どちらも、「サブカルチャー的な世界観が自明になった中での日常」を描いているという共通性があると思いました。

飯田 ああ、『ヲタ恋』もたしかに日常描写にサブカルチャー的感性が染みこんでいる。

藤田 『ダンジョン飯』は、RPGゲームなどでありがちなダンジョンの中に「料理」を持ち込んで日常的なものを描く。既存のありがちなRPG的世界観が、説明抜きの下敷きになっている。『ヲタクに恋は難しい』は、腐女子であることがバレて振られるヒロインと、ゲームヲタの恋愛なんだけど、こちらも割とだらだらしている。腐女子がバレるだけで振られるから隠すとか、「今はそんな時代でもないのでは?」と思いましたが。ヲタを隠し、普通の女の子を「擬態」する二重化の描写とか、良かったですね。

 サブカルチャー的な世界観が自明になっていること。それが、彼らがこの二作品から読み取ることである。しかし、それだけではないのではないか。サブカルチャー的な世界設定、感性だけが一般化しつつあるだけではない。むしろ、一般化しつつあるのは、かつてサブカルチャーやオタク文化を愛した人々の抱いていたような辺境意識そのものではないか。
 『ダンジョン飯』は、既存のサブカルチャー的なものを説明抜きに下敷きとしている。それはよいとして、注目してほしいのはライオスのキャラクターである。妹を助けるためにダンジョンを潜る。お金がないので魔物を食べる。ストーリーの核となる部分を即座に決定するこのパーティーのリーダーは、漫画のなかで重度の「魔物好き」として描かれている。『迷宮グルメガイド』を愛読し、バジリスクとコカトリスを食べ比べることを長年の夢とする。マルシルとのやり取りはオタクと一般人のやり取りを想起させるし、チルチャックに「アイツ 魔物の話になると早口になるの気持ち悪いよな・・・・・・」*15と言われるのもオタクらしい。こうした「オタクあるある」が、この作品ではまったく自然に描かれている。『ヲタクに恋は難しい』でも、「擬態」というネタはもちろんのこと、このような「オタクあるある」、決して一般的とは言えない趣味に深くはまり込んでしまった人間あるある、が自然なものとして描かれている。
 オタクのコンテンツだけが一般化したのではない。オタクの姿勢、辺境意識そのものが一般化しつつあるのだ。自分はどうやら一般的ではないという意識それ自体が一般化しつつあるのだ。誰もが「リア充爆発しろ」と冗談でも口にしうる環境、それこそが到来しつつある。
 さやわかは最近のTwitterのプロフィール欄を眺める。「アニメ、漫画、特撮、ラノベ、ホビー、オカルト、民俗学、文化人類学等のサブカル好き。」という一文を見て、彼は次のように述べる。

 これらの自己紹介では「自分の好きなもの」が列挙されている。しかし注目すべきなのは、アニメや漫画などかつてなら「サブカルチャー」とは一線を画する「オタク文化」だと主張されたものが、はっきりと「サブカル」として書かれていることだろう。「民俗学、文化人類学」など、どこがサブカルなのかわからないものまである。*16

 しかし、本当に注目すべきなのは、「オタク文化」がその地位を向上させて「サブカルチャー」に数えられていることではない。それに続いて、民俗学や文化人類学といった学問までがサブカルチャーに数えられている、という事実である。誰もが自らを辺境にあるものと意識し、誰もが自らをメインカルチャーに定位できない時代において、好きなものの内「カルチャー」という言葉を使って呼びうるものはみな「サブカルチャー」とも呼べる、そういうことなのである。
 リア充や一般人とは違う位置にいる。どこか普通の人が見向きもしないような「沼」のなかで、人から理解されないものを愛でている。このどうしようもない辺境、見捨てられた僻地で、しかし楽しくやっている。『ダンジョン飯』のライオスらは魔物をおいしく料理してダンジョンを進むし、『ヲタクに恋は難しい』の桃瀬成海や二藤宏嵩たちは自分の趣味を全力で楽しんでいる。辺境性を受け入れて楽しむこと、才能の無駄遣いと言われようが、残念と言われようが楽しむこと、ここで描かれているのはそうした景色だ。
 私は、こうした辺境を楽しむということを描いた作品として、二〇一七年に放送された二つのアニメ作品を思い出す。『けものフレンズ』と『少女終末旅行』(原作漫画は二〇一四年より連載)だ。『けものフレンズ』はもはや人がいなくなったサファリパーク型動物園「ジャパリパーク」を舞台にし、『少女終末旅行』は詳細な設定は不明だが文明の崩壊してしまった終末世界を舞台にしている。そして、その全てが終ってしまった辺境で彼女たちは生活の一コマ一コマを楽しむのだ。崩れた橋で「たーのしー」と滑り遊ぶコツメカワウソさんに、雨だれの奏でる音楽を聴きながら一休みするチトとユーリ、「ありもの」を使って遊ぶ、楽しむ。
 辺境にあるということは、けっして即座に、重苦しい「秘密」に拝跪しその重大な謎を受け止めるという姿勢を帰結しない。むしろレヴィ=ストロースが野生人に見出したように偶然出くわしたよく分からない「ありもの」を愛おしみ、廃材を組み合わせて遊ぶ、そんな姿勢をも導くはずだ。前者の復権を望むことはもはやできない。私は後者にこそ希望を託したい。

*1 さやわか『一〇年代文化論』(星海社新書)、50~51頁。
*2 さやわか、前掲書、199~200頁。
*3 内田樹『日本辺境論』(新潮新書)、100頁。
*4 同上書、142~143頁。
*5 同上書、146~147頁。
*6 同上書、195頁。
*7 同上書、151~152頁。
*8 内田樹『下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち』(講談社文庫)、50~52頁。
*9 新渡戸稲造『武士道』矢内原忠雄訳(岩波文庫)、70頁。
*10 内田樹『日本辺境論』(新潮新書)、135頁。
*11 同上書、198~199頁。
*12 さやわか、前掲書、140頁。
*13 さやわか、前掲書、142~143頁。
*14 ここでは、「空気」は誰もが自由に吸いかつ吐くことのできるものというイメージによって、誰もがサブカルチャー的な世界観や設定を自由に引き出し用いることのできる時代の比喩表現たりえている。このことからも、「空気」という表現に不自由と拘束とを結びつけた山本七平の読みがその一側面しか捉えられていないことをうかがい知ることができるだろう。
*15 九井諒子『ダンジョン飯 1巻』(ビームコミックス)、173頁。
*16 さやわか、前掲書、146頁。


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