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あとがき ――あるいは自分語りを少し

 本を一冊書き上げた人間は、「あとがき」で自分語りをする特権を持つ。それゆえ、私もこの特権を行使させていただくことにしよう。
 二〇一六年の夏、私は一冊の本を読んだ。さやわかの『一〇年代文化論』である。「残念」。この本が示すこの言葉の新しいイメージには私も心当たりがあった。だが、今が「寛容」「おおらかさ」の時代であるとは、到底信じがたい。それが二〇一六年に生きる自分の正直な感想だった。私は少しずつ、自分の感覚を言語化する道を探し始めた。
 二〇一七年に入ったころには、本書の大半の部分についての骨格はすでに頭の中で組み上がっていた。だが、春を目前にして大病を患い、完全に退院したころには夏がそこまで来ていた。そして、私はこの年に卒論を書かなければならないのだ。それで、私はこの構想をあたためたまま、二〇一七年を通り過ぎた。
 そして今、二〇一八年、私はこの本を書き終えようとしている。
 さて、本書は世代論ではない。日本論でもない。「今ここ」について論じようとしている。だが、そんなことを論じようとしているこの私は一体何者だろう。自分語りをするからにはそれを明確にしなければならない。そうしてみると、この人物は学生時代を二〇一〇年代にすごした日本人である、ということが分かる。すると、今とは二〇一〇年代で、こことは日本なのだ。その通り、と言うほかない。したがって、本書は、やはりある種の世代論であり、日本論なのだろう。
 世代、というものに私が意識したのは、「「残念」ふたたび」の章の構想を練るにあたって、恒心教や類似の事件について調べているときだった(当初、私はどれだけ調査の幅を広げるべきか迷っていた。客観性の確保のために網羅的にとりあげるべきではないか、という意識があったからだ。だが論及それ自体が暴力的に作用する危険を考え、可能な限り最小限に抑えることにした)。普通、インターネット上で書き込みをした人間の年齢は不明である。存在するかさえ、原理的には不明である。だが、こういった大規模な事件のなかでは本来不明であるはずの個人情報や住所が飛び交うものだ。恒心教に関して言えば、嫌がらせの対象となって人物だけでなく、嫌がらせに参加している人の年齢までがしばしば明らかになっている。
 事件の発端である「八神太一」は私より少し年上である。はじめて唐澤貴洋に殺害予告をした「dion君」は私の少し下だ。自治体への爆破予告を行い、ついに逮捕された「ださいたま」もとい安藤良太について言えば、なんと私と同年齢である。「群馬君」、「大分君」(ともに殺害予告で逮捕され書類送検された人物(当時未成年))も、近い年齢だ。類似の事件では、被害を受けている中心人物の年齢は私より数歳年上くらいだった(誕生日が一致したため、一瞬生年月日が一致していると勘違いしたが、それは見間違いだった)。
 なにも「恒心教徒はとにかく若者が多い」などと言いたいわけではない。そんなことを証明することは不可能だ。第一、是が非でもそんなことは言いたくない。
 ただ、私が感じたのは、自分は被害者になってもまったくおかしくないし、加害者になってもまったくおかしくない、ということだった。
 むろん、そんな一般論はどんな世代についても言える。だが、私の世代の特質なるものをあえて述べるとしたら、匿名的で2ch(今の5ch)的なインターネットと、顕名的な友人との交流・自己実現の道具としてのインターネットの境目(これが時間的なものでいずれ解消されるのか構造的なものでまだまだ解消されることはないのかは私には分からない)に生きており、その両方の価値観をしばしば同時に内面化している、ということだろう。たとえば、「八神太一」は2chで活動していたとき、コテハンではあるものの匿名的なインターネットの価値観を内面化しており、本名は隠すものという意識や本名を明らかにしてしまった人への攻撃性を備えていた。だが、彼が特定された最大の要因は、本名で登録したmixiアカウントをもち同級生と交流していたことにある。
 だから、本書もある種の世代論である。言うなれば私が試みたのは、自分の世代性をつよく自覚することによって生じる、「世代を論ずる」のではなく「世代が論ずる」という形の世代論だ。その試みは成功したかは読者が判断することだろう。
 そして、本書はやはり日本論だ。といっても、私が日本論を意識したのは、それと現実の今の日本との相違によってだったのだが。
 一九八二年に出版された小此木啓吾の『日本人の阿闍世コンプレックス』という本にはこんな文章がある。

 したがって私たちは、このような日本的な母のゆるしを、西洋的な父性原理との対照において、ごく身近な日常生活の中に折にふれて見出すことができる。
 たとえば、一九七七年九月ダッカ空港でおきた日航機ハイジャック事件の時である。私が、もっとも強い感動をおぼえたのは、解放された人質たちの中にいた、ある日本婦人(五十歳)の次の言葉である。「私には、あの子たちもかわいそうだと思う気持がちょっぴりあった。・・・・・・彼らは本当はみじめなのではないか。逃げ回って定着の場所もない。こういう人間をパッと許してやるわけにはゆかぬものか、とふっと思ったりした」(『毎日新聞』昭和五十二年十月三日)*1

 しかし、どうやらわれわれは事件を起こしたテロリストをゆるすどころか、テロリストに捕まえられた人質の方を自己責任と責め立てる社会に迷い込んでしまったようだ。
 われわれはかつての日本論、日本人論の描き出した日本人と同じものではない。私はそのことをつよく意識するようになった。そのような状況で「血肉になっている」とうそぶいて、失われつつあると当人も理解している日本性の良い側面を高らかに叫ぶことに何の意味があるのだろうか。むしろ日本論との差分において現代の日本を捉えることが必要なのではないか。
 そういうわけで、たとえば山本七平の『「空気」の研究』などを読み直す作業を行ったのだが、ここから「空気」の概念についての説明を引用する段になって少し困ったことになった。彼が「空気」を説明する際に用いる実例が控え目に言っても信じがたいのである。これは引用しても責任が取れない。だが表現に食い込んでいるので上手いこと工夫しないといけない。その実例とは「カドミウム金属棒」のことである。
 その前にイザヤ・ベンダサンの著書『日本人とユダヤ人』を取り上げよう。この「イザヤ・ベンダサン」なる人物は今日では山本七平の筆名として知られている。私も、この本を手にする段階でそのことは承知しており、ユダヤ人という設定でエッセイを書いたのも彼なりのウィットであると理解していた。さて、その最初の一章は「安全と自由と水のコスト (隠れ切支丹と隠れユダヤ人)」というものである。この内容をあえて百四十文字以内に要約するとこうなる。

二十年以上前の話なんだけど、日本人の知人のKさんがニューヨークのホテルに泊まったんだ。すると隣室がユダヤ人の家族でしかも宿泊じゃなくて住んでる。わけを聞くとホテルは警備が厚いから安心なんだって。Kさん「安全と自由はタダじゃない」ってハッとしてた。日本人はタダと思いがちだからな~

 さて、現代の私は「イザヤ・ベンダサン」なる「ユダヤ人」を山本七平の気の利いた冗談として理解している。だが、それは今だからそのように見えるだけで、当時、イザヤ・ベンダサンはれっきとしたユダヤ人――神戸生まれのアメリカ国籍エストニア系ユダヤ人――として本を出していたのだ。だから一九八三年に旧約聖書学者の浅見定雄が『にせユダヤ人と日本人』という批判本を出したとき、「二人を、その実質的同一性のゆえに、私の全責任において全く同一の批判の対象とみなし、一括して扱ったのが本書である――そのように了解していただきたいと思う。」*2と留保をつけねばならなかった。
 この批判本において、このエピソードは徹底的に疑われる。
 まず、安全を確保するためなら、治安の悪いニューヨークの真ん中ではなくて郊外に快適で立派な邸宅でも構えればよい。豪華ホテルに居住するより安上がりなはずだ。そもそも、ほとんどのニューヨークのユダヤ人はそんな生活をしていない。第一、人口の三人半に一人がユダヤ人であるニューヨーク市、それも戦後すぐなので対独戦争に協力的だったユダヤ人への感情が良好だった時代のアメリカが、これほど警戒を要するほどユダヤ人にとって危険であったとは思われない。さらに、このホテル――ベンダサンによれば「アストリア・ホテル」――は文中では国賓が泊まることもあるのでニューヨーク警察が常時警戒、連邦政府の秘密警察も絶えず警戒、ホテル側も超一流の警備会社と契約して警戒させている、とあるが、なるほど「アストリア・ホテル」自体は実在するが、常時こんなものものしい警備に囲まれてなどいるわけがない。そもそも、もしこんな国賓の泊まる常時警戒体制の高級ホテルが存在するとしたら、敗戦直後の日本から来た一介の商社マンという設定のKさんがどうして泊まることができるのか。
 要するに、このお話しは非実在日本人が非実在ユダヤ人に出会ったのをベンダサンという非実在ユダヤ人が紹介する、まったくの虚構なのである。
 このような前科を知っていると、『「空気」の研究』の次のエピソードはまったく疑わしい。
 書かれた当時の三年前だから一九七四年のことだろう。ある人が山本七平をたずねてくる。「なんでもこの広い日本で、もう私以外に話す相手はなくなったと、その人は思い込んでいる」らしい。その人は「一冊の相当に部厚い本」を差し出す。「お預かりいただきたい」とのことである。開いてみると、なんと「イタイイタイ病はカドミウムに関係ないと、克明に証明した専門書」である。自分は専門家でないから評価ができない、あなたが発表すればいいじゃないか、と山本七平は言う。彼は答える。
「到底、到底、いまの空気では、こんなものを発表すれば〔中略〕会社はますます不利になるだけです。〔中略〕後日の証拠に、どなたかに一部だけお預けしたいと、〔中略〕これは山本さん以外にはいないと思い・・・・・・」
 だが、なおも「あなたが発表すればよいでしょう」と山本七平は言う。彼は答える。

「いえ、いえ、到底、到底、いまでは社内の空気も社外の空気も、とても、とても・・・・・・第一トップが『いまの空気では破棄せざるを得ない』と申しまして回収するような有様で・・・・・・(「破棄」を「出撃」と変えれば、戦艦大和出撃時の空気と同じだ)。無理もありません。何しろ新聞記者がたくさん参りまして『カドミウムとはどんなものだ』と申しますので、『これだ』といって金属棒を握って差し出しますと、ワッといってのけぞって逃げ出す始末。カドミウムの金属棒は、握ろうとナメようと、もちろん何でもございませんよ。私はナメて見せましたよ。無知と言いますか、何といいますか・・・・・・」
「アハハハ・・・・・・そりゃ面白い、だがそれは無知じゃない。典型的な臨在感的把握だ、それが空気だな」
「あの、リンザイカンテキ、と申しますと・・・・・・」
「そりゃちょっと研究中でネ」*3

 その後、山本七平は「臨在感的把握」というものを説明するとき、何度もこのエピソードを持ち出す。「カドミウム鉱山は世界に数多いが、イタイイタイ病が存在するのは神通川流域だけだそうである(もっとも、私自身それを調べたのでないから確認はできないが)。」などと言葉を添えながら(なお私の調べでは、近年中国では湖南省や広東省などでカドミウム汚染米(鎘米)が流通し、健康被害が確認され問題になっている)。

 もしも、この『「空気」の研究』の山本七平の時代にTwitterがあり、以上のエピソードを連ツイ(百四十字には収まりそうもない。山本七平が漫画を描けたとしたら話は別だが・・・・・・)したとしたらどうなっていただろうか。おそらく、その並行世界で彼は、エセユダヤ人嘘松炎上芸人として名を馳せている「イザヤ・ベンダサン」の別アカウントと目される「山本七平@ただいま空気研究中」としてかなにかで知られているであろうから、彼のこの一連の報告は、たちまち炎上騒ぎの種となって非難と嘲笑のなかで消費されてしまうだろう。そして、彼の成し遂げた「空気」の研究そのものはうやむやになって忘れ去られてしまうはずだ。
 私は、彼の研究がうやむやになっただろうことを嘆くべきなのだろうか。しかしとにかく、これはまったく仮定の話であり、そんなことは起きなかった。『日本人とユダヤ人』は三百万部をこえるベストセラーを記録し、『「空気」の研究』は自分が日本論を振り返ろうとしたとき、ほとんど必読の古典として知られていた。
 そしてこのことを考えるとき、山本七平の論述における日本論の正確さはさておき、行動における日本論はきわめて正確であった、と気づかされるのである。
 「臨在感的把握」と、つい口走った山本七平に対して、「公害病とカドミウムについて部厚な専門書を書き上げることはできるが会社と空気には弱い山本七平ファン」は「リンザイカンテキ?」と戸惑う。このエピソードが創作であると考えると、このことは山本七平が自分の創りだした術語が普通の人にはすぐには理解できず、それゆえその言葉自体が「よく分からないが重要な言葉」として周囲に影響を与えるだろうことを自覚していた、ということを示唆している。つまり、彼は日本人の特性を理解したうえで、それを自らの言説を広める上できわめて戦略的に利用しようとしていたのである。
 そう考えると、彼が外国人を装ったことも、また架空の人物の架空の出来事を話すことによって文章に説得力を与えようとしたことも、彼が日本人の特性を理解した上でとったきわめて戦略的なふるまいだった、ということが見えてくる。そして実際、それは効果的だったのだ。
 そして、そのすべてがいまや絶望的に効果的ではない。熱心な愛読者、信奉者の同意を得るくらいしか、得るものはないだろう。
 しかし、そもそも「行動における日本論」とは何だろうか。日本人相手なら○○をするとよい、という実践知のことを「行動における日本論」と呼ぶなら、多くの人が日々日本社会の中で意識的にも無意識的にも身につけていると言うべきだ。挨拶すると好印象、程度のこともその一部と言える。それだから、われわれはまったく意識しないで「行動における日本論」を実行していることもよくあるはずだ。したがって、この日本論がアップデートされない場合、われわれは無意識に山本七平のとった戦略をなぞったとしてもおかしくない。おそらく、今日「嘘松」という形で彼の話法の命脈が保たれている原因の一つはそれだろう。
 しかし、色々述べたが、私はやはり日本論が好きなのだ。その魅力がどこにあるかと言えば、西洋的理想における人間に対して現実の日本人をどこまでも対置しようとする衝動にあるのだろう。人間についての何かよそよそしい理論に対してよくみる周囲の人間を取り上げようとする、その知の動きに共感するのだろう。そして、周囲の人間とは、私の場合日本人なのだから、私は次のことを試みたことになる。
 従来の日本論における日本人に対して現実の日本人を対置しようとする日本論。
 さて、自分語りと聞いて、読者はもしかしたら「中野人抔否居」などというふざけた名前を名乗る不審な人物の素性がようやく分かる、と思ったかもしれない。だが、自分語りはこれくらいにすることにしよう。
 私がこの名前を名乗った最大の理由は自分が「恒心教」について言及する以上、彼らが私の個人情報をとりあえず暴きにくる可能性は充分あるだろうと予想したからである。ご覧のように、私は自分語りの機会があれば思わず語ってしまうし、覆面作家に徹しきる禁欲性を持ち合わせていないから、どうせいつかボロがでるだろう。とはいえ、はじめから正直に名乗り出たなら、おそらく彼らは私の論考を無視していつもの個人情報捜査ゲームにいそしむのではないか。それは避けたいことだった。だから、私は筆名を名乗ることにした。それもできるだけ奇妙でふざけた筆名を(類似のハンドルネームで活動する誰かに迷惑をかけないように)。そう思われても仕方がないが、私は怪しい者ではない。プロフィールはすべて嘘偽りない真実である(なお、「中野独人」とは二〇〇四年に出版された『電車男』の名義上の著者のこと。もちろん、彼は私の兄ではない)。

 本書は、「今ここ」について論じた本であり、現状認識のために書いた本である。それゆえ未来への展望に欠けると物足りなく思う読者もいるかもしれない。私には未来が分からない。だが、私は迷信深い質で、ジンクスも好きだ。だから、次の十年間の予兆が二〇一七年にあったなどという説についても時々信じてしまう。「けものフレンズ」や「ジャガーマンシリーズ」についての記述にはそんな思いがあった。もっとも、私は信心深い質ではないので信じ切ってしまうこともできない。本当にそう上手くいくものかとも思う。だが、たしかなことは――繰り返すまでもないことだが、こういうことは何度繰り返してもかまわないことだ――ジャガーはかわいいということ、今はそれでよいのではないか?

*1 小此木啓吾『日本人の阿闍世コンプレックス』(中公文庫)、24頁。
*2 浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫)、16頁。
*3 山本七平『山本七平ライブラリー① 「空気」の研究』(文藝春秋)、26~27頁。
日記:二〇一八年十月十四日
 今日、ようやく書き上げました。あとはどこかの出版社に持ち込むためにすこし体裁をととのえるだけです。もう夏も終わって、今日はちょっと肌寒い。書いている間は、これは間違いなくすごい本になる、と思ったり、いやこんなものを書いてないでもっとやるべきことがあるんじゃないか、と思ったり、色々迷いました。相談できる人も少ないし、口下手なのでうまく説明もできない。
 お風呂に入りながら、日記をどうやって締めようか考えています。「ジャガーマンシリーズ」では、動画のなかに投稿者の日記をしのばせるということが流行っていたのです。それをまねようと思います。しかし、せっかくならかっこよく締めたい。あと右足の小指が痒いです。それにしても明日は月曜日だ。晩飯はどうしようか。
 「ポストアポカリプス」、ということを最近は考えていました。新しい時代の想像力についてです。「けものフレンズ」や「少女終末旅行」を観て、そんなことを考えていました。「終わりなき日常」という言葉があるでしょう。それと対になる終末論を背負いこんだ生き方があるでしょう。そのどちらとも違う生き方として「ポストアポカリプス」ということを考えていたのです。
 フレンズたちは遊びます。人のいなくなった動物園で遊びます。それと同時にフレンズたちは作ります。橋をつなげ、家を作ります。フレンズたちにとって、生きることは遊ぶことであると同時に作ることです。何もかも終わってしまった世界では生活することはつまり建設すること、復興することなのです。
 かんたんに言うと、「終わりなき日常:生活に埋没し建設はのぞまない」「終末論:生活を犠牲にし建設にはげむ」「ポストアポカリプス:生活がすなわち建設である」というわけです。
 しかし、そうかんたんに言ってしまえるのでしょうか。
 とはいえ、生活はつづきます。かっこいい一日の締め方を思いつかなかったとしても、一日は終わります。お腹が空きました。晩飯の用意をします。すみません、かっこいい日記の締め方は思いつきませんでした。


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 これで『残念 ――あるいはキャラクターとしての人間たち』はおしまいです。

 複数(2社)の出版社に原稿を送ってみましたが、ただ送りつけただけでは反応がないようで、それはもっともだと思いつつ、しかしこれ以上どうしようか、どうにか出版にこぎつけるまで死蔵するほかないのか、あるいは内容にさらに手を加えるべきだろうか、とも考えていましたが、もういっそ公開することにしました。
 この本は、過ぎ去ろうとする時代をまえにこれまでこの時代について、そしてこの国に住む人々について言われてきた言葉をふりかえって「今ここ」について理解することを目論んだものです。目前に迫っているはずの新しい時代については何も言っていない。せいぜい「ジャガーはかわいい」くらいしか言っていない。
 そう考えると死蔵する意味はない。むしろ早いところ公開して新しい時代の足掛かりにしてしまった方がよい。そう考えました。

 中野人抔否居とは出版を考えたとき思いついた筆名です。これは本文でも触れたように恒心教徒に対する警戒で、「恒心教についてどうやら触れたらしいことは分かる本」が出版されたとき、その本の中身よりも著者の身元を調べることの方がローコストの娯楽として享受されるのではないかと考えた結果の対策でした。ですが、本文をそのままWebに公開するならばそんな心配は不要です。
 Twitterもしているのでどうぞよろしく。


 文中でとりあげた山本七平の「嘘松」、白ハゲ漫画化しました。


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