蜷川新右衛門

【緩募】一休の逸話「七曲りの松」の出典を探しています

 「七曲りの松」という逸話が一休にはある。
 この前の西田幾多郎の記事で純粋経験について説明した際とりあげた逸話だ。

 再説しよう。

 あるところに非常にふしくれ折れ曲がった一本の松の木があった。その木について一休が「この木をまっすぐに見ることのできる者があるか」と謎かけをした。周囲の者は不思議に思い、どうやったらまっすぐに見ることができるのだろうかと悩んだ。そこにある眼識優れた者がやってきて一言。
「なるほど、まがっておるわい」

 と、こんな筋の逸話である。

 この逸話の出典を知っている方がおられたら教えていただけないか、というのが今回の記事の主旨である。
 知っていたら教えて下さい!!!!!!! お願いします!!!!!!!

***

 以下は微力ながら私の調べた範囲を書いておく。

さすがは蓮如説

 私がはじめてこの逸話をネットで知った時、「まがっておるわい」と口にしたのは蓮如だった。

これらのサイトでの語られ方の特徴
 ・一休は謎かけを立て札に書いて立てている。
 ・まっすぐに見ることができた者には賞金をあげると書いている。
 ・話のオチは、みごと「まがっている」と答えた蓮如に対し立て札の裏を見せると「但し本願寺の蓮如は除く」と書いてあった、というもの。一休は蓮如に一目おいていた、というエピソードになっている。

 ・どのサイトも逸話の出典を明示していない。このため私はその出典を探すことになった。

 ・一休に対する蓮如の優位、あるいは禅・自力仏教に対する浄土真宗・他力仏教の優位を強調する書き方になっている場合が多い。
 ・いくつかのサイトは明らかに浄土真宗親鸞会と関わりがある。

 それで私は京都府立図書館でレファレンスを頼んでみた。だが結果としては出典を発見することはできなかった。この図書館に収蔵されている一休の古い逸話集のなかには確認できなかった。この図書館にない『一休可笑記』のなかにもしかしたらあるかもしれない、とのことだった。

 その代わり、この逸話に言及している二冊の本を紹介していただいた。

マウンティング一休説

 そのうちの一冊が、黄地百合子ほか編著『南加賀の昔話 昔話研究資料叢書14』(三弥井書店)という一九七九年に出版された老人に直接話を聞いて昔話を採集するタイプの民俗学の研究資料であった。

 山中町枯淵の坂口氏の語るところの一休は、「通り合わせた仲のええ友達」に対して自分の庭の「てんぼな(「たいへんな」の意)曲がった松」を示し、こう言い出す。

「これは見ようによって、まっすぐになることもあるし、曲がったそのままに見えることもある」いうて一休禅師が言うたら、
「こんなのがまっすぐに見れるはずがねえ」て、ほう一休禅師に言うたんじゃ。ほしたら一休禅師が、
「そりゃあ、お前はそれ、わしよりかよほど下じゃ。曲がったもんを曲がったままにすりゃあまっすぐじゃし、曲がったもんをまっすぐに見るちゅうのは、曲がったなりにさえ見りゃあまっすぐじゃさけ。」そう言うたら、片一方の相手が負けてしもた。(同書、242-243ページ)

 いきなり仲のいい友人に謎かけふっかけて、それでマウントをとる一休・・・・・・。これもまた風狂、なのか?

 ちなみに加賀市日の谷では登場人物が一休と蓮如で一休の方が負けた、という先述の「さすがは蓮如説」に近い類話が採集されたらしいが、その詳細は記録されていない。

つわもの蜷川新右衛門説

 一九八五年に出版された安藤英男『一休 逸話でつづる生涯』(鈴木出版)では一休の道友、蜷川新右衛門が謎かけに答える。
 そこでは一休は自分の庵の庭の松をさし「誰か、あの松をまっすぐと見る者はあるか」と弟子たちに尋ねている。弟子は誰も答えられず、そこへ来た新右衛門が「まがっている」と答える。

 ところで蜷川新右衛門とは何者か。安藤は次のように記す。

 一休は、民衆から、生仏といって尊敬されていた。その評判を聞いて、道交を求める有徳の士も多かった。蜷川新右衛門も、その一人であった。彼は諱を親当といい、足利将軍の政所・伊勢家の執事をつとめていた。すなわち政所代で、幕府の中枢をつかさどっていた。また右衛門少尉、伊勢守に任ぜられていた。武術も精しく歌道にも秀で、蓮歌では七賢の一人と言われていた。(同書、148ページ)

 「門松は冥土の旅の一里塚 馬かごもなく泊まりやもなし」という有名な一休の句も、彼との歌問答のなかで生まれたと書かれている。

 最後に同書にでてくる逸話――一休の逸話というよりもはや蜷川新右衛門の逸話――を紹介して、この記事をしめたい。

 蜷川新右衛門はもはや老い、病をえて危篤状態。親戚一同が枕元にあつまっている。
 するとそこに西の空から紫雲たなびき妙なる音楽、芳香とともに仏たちの姿があらわれた。
 さては弥陀のご来迎、と一同感激し、息子も父にこのことを伝える。
 その時、眠っていた新右衛門はやおら起き上がり、かっと目を見ひらいてわが子をにらむと、「世迷言! それでも武士の子供か!? 正法に不思議なし!」(大意)と一喝。弓をつかむと、アミダを射抜く!
 すると、なんたることか! ブッダシット! アミダの正体はタヌキだったのだ!

 なおこの本も逸話の出典を明記していないのである。

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