見出し画像

そもそもお前誰やねんって話

こんにちは。
いろいろあって更新が途絶えておりましたが、再び復活です。
今回は正しくタイトルの通りですw


プロフィール

名前: 上島 太陽
年齢: 21歳
趣味: レーシングカート、ボカロなど

と簡単にこんなところでしょうか。

先ずはレーシングカートのキャリアについてお話ししていきましょうか。

カートキャリア

カートとの出会い

私が初めてカートというものに触れたのは、9年前、12歳の頃でした。
当時中学生になりたての私は、父に連れられて堺カートランドのレンタルN35(堺レーシングよりレンタル)に乗りました。今思えば割と上手な方だったと思いますし、ショップの方も初めてにしては上手だと褒めてくださった記憶があります。

そこで、舞洲インフィニティサーキット(現ISK大阪舞洲店)や、スポーツカート阪奈(現在ISK奈良阪奈店)へ年2〜3回ペースで通うようになりました。
徐々に行く回数は増え、15歳ぐらいの頃には少なくとも2〜3ヶ月に1回は行っていたと思います。この頃、ある転機が訪れます。

初めてのレース

ぼちぼち走れるようになってきた頃、スタッフの方から「レースに出てみない?」とお声がけ頂きました。そんな風に言っていただけるのは初めてだったので、ウキウキで舞洲のスプリントレースに出ました。

これが悪い方向に転がるとは知らずに…

いざ出場した初のレース。24台の参戦でしたので、半分より上ぐらいいけばいいな〜と思っていました。タイトラからズッコケ。余裕の最下位でしたw
これ無理じゃね?となりながらも挑む決勝レース。上位12台と下位12台にクラス分けされるので、下位グループの最下位スタートな訳ですw
そして初めてにも関わらずローリングスタート。
いざスタートするも、ついていく事すらできず、余裕の最下位…ではありませんでした。マシントラブルで1台リタイアしており、最下位回避で喜ぶ自分…な訳ないだろ()
普通に悔しかったですw
ちなみにフライングスタートとプッシング取られました。今思えば1台も追い越してないし、ついていけてすらないのに何がダメだったんだ()
レースに出れるレベルだと言われたから出たのに、ふたを開けてみれば絶望的な状況で、「レースなんか一生でるもんか」と決意し、タイムアタッカーとしての人生が始まるのでした。


ひたすらタイムアタックに打ち込んでいた頃

転機

出会い

そんな青年に転機が訪れたのは2021年のことでした。ずっとタイムアタックをし続け、そこそこ良いタイムが出るようになってきたころ、ふと「そろそろレースに出よう」と思い立ちました。そこで、一人でも参加できる舞洲の30分耐久レースに出場することにしました。
そこでの結果は6位入賞。久々で2回目のレースにしては上出来だったと思います。

表彰式が終わったとき、とある方から「君速いね」とお声がけいただきました。同じ趣味を持っていたこともあり、意気投合して連絡先を交換。普段は知っているという神戸スポーツサーキットやたからづかカートフィールドにお誘いいただきました。


レースに出場した際の写真

遠征

私は2020年に車の免許を取得したのですが、いわゆる、「遠征」というものをしたことがありませんでした。
このお誘いをきっかけに、神戸スポーツサーキットへ初の遠征をすることになりました。(と言っても、私は大阪住まいなのでさほど遠いわけではないんですけどねw)

実は人生2回目の神戸スポーツサーキット。2017年かそれぐらいに、父親に連れられて一度だけ走ったことがある程度でした。その帰り、ノリで神戸のレンタルレースにエントリーすることになりました。

その結果はなんと4位。自分でもびっくりですw
ここでレースに目覚めてしまうことになります。

レースキャリアのスタート

これをきっかけに2021年の神戸スポーツサーキットのスプリントレースへフル参戦することになりました。出場クラスは未優勝者のみが出ることができるフレッシュマンクラス。

リザルトはざっとこんな感じ

  • 第2戦 4位

  • 第3戦 2位

  • 第4戦 3位

  • 第5戦 3位

なんと上位にい続けるというw
自分でもびっくりでしたw


神戸スポーツサーキットでの走行

次回へ続く…

思ったより長くなりそうなので、ここまでを前編として区切ろうと思います。次回は2022年以降の活動について説明できればと思います~

では、また次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?