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心象風景エッセイスト。日常の一コマから心の中に浮かぶ「思い」や「考え」を綴っています。…

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心象風景エッセイスト。日常の一コマから心の中に浮かぶ「思い」や「考え」を綴っています。不定期更新です。

マガジン

  • 人との出会いで「人」は成長していく

    人と出会って、違いを学ぶ。その流れの中で人は成長するのだと思う。いろんな人に会って、いろんな影響を受けて「自分の色」ができる。そういう経験の回顧録です。

  • 「心の病が治る」というコト

    10歳代後半から30歳にかけて心を病んでいた私が50歳を超えた今、当時を振り返ります。病をどのように捉えていたか。どのような取り組みをしていたか。私自身の体験をベースにしたエッセイ集。もし気になりましたらマガジンのフォローをお願いいたします。

  • ことわざとか格言とか「好きな言葉」への愛を語る

    格言好きが高じてラテン語を学んだこともあるほど。勇気づける言葉、励みになる言葉、好きな言葉たちへの愛を語るマガジンです。

  • 病人だって人間だもの

    日常の中にある「病」をテーマとしてまとめたマガジンです。自らの体験をベースとしたショートストーリー集。

  • 庭づくりの愉しみ

    庭の芝生の手入れなどで気づいたことなどを更新していきます。草花が好き。庭の手入れが好き。芝生の手入れガンバッテます! そんな方はこちらのマガジンをフォローしてください(^^)/

最近の記事

  • 固定された記事

答えがないなら「都合がよいほう」を選べばよい

「答えのない問題」に悩むことは素晴らしい。 20歳代の頃の私は「答えのない問題」に哲学的な響きを感じていた。人生の普遍的な悩みであるとも思えた。 このような悩みがあることは、人間らしさの価値であり、思考ができる生き物としての誇り。 ある意味、悩む自分に酔っていたのかもしれない。 30歳を過ぎてもなお、悩むことに意味を感じ、悩める自分自身に誇りすら感じていた。 だが、「答えのない問題」において「選択を迫られる」タイミングがある。途端に、「答えのない問題」に苦しむことに

    • チョコブラウニーの思い出

      今から40年ほど昔。私が高校生だった頃。 当時は、バレンタインの日に、友愛の気持ちを込めて女性から女性へチョコを贈ることは、一般的ではなかった。 だから、とても記憶に残っているのだ……彼女のことが。 ❥❥❥ 高校3年生のバレンタインデー。 学年が2つ下の女子生徒から呼び出しがあり、恥ずかしそうにチョコを渡された。手作りのチョコブラウニーだった。 受け取るのならホワイトデーにお返しをしたいと思ったが、お返しをすることが「どういう意味」になるのかが気になった。 だか

      • 咲かない蕾を切り捨てたことで

        鉢植えのカーネーションの説明書によると、中身がスカスカした蕾は予め切り取ると、株全体の花をきれいに咲かせることができるのだという。 ◇ 留学に失敗して帰国し、病の床に臥せている間、「どうしてこんなことになったのだろう?」と、考えていた。自らの行動を反省していたのだ。 身体の病は、無理をしすぎた自分が根本的に悪いと思った。そして、身体への負担が増えた理由について考えてみた。どうやったら改善できるのか、今後のために行動を起こしたいと思ったからだ。 改善方法を端的に言うなら

        • 吹っ切れる一年に!

          「普通になりたいという思い」を手放すこと。 これが今年の目標です。 この言葉を記した後、ふと「普通って何だろう?」と考えこみ、気が付くと1月も終わりに近づきました。 このひと月の間、考えてみました。そして、結局、普通というものは「あってないようなもの」ではないかという考えにたどり着きました。 少し違う表現で言い換えると、普通とは、それを普通と信じた人たちが多数派になることで普通というものが生み出されていく実在のない「概念」だということです。 ◇ 「普通」になろうと

        • 固定された記事

        答えがないなら「都合がよいほう」を選べばよい

        マガジン

        • 人との出会いで「人」は成長していく
          12本
        • 「心の病が治る」というコト
          8本
        • ことわざとか格言とか「好きな言葉」への愛を語る
          11本
        • 病人だって人間だもの
          6本
        • 庭づくりの愉しみ
          31本
        • 新しい夫婦円満ってどんなもの?
          22本

        記事

          冬を耐えて花が咲くことを信じるしか道はなかった

          米国から帰国した私は、自分の病について調べ続けていた。病を克服するためにどういう行動を取るのがよいのか模索していたからだ。 ◇ 当時は、心の不調の具合を理解して、寛解を治癒へと近づけていけると信じていた。一時の不具合があっても、それはあくまでも一過性のもの。だから、底を脱したら、すぐにもよくなるだろうと思っていた。 梅雨の頃くらいまで実家に身を寄せよう。その間、アルバイトで、少しでもお金を貯めよう。来年の夏から、米国留学に戻れるかもしれないから、準備を進めよう。 そん

          冬を耐えて花が咲くことを信じるしか道はなかった

          優しさって何だろうな……

          「あなたは優しい人ですか?」 そう聞かれて即答できる人はいるのだろうか? もし仮にいたとしても、その言葉を額面通りに受け取ることは難しいだろう。なぜなら、優しさとは、そんなに簡単なものではないからだ。 些細な言葉のすれ違いから殺傷事件などが起きる時代。 おいそれと心を開くことができず、不満を伝えることもできず、コミュニケーションがうまくいかないことがあっても、「ま、いっか」で流すことが増えた。 言葉のすれ違いを互いに確認し、「なるほど、そうだったのですね」と和解して

          優しさって何だろうな……

          花への期待:生存戦略に絆されて

          絆 される。 この言葉を「情に厚い」と解釈すれば美点と受け止める人もいるだろう。だが本当にその解釈だけだろうか? 絆 と書いて絆 すと読む。 絆という文字に、柵 のような自由を奪うものという印象を持っていた。だから私は、何かにつけ絆 を叫ぶ人たちに首をかしげていた。 だが、時と共に言葉の印象を再刷り込みされ、今では絆 は、大切なものと捉えることが増えてきた。 しかしながら、絆 すという響きには、今でも残念な印象を持つ。先々迷惑なことが起きると判りながらも許容する柵

          花への期待:生存戦略に絆されて

          靴を履くことで遠くまで行けるのなら

          「薬を飲むのが嫌なんです」 私がこう言うと、医師たちは、 「そうだよね」 と共感の言葉をかけてくれる。 とはいえ、患者の意思を尊重してばかりでは治療が進まない。だから、医師として言葉を選びながら「治療に必要な薬」を飲むよう仕向けてくるのだ。 けれども、医師の努力は暖簾に腕押し。ほとんどの言葉は印象に残らない。 なぜなら、薬を飲ませることがゴールの会話は、説き伏せられるか否かだけに意味があり、私がどのような感情を持つかなどお構いなしだからだ。 そんなやり取りを幾度

          靴を履くことで遠くまで行けるのなら

          パイナップル・ドリーム

          今から3年ほど前。2020年の春。新型コロナの感染症が流行り始めたころのこと。台湾パイナップルを購入して欲しいといった何かの呼びかけがあり、台湾パイナップルを買ってみた。 完熟した台湾パイナップルは確かに美味しかった。 けれども、いつものパイナップルより割高に思えて、上の葉を捨てることがモッタイナイと感じられた。そこで、葉っぱの部分を育ててみようと思い立ったのだ。 最初は、水栽培からスタートした。それほどヤル気いっぱいだったわけではないため、なんとなくそのまま放置して、

          パイナップル・ドリーム

          「頑張れ!」唱えて曲がったキュウリに価値を見いだす

          「頑張れ!私!」と脳内で繰り返し唱えて、自分自身に発破をかけていた。それが私自身のアイデンティティでもあった。 頑張れと他人からいわれると嫌な気持ちになる人がいるというが、そのことが全く理解できないほど、頑張ることが好きだったし、頑張ることが嬉しかった。 自分自身が唱えることも力が湧くし、他人からいわれることも嬉しい。それほどに、「頑張れ!」という言葉は元気になれる素晴らしい言葉だったのだ。 ◇ もちろん、頑張ること自体は苦しいことが多かった。努力が報われないことが多

          「頑張れ!」唱えて曲がったキュウリに価値を見いだす

          不誠実さを暴く方法

          人を見限る。 その響きは決して安らかなものではない。 だが、どうしても人との関係を断ち切らなければならないときがある。それは、自分の生命を護りながら「運命を生きる」ためには関係を見直す必要と判断したときだ。 不誠実さの基準は、人それぞれだろう。だが、あらゆる不誠実さには、人と人の間で生きることを困難にする愚行が含まれる。人間関係を破壊することを安易に捉える生き癖が見え隠れするのだ。 だから私はそれを暴くことで不誠実な人をあぶり出してきた。 ◇ 例えば口の軽さが不誠

          不誠実さを暴く方法

          夜の都会で木が光るとき

          いわゆるライトアップとかいうものを眺めつつ、光っている木々はどういう気持ちなのだろうかと思ってみた。 この世に生をうけたときは、この場所に植えられることや、こうして光ることなど予見していなかっただろうに。 ライトアップされて人々からの注目を浴びるといった「選択肢」を知らぬまま、生涯を終える木が圧倒的多数派だろう。 生きるための選択肢だとはいえ、木が光ることを進んで選んだとも思えない。だが、たとえそうであったとしても、光るという立ち位置を与えられたなら、夜の都会で木は光ら

          夜の都会で木が光るとき

          自己肯定感をあげる人生選択の基準

          自己肯定感をあげるような人生選択とはどういうものだろうか? たとえば、食事を選ぶとき。 自分が好きなものを食べるか?それとも今の自分がおいしいと感じるものを食べるか?その二つの基準で気持ちが揺れてしまったとしたら何を基準に選べばよいのだろうか? 好きなもので、おいしく感じるものを選べるなら、もちろん問題はない。だが、実際は、そうではないことも多々ある。 肉が好きだから肉が食べたい。けれども、胃の調子が今一つだから、肉の胃もたれが気になる。そういう葛藤が生まれる状況だ。

          自己肯定感をあげる人生選択の基準

          今月から更新を再開します。 長い間のお休みにも関わらず、ここを訪れて、私の書いたものをお読みくださったみなさま。ありがとうございました。 どうぞよろしくお願いいたします。

          今月から更新を再開します。 長い間のお休みにも関わらず、ここを訪れて、私の書いたものをお読みくださったみなさま。ありがとうございました。 どうぞよろしくお願いいたします。

          風を待つ心は年を追うごとに変化して:成熟とは何か

          風を待つ。この言葉の響きがとても明るい印象だった若かりし頃。 タンポポの綿毛が風に乗り、「新しい地」へと飛び立つことを夢見ながら、与えられた今を精一杯生きる。 「その時」が来るのを待ちながら研鑽に励み、どれだけ辛くとも目の前の苦しみから逃げるまいと、大いに勇気づけられた。 風を待つ心はワクワクで満たされていたのだ。 ◇ 風を待つ。そのことにワクワクした気持ちを抱けない大人になって。 堅実さを求める心が優先され、退屈で平凡な生き方を是とする。忙しい日々に追われ、風を

          風を待つ心は年を追うごとに変化して:成熟とは何か

          発信する恐怖との闘い

          言葉を発することは恐ろしい。 note更新は、その恐怖との闘いである。 「正しいと信じている」ことを書いたとしても、また別な角度から見ればその正しさが危うくなる。これは当たり前のことであり、それを承知の上で書いている。だが、「別の角度か見たら誤りだ」と攻撃してくる人がいるのだ。 ◇ 物事はすべてにおいて曖昧である。だが曖昧だからといって実態が何もないわけではない。 どの瞬間をどの方向から切り取るのかという前提を明らかにしつつ、何らかの言葉を発する。それは気持ちであっ

          発信する恐怖との闘い