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晴れの日に傘を買う

父は格言的な謎かけ的な不思議なことをいう人だった。

その父が他界して半年足らず。悲しみが少し癒えてきたからか、近頃、父の言葉をよく思い出す。

「傘は雨の日ではなく、晴れの日に買うものだ」

この話を聞いたのは、いつ頃だっただろうか?

父が師匠と仰ぐ方から教えられた考え方なのだそうだが、人生が順調な時に不測の事態への「備え」をしておくべきだという意味合いであったと思う。

実際には雨の日だって傘を買うことはできる。だが、傘を買いに行くまでに濡れてしまう。

雨に濡れずにという条件でならば、傘を買ってきてもらうという選択肢もあるだろうが、その場合は誰かの手を煩わせなければならない。

だから傘は晴れの日に買っておくべきだということなのだ。

◇◇◇

何か災難に遭ったときに、公的なサポートはありがたい。だが原則は、自分で備えをしておくということが肝心なのだろう。

噂で聞いた話だが、家が破損して被災の認定を受けたとしても、あっさりとお金が支給されるのではないのだとか。

「ローンを目いっぱい借りているので、もうこれ以上借金ができません」とか、「生活が困窮するほどの低賃金でギリギリの生活をしているのでローンが組めません」とかの「理由」を自分の言葉で申告しなければ、公的なサポートは得られないのだという。

そのような言葉を書く時点でプライドが傷ついてしまう人もいるようだ。

天災による被害は誰のせいでもない。だが、万が一の備えは、各自がしておくべきという無言の「約束」のもと、生活していたはずだからということなのだろう。

私は、保険を目いっぱいかけてあった。一部の被害には保険が適応されなかったが、見舞金という形での「上乗せ」があり、ほぼほぼ保険でカバーできそうな見込みだ。

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火災保険に入るときは、自分が保険を申請することなど1ミリも思わなかった。この保険料は、他の被災地の方への寄付というくらいの気持ちだったのだ。

ところが、保険加入から(新築物件入居から)1年以内で大きな補償を得ることができた。

保険に入ることは、まさに、「晴れの日に傘を買う」ことだったのだ。

保険の支払いまでにタイムラグがあるため「流動的に使える現金」があったことも幸いした。

今が大丈夫だからと慢心せず、これからも「晴れの日に傘を買う」姿勢を持ち続けていきたい。