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ふるさとを離れて

ふるさとを捨てたくて捨てたくて必死に努力してきた人生だった。

けれども、ここ数か月、実家で過ごすことが増え、必然的にふるさとで過ごす時間が増えた。

私はふるさとが嫌いだ。直接聞かれたら教えることは教えるが、会話を広げないで欲しいと頼むほど。だから、ふるさとがどこかを気づかれたとしても、あえて触れないでおいて欲しいのだ。

ソーシャルメディアでも高校を卒業するまでの自分は事実上抹消している。同郷の付き合いといえば、気心の知れた友人2人と、ごくたまにひっそりと会うのみ。

ふるさとの人たちの気質というか、物の考え方が苦手。

次女だから家を出ていくべしという育てられ方をしたこともあり、中学生の頃に「絶対にこの地を出てやる」と誓った。

ふるさとを捨て、実家からの距離を取ることを決め、必死に努力してきたにも関わらず、今、きょうだいの誰よりも実家で過ごす時間が多い。

ふるさとで過ごす時間、母といるだけなら問題はないのだが、町中へ出てお店の人と会話をすると「あぁやっぱりこの土地の人柄が嫌いだ」と感じる。

ここ数か月は、いつも以上に現実を見てきているはずなのに、お盆の時期にふるさとを離れているとノスタルジアに不意打ちされてしまう。

ふるさとでお盆を過ごした人の映像をテレビで見ると、なんともいえない切なさを覚えるのだ。ふるさとを離れているから「何かよいこと」を根拠なく期待してしまうのだろう。

夕暮れ時の寂しさとあいまって、このままでいいのかなと自問してしまうのだが……。

それでも私の心は変わらない。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と、私は知っているから。