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さびしん坊のお年寄りたち

仕事で出会う人たちと話していると、こんなにも沢山、寂しい人たちであふれていることに気づく。
いろんなレベルの寂しさがある。

私が会うお客様達は、健康体の人ではないので「寂しい」と感じてしまう率がどうしても高いのかもしれない。

一人暮らしの高齢者の数も結構多い。でも一人暮らしの人がみな寂しいわけではない。
一人暮らしでも寂しくない人というのは、<ご家族に大切にされて愛情をたっぷり受けている人たち>と<自分のやりたいことがある人たち>。
反対に、ご家族と一緒に暮らしていてもさびしいさびしいと言っている人もいる。

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寂しい人達の中には、色々考えてしまって眠れないという人も多いように感じる。
どんなことを考えて眠れないのかを伺ってみたら「いつまで自分は生きれるのか?」「いつまで家族に迷惑をかけてしまうのか?」「いつまで動けるのか?」このような不安ばかりだった。
私も心配性の方だけど夜は、1秒で眠りの世界にいける人間。長い夜に、こんなことをずっと考えながら朝を迎えるって辛いんだろうなぁと思う。

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最近よく、亡き祖母のことを思い出す。
どちらかというとネガティブばーさんだった。
そして、とびきりのさびしん坊だった。

今更だけど、祖母にもっと優しくしてあげればよかったと後悔している。私にできることはしていたつもりだったけど、
一時、祖母の近くに住んでいたのに遠くに引っ越してしまったのでその時は、すごく寂しがっていた。
祖母は、もっともっと家族からの愛情を欲しかったのだろうと思う。
その頃は、まだ在宅での看護の仕事していない時だった。今なら一人で住んでいるお年寄りの生活を沢山見ているのでもっと寄り添えたんじゃないかと思う。どれだけ寂しかったのかの理解が足りなかったと思う。目の前の寂しい人たちを見ていると祖母とすごくダブってしまう。
祖母がどれだけ寂しかったのか痛いほど想像できる。

祖母も、この目の前のおばぁさんたちのように寂しく食事をとり、テレビを一人で見て、不安ながらに一人でお風呂に入っていたのだろう。そして、たまにくる家族からの電話を喜び、お小遣いやプレゼントをあげると自分がみんなから大切にされている実感がわき、それをエネルギーにして、なんとか生きていけたのだろう。

祖母への申し訳なさの分、今、目の前の寂しい人たちに少しでも寂しくないような心配りを探しているのだと思う。

もっとできることが沢山あったのにごめんね、おばぁちゃん。

また、祖母のことについてはゆっくりいつか書きたい。
私と同じような後悔をしないように…必要な方に届きますように。

世の中は、全て繋がっている!という人がいる。
さびしん坊の祖母にできなかったことを今、目の前のさびしん坊の心を少しでも満たすことで、祖母が喜んでくれるような気がしている。

「それ、生きてるうちに気付いてくれへん?」とツッコミが入りそうだ(笑)




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