見出し画像

高齢者ドライバーの事故についてあれこれ想う

私の親も高齢者ドライバーだ。
認知症検査を受け、合格して、今も運転している。
私のからっぽになりかけの頭よりまだまだハッキリしているので、今のところ私の運転より慎重で安全な運転をしている。私が運転して助手席に乗せると私の運転を注意するくらいだ。

今、毎日のように高齢者の交通事故についてニュースで取り上げられている。
高齢の親を持つ身としては、このニュースを見るたびに心がとても傷ついている。ニュースをつい消したくなってしまう。

都会に住んでいると交通公共機関が充実しているので、車を手放してもそれほど大きな変化はないのかもしれない。
車があったほうが便利には違いないけど、車を手放す時の深刻さは、随分と開きがあると感じる。

地方に住む人たちにとっては、都会に住んでいる人からは想像もできないほど車がない生活は、大変だ。
車は、自分の足そのものなわけで・・・。

本人たちだってもうそろそろ車は手放さなきゃと常に思っているはず。それと同時に不便な生活を強いられることを覚悟して。

親が住んでいる近くにはコンビニが1つあるだけ。
スーパーまでは、とても歩いていけない。バスだって、スーパーにいけるルートがない。通院だって大変だ。ゴミ捨てだって都会のように便利ではない。1キロ近く離れたところまで車で運ばなくちゃいけない。

こんなに大変だから高齢者も乗ってもいいやん!という話ではない。

高齢だから免許返納しましょうと言われてもあとの生活は、どうしたらいいのかという課題が高齢者には残っているということもみんなで考えていける世の中だといいなと思う。

・・・・

高齢者ドライバーの事故によって命を失った人たちを思えば残されたご家族の悲しみはいかほどかと思う。
もっと早くに車の運転をやめてくれたらよかったのにと憤りを感じるのもわかる。なんで家族は、もっと早くに辞めさせなかったのか?といいたくなる気持ちも分かる。

私も含めて、引き際は、ちゃんとしなくちゃとも思う。私たちだって遠くない未来に起こってくることなのだし。

私たちは、加害者側になることもあれば被害者側になることもある。どちらにもなる可能性はあるのではないかと思う。

・・・・・・・・・・
社会の中の課題として、せめて、もっと地域格差がなくなればいいなぁと願う。
そうすれば本人たちも家族もこのことに関してこんなに悲しまなくてもいいのにと思ってしまう。
双方の悲しむ人が、減っていく。

高齢者が住みやすい街づくり・・・。どうにかならないのかなぁ。
お金がある地域なら高齢者には安いか無料のバスもあるけど、高齢者に優しい地域ばかりではない。
年を取っていく事が悲しくならないように・・・。

……

もう一つ思うのは
どこかに車で突っ込んだのが若い人なら全国ニュースにならないのに、高齢者が突っ込んだらニュースになる。そういう作為的な事がちょっと悲しい。ニュースを見てる人は、やっぱり高齢者の運転は、怖い!となる。事故率は、免許とりたての人達だって充分高いから保険料も高いわけで。

ニュースを読む人は、事実を伝える使命がある。だから自分の考えを交えて報道するということは、やや難しい。しかし、ワイドショーなどは、コメンテーターがいてある程度自由に発言できる雰囲気がある。彼らが、そのニュースに対してどんなコメントをするのかでまた、みんなの想いも変化するような気がする。
高齢者の運転はやめて欲しいという人もいるだろう。高齢者という一括りにしていうのはどうかと思うという人がいるかもしれない。うちの親は、双葉マークの人より慎重に丁寧に運転しているという人がいるかもしれない。自動運転の普及で事故が減っていけば、高齢者の運転の未来も明るいという人もいるだろう。認知症の兆しがあるのに乗り続ける親に何も言わない家族は、家族に責任があると言う意見もあってもおかしくない。

私は、高齢者ドライバーのニュースを見た時にやはり自分の親のことを考えてしまう。私と同じような年代の人も同じような気持ちでいらっしゃるかもしれない。

こういう不安は、時々、思い出して、クリアリングするようにしている。私が不安を持ちすぎる事がそれを現実へと招いてしまうことになってしまうから。
きっといつかは、親も運転を辞める時が来るだろう。そして、私だってそんな日がくる。
それは、良き時に良き形でやってくるはず。


ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕