見出し画像

夜空にホームレスのかたを想ふ


段ボールの家

森本レオ似の小綺麗にされているその紳士は、背筋を伸ばし正座で、茶縁の眼鏡をかけていた。小説か何かを静かに自分だけの空間の中で読んでいた。段ボールのめっちゃ小さな部屋の中で。

5歩離れた隣には、70歳を越えたくらいの華奢なおとなしそうな女性がこうべを垂れて座られていた。段ボールのめっちゃ小さな部屋の中で。


地下で、雨はしのげるとはいえ、骨の髄まで冷えそうな夜だった。配っていたスープの湯気も寒さで段々小さくなっていった。
他の段ボールの中の方々も礼儀正しくお辞儀をされ、かすかに微笑まれた。5歩ずつ離れた間隔の中、同じエリアにいることで完全な孤独ではない。段ボールの入り口を完全に閉ざされている方もいたけれど。

その何時間か前までは段ボールが一つもなかった地下。夜になるまで彼らはどこに身を潜めていたのだろう。彼らは何を乗り越えてこの島に来たのだろう。

ホームレスのかたのお手伝いをした時の光景は、記憶の海馬にダウンロードされたまま残っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・

家に居ても寒い夜、冷房中でもギラギラした太陽の熱が部屋まで入ってくる暑い日、ホームレスの人たちのことが頭を過る。

ホームレスと一言で言ってもみんな様々な事情があると思う。
家がないのを選んだのは、自業自得だ!と言い切る人もいらっしゃるとは思う。
でも、私は、私たちのようにずる賢く生きれなかった人たちではないかと思ったりしている。或いは、社会の中に居るのがどうしようもなく辛くなってしまった人。もちろん経済的な理由も大きいとは思う。実際にお会いするとホームレスの人たちの目は、澄んだ目だった。私が想像していた目とは違っていた。むしろ自分の目を見透かされるほうが恥ずかったくらいだった。私なんていろんなことに執着しまくって生きている人間の一人にすぎないから。段ボールの箱の中に納まるだけのモノで暮らせと言われても私はきっと暮らせないときっぱり言える。一般的な社会や家族からは、ほぼ隔離された状態で生きていけるだろうか。そんな勇気はない。そんな根性はない。勇気も根性もなくてもやむを得ずその状況になった方もいるとは思うけど。

・・・・・・・・・・・・・・・

使い捨てカイロ

自分にできることは、小さなことしかない。それでも何かできたらとおこがましくも思う。この生活を選んでいる人にとって、私が何かをしたい!と勝手に思うことすら迷惑なことなのかもしれない。きっと、ほっといてよ!という人もいるだろう。人と関わりたくないからこの生き方を選択している人もあると思う。


それでも、出かける時には、寒い日には、使い捨てカイロを余分に持ち、酷暑には凍らせたお茶を持ち、ホームレスの人に出逢ったら渡そうとかばんにしのばせている。数えるほどしか渡せていないけど。今、住んでいる地域には、ホームレスの方が少ないのであまり出会う機会もない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1年前、寒い夜にホームレスの方と自転車ですれ違ったとき、人が沢山歩いていたので、そのまま通り過ぎてしまった。手袋のない真っ赤な手で5〜6個のぼろぼろのレジ袋の荷物を持ってゆっくり歩かれていた。通り過ぎてしまったけど、どうしても気になってしまい、500mくらい走ったところで引き返して探した。100円ショップが空いている時間なら大きな荷物が入るバッグも渡せるのにとかあれこれ思いながら。すぐに発見!そして、鞄に入れていたカイロを渡せた。きょとんとされていたが小さく会釈をされた。こちらが強引に渡したのにも関わらず。たった12時間の暖しかとれないけど。

友達がお土産でくれたラスクをその時、お裾分けしたらよかったと後になって後悔した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

食べ放題プラン

私は、食べ放題プランで食事に行く時に食事がお皿に残ってしまった時にやることがある。この食べ物が、このお店のごみ箱に何の申し訳なさもなく捨てられるなら、喜ばれるものに形を変えたくなる。完全なお節介おばちゃんだ。そう、ビニールに入れて残ったものを持ち帰る、アレだ。そして、新宿とかのホームレスのかたが居そうなところにそれを持参。そんなことを何度かしていると凄い偶然も生まれる。2回目の新宿では、なんと1回目の新宿の時と同じホームレスの方に渡すことになった。違う場所だったにもかかわらず。あのホームレスの方は、きっと「あれ?最近よく人からもらうなぁ」と思っているかもしれない(笑)
ビニールにバサッと入れること自体、なんだか失礼だなぁと思うけど、お店の人の視線もあるのでそこは許して頂くしかない。本当にこれも自己満足な行為だと思うけど。軽い脳みそだとこれくらいのことしか思いつかない。

・・・・・・・・・・・・・・

ビッグイシュー

ホームレスの方が、販売されているビッグイシューは、見かけたら買っている。これは、自立支援の意味もあるけど読み物としても結構好きな内容で楽しく読ませてもらっている。残念ながら最寄り駅では販売されていない。買わせてもらえた時には、少し多めにお金を渡したりカイロやお菓子を一緒にお渡ししたりしているけど、申し訳ないくらいに丁寧にお礼を伝えてくださる。「最近、お見かけしなかったですね」と声をかけると「病院にもいかなくちゃいけなくて」と言われていた。寒い時も暑いときも容赦なく屋根のないところで販売されていたらお体も壊されるだろう。

ずっと屋外で立ってお仕事をされているかた・・・ホームレスの方に限らず工事の交通整備をされている方や工事をされている方にも本当に私には絶対できないことで大変だろうなと思う。私は、半日で弱音を吐くにきまっている。

・・・・・・・・・・・・

ポチ袋

以前、小さなポチ袋に500円玉を入れて持ち歩いていた時もあった。渋谷で見かけたホームレスのおばぁちゃんに渡した。「何?これ、お金?もっとちょうだい」と言われた。もっと頂戴と言われた時の自分の心理を振り返ると、そっか、どこか「500円あげたのに」・・・「のに」と思っていた偽善者的な側面を持った自分に気が付いた。中途半端で自分勝手な自己満足的な支援をするとこういう経験もするのだと反省した。それからは、ポチ袋作戦は中止した。私は、色々と学習しないと学べないタイプの人間だ。

・・・・・・・・・・・・

give & take

今回、この記事を書いたのは、私が、ホームレスの人にこんなことをしてきましたよということが言いたいのではない。これからホームレスのかたの支援を自分のペースで少しずつしていきたいと思われている人には僅かに役に立ってくれるかもしれない。
看護師という職業柄、誰かのお世話をすることは日常生活の一部なので何の躊躇もない。お世話ができる人がするのはごく普通のことと思っている。看護の仕事が、ストレスもなく日常生活の一部になっている今、それに加えてもうちょっと違った世界にも入ってみたい気持ちもある。これは、どうしようもない性分なのだと諦める。

何か自分にできることを!と思うこともあるけど、それと同じくらいに彼らのお話を聞かせてほしいと思っている。give & take!
きっと与えてばかりでは、いいバランスではいられないような気がする。
同じ支援をさせて頂くのもひたすら与えるということではなく、希望されているのであれば、自立していける力をサポートしていくほうがいいのかもしれない。年齢や健康面によっても支援の方法は、異なってくるのだと思う。
takeなんていらないからひたすら尽くしたいというマザーテレサのような方もいらっしゃる中、邪道なのだろうけど。

今回、この記事を書いていて、そっか・・・会いに行けばいい!と。
凄く単純なことだった。
ネットで調べたらこの地域にもボランティア団体が存在していた。
ボランティアという言葉が、どこか一方通行な感じがして少し気になるけど・・・。
ホームレスの方の少ない地域だと思っていたのでそのような団体が存在するとは思っていなかった。この記事を書かせて頂いたおかげさま。




ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕