さっちゃん

僕は自意識過剰である。自分が自意識過剰という事に気付かせてくれたのは、小学校の時家が近かった、さっちゃんだ。

さっちゃんは牛乳瓶の底のようなメガネをしている、ケントデリカットだけどドラクエで言うとチャモロみたいな可愛らしい子だ。

僕の家は転勤族で、小学校3年の時にさっちゃんの自宅近くに移り住んだ。クラスも登校班も一緒だった。

クラスで関西弁の僕はやけに浮いており、勇気を出してドッジボールに、よしてー(混ぜてーの意味)と言うと、はぁ?なんだこいつ?みたいな反応が返ってくるのだった。

実際はそんな反応ではなく、自意識過剰っぷりがそうさせてしまっていただけでもある。いや、ほんとかもしれない。

そんな中、さっちゃんは気さくになんの偏見もないような様子で毅然と話かけてくるような凛とした女の子だった。
さっちゃんの家もどうやら転勤族のようで、同じ境遇からか親近感を覚えているように感じた。

だけど、クラスで浮いていると感じている僕は、女の子だけ仲良いみたいな感じも嫌なので、話かけられるのは恥ずかしく、避けてしまっていた。なんでこんなに話かけてきてんだよ、ったく。

この時、実際さっちゃんは用事以外には僕に声をかけた事はない。

ある日、さっちゃんのお父さんの転勤が決まった。短い間ではあったが、僕の中では1番話をしてくれた(用事のある時のみだが)女の子である。だから寂しい気持ちもあった。

転校まで残り数日の小雨の降る朝、さっちゃんは積極的だった。その日は、やたらアイコンタクトをとってくるのである。

ちょ、ちょ、見すぎじゃない?
絶対あとちょっとでいなくなるかコクハクとかしてくるよコイツ〜
『恋する日曜日(邦画)』じゃねんだから〜

ませガキの俺は告白の意味もあまり分からないまま思う。

アイコンタクトだけではない。
いつも凛としているさっちゃんだが、今日は頬を赤らめて、モジモジしているし、ラダーで腰切りを繰り返すような仕草で、あるいはGⅠレースの入れ込んだ戦馬のように、今か今かとこちらに迫るような感じだ。

俺が避けて来た期間でサッチャモロはレベルが相当上がったのかもしれない。
俺は敵にひるみ、目を逸らした。

それでもサッチャモロの気配は横目で見なくとも分かる。

ヤバイ、来る。コクハクされる。

勇気を出した、サッチャモロが照れはにかみながら急接近してきて、耳元でパルプンテを唱えた。





『うんち踏んでる』

俺の自尊心は粉々に砕け散った。

謎に伸びた鼻も粉々に砕け散った。

え、あ、うそん?
ホンマや、あははは

小雨によって程良い粘稠度を保ったうんちを、縁石の角で削ぎ落としながら、俺はザオラルを何度も唱えた。

俺は2度と生き返らなかった。

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