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「POSIWILL CAREER」利用者数30倍に。箱入り娘のスタートアップ生活、1年の振り返り。

あっという間に今年も12月だ。ひたすら脇目も振らず走ってきた1年だった。何度か色んな意味で死にかけているが、なんだかんだご機嫌に生きている。そして気づけば去年リリース時から「POSIWILL CAREER(旧:ゲキサポ!)」は、利用者数は1年で30倍以上に伸長その裏側はカオスでしかなかったけれど、この激動の日々を自分の人生の貴重な1ページとして忘れぬよう自分の備忘録も兼ねて書き残しておこうと思う。(長文失礼します)

最初は業務委託として「ゆるりと」働く予定だった‥

最初は業務委託で今はなき「そうだんドットミー」という単発のキャリアカウンセリングサービスのお手伝いから始まった。

ただここで衝撃だったのはLINEチャット相談が朝から深夜まで鳴り止まなかったことだ。しかもその悩みの多くは「やりたいことがわからない」「自分に自信がない」「なんとなく将来が不安」といった仕事相談というよりも人生相談が多かった。

転職支援サービスに登録する以前の悩みや葛藤を目の当たりにして驚いたのを今でも覚えている。これはもはや単発のキャリア相談だけで解決することが難しいと感じていた矢先。7月最終日、代表金井から今のPOSIWILL CAREER(旧:ゲキサポ!)の事業構想を聞いて共感し、また代表金井「根拠のない自信(笑)」をなぜか直感で信じれたこともあって、その場で入社を決めて翌日2019年8月1日から事業リリースのために正式にジョインした。

「格好悪くても打席に立て」

まずこの言葉を大事にしていた。これまで「求職者がキャリア相談にお金を払うなんて」と言われていたところからさらに高単価サービスを提供するなんて、当時のほとんどの人が理解できなかったと思う。そこで大事にしていたいことは、

・常に自分の武器総力戦で。
・ユーザーの声を聴きながらサービス品質を上げていこう
・格好悪くても打席に立て

だった。このおかげで、私はのびのびと色んなチャレンジができた。「人生で1番仕事が楽しい」と思えるくらい最初は順調な滑り出しに思えた。

初めての壁 カウンセリングで「お前、誰?」と言われた

当時はまだ広告費もかけられなかったので、既にそうだんドットミーを利用していたユーザーや金井のTwitterフォロワーでプログラムに関心のある方を中心にカウンセリングを行っていた。

そこでショックだったことは私がカウンセリングに出ると「お前、誰?」と言われたことだ。

サービスの認知がまだ確立していないなかで「誰が言うか」はすごく大事なんだと痛感した瞬間だった。これまでは会社の看板ありきでサービス提案をしてきたけれど、自分の「個」としての発信力がいかに足りないのか実感し、これはいち早くどうにかしないといけないと感じた。

そうだ!Twitterやってみよう!

元々私はとてつもないSNSオンチでTwitterというものを学生以来やっていなかった。去年の秋頃はまだ「リツイートって何のためにするん?」というレベル。とりあえずビジネス用アカウントを作り直して、フォロワーをゼロからやり直した。

私は「誰のどんな課題を解決したいのか」

「Twitterって、ターゲットと解決したい課題を考えるんすよ」と当時社内にいたフォロワー3万人のインフルエンサーに教えてもらった。

それを踏まえて改めて「誰のどんな課題を解決したいのか」真剣に考えた。そこで一貫して思ってきたことは「過去の自分のような人を救える自分でありたい」ということだ。私は母や先生、世の中の常識に従って、真面目に生きてきたはずなのに、社会に出た途端自分の進むべき道が見えなくなった。そのような社会常識と自分の心の本音を行き来し、「本当の自分の人生とは何か」悩み葛藤する人たちの背中を押せるようなメッセージを発信したい。

そこで、できたのが箱入り娘が「箱」を捨てた日。というnoteだ。

これが意外と反響があった。このnoteをきっかけに「岡さんって箱入り娘の人ですよね」や私宛に「相談したい」と言う人も一気に増えた。私は自分の発信や生き方でそういう人たちの力や希望になりたいと改めて確信に変わった。そして気づけばTwitterを初めて、2ヶ月で5000人フォロワーが増えていた。

平日東京はドミトリー、休日は深夜バスで大阪へ

立ち上げ当時は結婚もしており、大阪が拠点だったので、事業が軌道に乗るまでは大阪からリモートワークで働いていた。ただ事業も少しずつ伸びていくなかで「リモートワーク」だけでは限界があり、平日は東京⇄休日は夜行バスで大阪に帰るといった生活になっていった。

当時、会社も私もお金がなかったので(笑)平日はこのような男女混同ドミトリーに住んだ。箱入りで過保護に育てられてきた20代の私が30歳に突入してこんな生活を送るなんて夢にも思っていなかったけれど、それでもこの時は楽しかったからいいのだ。

そしてこの時、自分の人生を懸けてやりたい仕事をすることと、自分の好きな人との結婚生活を守ること「自分の人生にとって何が大事なんだろう」と考えるようになった。

その時の記事はこちら。

「覚悟がないなら大阪に帰れば?」

これからさらに事業が伸びる。覚悟を持てないなら、今降りた方がいい」と突然金井にカフェに呼び出され、伝えられた。

「すでに大変なことばかりだけど歯を食いしばりながら頑張っていく自分と、この仕事を辞めて大阪に帰り今ある幸せを守っていく自分5年後、10年後の自分はどちらが後悔しないか

しばらく考えて、涙しながら生活の拠点を東京に移すと覚悟を決めたことを今でも覚えている。

覚悟を決めたら、事業も伸びた。

日常の全てを事業に集中させて「やるしかない」と言う状況に追い込んだことで、毎月右肩上がりに利用者数が伸びていった。秘訣は「気合い」だ。それ以外に何もない。目の前のことを愚直に誰にも真似できないレベルでやり続けたと思う。「この事業の価値を世の中に証明したい」と必死だった。

ユーザーの声が支えだった。「自分のことが好きになった」

どれだけカオスなことが起ころうと、ユーザーの声が何より支えだった。トレーニング卒業生全員と卒業面談をしてきたけれど、転職成功だけでなく、最後には「自分のことが好きになった」と言ってくださる時が1番嬉しかった。

昔恩師から「自分が幸せにした人たちのことは絶対に忘れてはいけない」と言われたので、今でもサービスを支えてくださったユーザーさんとは交流グループを作り、定期的にお会いしている。人生を通じて大事にしていきたい人たちだ。

立ちはだかる困難と壁。

事業がどんどん伸びていく中でメンバーも急増した。そのなかで阿吽の呼吸でうまくいってたコミュニケーションに齟齬が出始めたり、うまく統制がとれないことも出てきた。それにより、何人か退職者を出してしまうという苦渋の決断もした。
そしてその原因や課題を全部自分の責任だと抱えこみ、いつのまにかとんでもないほどのダークサイドに落ちていた時もある。

闇に落ち切った私を深夜であっても何度も見捨てず向き合ってくださったリジョブ元COOひろみさんや突然のランチ相談のお願いにも嫌な顔せず聞いてくれたFUNグループCOOしゅうちゃん、LITALICO役員本郷さんをはじめ、本当にたくさんの人に支えていただいた。その人たちがいなかったら、私は乗り越えられなかったかもしれない。

そして最後、金井から「全ての経験を学びに変えて頑張ろう」と話し、もう一度頑張っていくことを決めた。

シリーズA資金調達とリブランディング、オフィス移転

いろいろな問題を乗り越え10月、無事シリーズAの資金調達を実施。

また同時期にPARK田村さんによるリブランディングも行った。

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「あるべき、こわそう」

このCORPORATE MISSIONを初めて教えてもらった日、これまでの自分の人生と事業の経緯を思い出し、少し泣けた

そしてオフィスも渋谷の男女兼用トイレの雑居ビルから始まったところから移転。オフィスで卓球ができる日が来るとも思ってもなかった。1年でここまで変わるんだと驚いている。

「あなたがあなたらしく生きることが1番の財産」

プライベートも含めて1年半いろんなものを捨てて脇目も振らずがむしゃらに走ってきたこそ、気づけばその思いが「絶対にこの会社で必ず成功しなければならない」という執着に変わっていた。(今はシード期を超えて、メンバーが増えているので働き方は安定してます😊)

今考えるとそれは良くない兆候だった。

「あなたがあなたらしく生きることが1番の財産。1週間休んだ方がいい」

と金井から言われた。休むことは少し怖かったけれど、正直ありがたかった。

「ちーやんには無数の選択肢があるから、一旦自由になってそれでも敢えてまたポジウィルを選ぶ理由を考えてきて欲しい。」

休みなのにとんでもない宿題をもらってしまった。(笑)

人生初一人旅で沖縄へ。

突然できてしまった休みの使い方が分からず、とりあえず東京から離れようと沖縄へ人生初一人旅をした。

恥ずかしながら「自分らしく自分の人生を生きる人を増やしたい」と思っている自分が、この色んな激動に飲まれて1番自分を見失っていた

この1年本当に色んなことがあったけれど、事業を前に進めるために「本当はしたくなかった意志決定」もたくさんした。自分を嫌いになりそうなギリギリのところで、置き去りにしていた感情としっかり向き合い、本当の自分はこれからどうしたいのかたくさん考えた。

「自分がやらねば」「ちゃんとせねば」と思って色んなものを背負い込み走ってきたけれど、今は頼もしい仲間たちが増えた。背負い込みすぎる必要はもうないのだ。

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 「ありのままの自分を愛せるか」

それであれば、もっと自分らしさを追求して自分らしく輝きたい事業の成長フェーズに応じて求められる役割は変わるけれど、この一年なんとか色んな「やったことない」ことをとにかく「気合で」やってこれた。これからどんな役割やポジションがこようとも、土台としての「ありのままの自分の価値」を信じて、事業全体の中で自分が最も輝き、役立てる役割で価値貢献していきたい。いろんな激動があったとしても、それでもまず「自分が自分」でいることが1番大事なのだ。

自分がなぜここにいるのか、唯一無二の事業だから。

代表のビジョンに共感し、そこから生み出される独特の組織カルチャーと、常に変化し、成長意欲の高い仲間がいること。また日々、法政大学キャリアデザイン学部教授たなけん先生にも監修いただき、磨きをかけている唯一無二のトレーニングプログラムだ。

そして昔からどこか自分を殺して生きてきた過去の自分を救うにはどういう対応、どういう言葉が必要だっただろうかと毎日毎日考える。社会や他人からのこうあるべきを打ち破って「一人でも自分の人生を生きれる人を増やしたい」。

その理想を叶えるにはやはり、今の仲間・今の事業に関わることが一番社会にインパクトも残せて、自分の人生にとって1番近道なのだ。

とはいえ、理想を実現することがこんなに大変だっとは。

去年夏、この事業は本当に価値あると純粋な気持ちで入った。今もそれは変わらないのだけれど、想定以上に厳しさも知った今、軽々しく綺麗事なんて言えないと思ったのが本音だ。笑

そんななか、えとみほさんのこのツイートが妙に染みた。

ただただ綺麗事だけを言うことは簡単だし、それを実現するためにいろんなことがある思うけれど、それでも私は綺麗事を信じたい。これからどんなことが起こるんだろうと思うと気が気じゃないが、それも自分の人生であり、自分らしさだ自分で責任を取って、楽しんで生きていこうと思う今日このごろ。


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