見出し画像

オートバイのある風景9 Y田のスズキとO倉のKP61


うちの大学のキャンパスはこぢんまりとしていて駐輪場も狭いため、バイク通学生同士で何となく顔見知りになる。
その中でY田という学生とよくつるむようになった。
彼はひと学年上だが現役生なので同い年。福井出身で、北陸独特のイントネーションが妙に耳に心地良かったのを今でもよく覚えている。

最初に会った時、Y田はスズキのRG400ガンマに乗っていて、小柄な身体にもかかわらず大柄な2スト4気筒のバイクを上手に操っていた。
そのY田と、実家に帰った時に使う家のクルマについて話をしていた時のことだった。
僕はお袋をそそのかして当時ウチにあった2ストロークのセルボから、マイナーチェンジしたばかりのかっ飛びスターレット(EP71)に買い換えさせていた。
一方福井のY田家では2代目アルトの初代ワークスが納車されていた。Y田はワークスの速さを熱く語り、我が家のスターレット(ノンターボのSi)など目じゃないと言い放った。僕は僕で、いくらターボでも所詮550cc、1300ccのスターレットには敵わないよと譲らず、決着はつかなかった。
普段静かで落ち着いたY田が主張を譲らない事が、僕には意外に思えた。

その後Y田は、400ガンマの維持が大変なのでもう少し軽いバイクに乗り換えると言い出した。
Y田が何に乗り換えるか僕らは期待していたのだが、しばらくして彼はなんとスズキのNZ250に乗って現れた。当時のバイクに詳しく無い方に説明させて頂くと、NZ250は当時のトレンドからは大きくかけ離れていて、こう言っては失礼なのだが正真正銘生まれついての不人気車種であった。

これでY田がアルトワークスの件で何故あんなに熱くなったのかが分かった。現在ではその存在が認められているが、当時は発生源や感染ルートがまだ不明だった「スズ菌」の感染者だったのである。
事実彼は卒業後地元福井のスズキ販売に就職し、バイクも最終的にGSX1100Sカタナを手に入れる事になる。

そんな中、僕の味方になってくれるスターレット信奉者は他にもいた。Y田のクラスメイトで、立川の実家に住むO倉だ。彼は元鉄っちゃんでバイクはCBR400F、お母さんの乗るKP61スターレットをこっそり改造して遊んでいると聞いた。
KP61は当時でも珍しくなっていた後輪駆動車で、僕も自分で買うならこれ!と決めていた大好きなクルマである。

ある日O倉の家に初めて遊びに行った時のことだ。
部屋で鉄道ジャーナルのバックナンバー等を見せてもらっていたら、表から派手な吸気音が聞こえて来た。O倉のお母さんが買い物から帰って来たのだ。
2階の窓から駐車場を見ると、車高を落として黒い鉄チンを履いた白いKPが入って来た。パッと見は走り屋仕様である。
吸気音からしてキャブをいじったのか聞くと、エアクリーナーボックスの蓋を外しただけらしい。そんなことして吸気口からゴミは入らないのか問うとO倉は
「お袋の使い古しのパンストを被せてあるから大丈夫だ」という。

飄々とそんなことを言うO倉も可笑しかったが、ガソリンスタンドや整備工場でボンネットを開けられた時、自分のパンストを被せられたエンジンを見てお母さんどんな顔するだろう、そんなことを想像して僕は愉快な気持ちになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?