弱いともだち 議論テーマを探す旅 #163

友達論、みなさんめちゃめちゃ良いですね。まだまだ深堀りしたい部分も沢山あるし、時間が経つにつれ変化していく部分もあるだろうし、定点観測的に語っていきたいテーマだなと。時間軸、関係の深さ軸、恋人との比較、連絡頻度との相関、それぞれの軸で一晩ずつ語れますな!二人とも、いまの自分に合った良い友人関係・人間関係に囲まれているように見えていていいなあと読みました。

で、私もここ最近の人間関係がとてもいい感じで心地良く生きられているので、この先人間関係で躓いた時に振り返る備忘録としても思うことを残しておきたい。

昔は何となく世の中的によく言われる「友達なんて多くなくて良い。大切な親友が人生で三人いれば十分だ」みたいな話に(かっこつけて?)共感するようなところがあったのだけれども、今は、逆かも?と思っている。付き合っている人々を広くふわーっと友達、としていて、それぞれ別々に共有していることがある感じ。ほんの数人に対して全てを共有しあう、というのとは反対のスタイルが私には合っているのかも。

付き合っている人々の箇条書き、上手くできるかなー。

  • 議論する女たち

  • ものづくりの仲間たち

  • 高校の美術系友人とその周辺

  • 高校の部活仲間(これは仲間寄り)

  • 高校で知り合っている友人

  • 前職の同期

  • 大学の友人起点の旅友達

  • 大学で知り合っている読書友達・ドラマ友達

とにかく中高で出会っている人たちが大半で、そういう意味ではめちゃくちゃ偏りがある。けどみんな同じグループに属していたわけではなくバラバラなコミュニティではあるんだよね。高校の中で5-6個くらいのコミュニティ(二人だけのも含む)があるかも。  

去年は再会がたくさん起こった年で、それがとても嬉しかった。元々同じ場所にいて知り合いだったけれども深く話すまではいかなかった、ポジティブな印象だけは持っていた人、と時を経てたまたま出会い直すことができて楽しい、的な体験が結構いまの人間関係への満足感とつながっているのかも知れない。これまで生きてきたことへのボーナス感があるというか。

疎遠になった友達も勿論たくさんいるはずなのだけれども、あまり思い出さないし気にすることはないなー。加えてこういう再会みたいなことを経験するうちに、疎遠になることはますます怖くなくなるし、場合によってはまた全然再会できるよねという感じ。

友達の定義、に関しては私は二人よりもざっくりしているかも?昔友達でもうあまり会わなくても元気でいてくれよーと思える相手なら友達、かなあ。ただ残念ながら今現在同世代の同僚というのがいないので、同僚と友達の境目的なトピックは思い当たらないのだなあ。あと毎年一緒に演劇をやる先輩、とかはもはや全然タメ口だったりするけれども友達と勝手に呼称するにはおこがましいという感覚はあるね。あとは明確なプロジェクト単位でしか会わないからそれはやはり仲間、とかのほうがしっくり来るかもなあ。

あと、さっきの箇条書きで「周辺」と書いてるのは基本的に「友達の友達」「友達のパートナー」が含まれているパターンで、これは凄く多い。多いし、出会って暫くは「友達の友達」「友達のパートナー」という認識でいるけど、定期的に会うようになるとこれも「(ふわっとした意味での)自分の友達」として認識しているかも。ピクニックに声をかけて来てくれたら嬉しい的な、でも二人で深い話とかは今後も多分しない人達。でも大切に、というと重く聞こえるけれども、何というか、いい感じだなあいいやつだなあ来てくれて嬉しいなあ!と思う人達。友達の友達、で広がる友人関係は結構多くて、気付けば結構大切に思っていたりもして、なかなか面白いです。

最初の「親友数人ではなく幅広く」と元ネタにした男性のnoteにも繋がることかなと思うのだけど、友達に対してどう自己開示するかによって関係の持ち方が色々と変わってきそうだよね。

私は割と自分の話をするのが苦手なので、一人に対してどばーっとすべて自己開示するというのは結構怖いというか、やっぱり相手にかける負担とかその場の空気みたいなものを気にしてなかなかできないなと思う。その点、古い友達は思春期にべたーっと話し続けるみたいなことをやっていたベースがあるからか、比較的相手がどしっと構えてくれそうというか、いい意味で受け流してくれそう、影響されないでくれそうだから話せること、とかもあるかもなあとか思う。

話す相手がどんな状態か、どういうタイプでどんな話なら不快じゃないか、みたいなことは無意識ながらに凄く気にしているかもしれないなー。コミュニティとか友達のタイプに合わせて、重くならない程度に適度に自己開示してその場は明るく楽しくやっていく、みたいなことが今はいい感じにできているのかも。あと、何度か話しているけれども旅の中だと普段よりちょっと思い切った自己開示をしても景色の変化とともに吹き過ぎてくれるようなイメージがあるので、何となく旅の中で正直な気持ちをぽろぽろ話して帰る、みたいなことが心を楽にする大事な要素だったりする。これは多分、お酒を飲める人ならお酒による自己開示、があったりするという話だと思う。

一方で自分が聞く側にまわったときは、友達がちょっと普段は言わない重めの自己開示をしてくれたときに一歩絆が深まって嬉しい、的な感覚は結構ある。なのでやっぱバランスよねーというざっくりした結論。

結局、私にとっての友達、は会う頻度とかはあんまり関係がなくて、なんとなく相手のことを大事にする気持ちがあれば友達、ぐらいな感じなのかも知れない。それが80くらいの人から20くらいの人もいるけれども、とりあえず大事だなーとか、いてくれてありがたいなーとか、あの人いい感じだよなー、という感覚があるうちは友達と定義してるのかも?

逆に時々会うけれどもどこかネガティブな気持ちがちらっとよぎってしまう人に関しては、単純に距離とか、ネガティブになりうるトピックについてはその人と話さないとか、SNSを見過ぎないとか、そういう気を付け方をするのが大事よね。それでも決して嫌いなわけではなく大切には思っているのでぼんやりと友達では居続けようと思っている、という相手も多くはないけどいたりはする。自分に余裕があるときは関係を続けられるな、という人。

論とも言えぬとりとめのない文章になってしまいましたが……。今後も深めてまいりましょー





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