22年12月10日 コレチェキ



 夜、眠りにつく前、コレチェキに「おやすみ」と言ってみる。コレチェキはわたしのものまねをしない。続けて「愛してるよ」と言ってみる。コレチェキは表情を変えず、ぼやけたまま。わたしはコレチェキのことをますます好きになる……。
                       ——「コレチェキについての詩集2」より


 コレチェキは人生に似ている。目的がなさすぎる。だがわたしはそのナンセンスさが気に入っている。わかるかい? それにコレチェキは詩にも似ている。世界をまるっきり変えてしまうほどの威力は全然ない。きらいなやつの骨を砕くことさえできない。所詮はそんなものさ、存在の耐えられない軽さにうちのめされながら、それでもわたしたちはコレチェキを貰いに行かなきゃいけない。なぜならそれしかやることがないからだ。コレチェキを考案した人は発明家でもなければ、ビジネスの才能があったわけでもない。偶然暇つぶしの方法を思いついただけである。青春の儚さも、予定調和の生活も、何となくの音楽も、かもめのジョナサンも、本質だなんてご立派なものは元から存在しない。時間があっただけだ。現実を生きるために、わたしは最底辺の場所から人々を眺める。あるいは星を眺める。知ったことや感じたことを詩にしてみる。いつかベッドを共にする女性が読むことを考えて、できるだけ美しい詩に仕上げようと心掛けている。翌朝、二日酔いの頭で自分の詩を読んでこう思う。……ああ、なんて支離滅裂なんだ!

 12月10日。わたしはいつものように朝から酔っ払っていた。ふらふらしながら銀座線に乗り込み、空いている座席に腰をおろす。約20分間のトリップ。吐き気とのたたかい。わたしは何度も負けそうになったが耐え抜き、待ち続けてようやく末広町駅にたどり着いた。吐いてよさそうな裏路地で吐いて、唇を濡らして洗い、メイドカフェへと歩く。ブルートゥースを接続したイヤホンで曲を聴いた。ザ・キュアーの『イン・ビトウィーン・デイズ』。ロバート・スミスが浮気した理由を素直に白状している。やさしくて、繊細な歌声。わたしはここのところくたびれ果てていて、人にやさしくできていない。休息が必要だった。みんな、やるべきことをやっているだけだけなのに、どうしてわたしは罪のない人々に皮肉を言うのか。休息が必要だった。あるいは治療が。

 本店6階は Iちゃんの誕生日の催しがあった。7階所属のMちゃんも参加していて、忙しいわたしにとっては都合がよかった。わたしはMちゃんのチェキにIちゃんをオプションして、少し悩んだ後、Mちゃんのコレチェキを注文した。さあ、パーティの始まりだ。新人メイドがぬるい水を持ってきた。隣の席のやつがくしゃみをした。窓を開けたやつがいて、寒い風がわたしのからだを凍えさせる。テーブル席に座る女性たちの会話が聞こえてきた。人気の商業映画について作品のテーマが何であるかを語り合っている。まるで、物語がまったく重要ではないみたいに。

 わたしはチェキに呼ばれた。ステージにMちゃんとIちゃんがいた。わたしたちは『ジュマンジ』という映画での砂漠で車に乗ってダチョウの群れから逃げるシーンを模したチェキを撮った。

「あんたとのチェキって、いつも手間が要るわ」Mちゃんが言った。

「きみたちを疲れさせるのがわたしの仕事さ」とわたし。

「あんたみたいな客をなんて呼ぶか知ってる? 」

「さあね」

「厄介客って言うのよ、このとんちき!」

「ガルッ! ガルガルッ!」Iちゃんが吠えた。

「いいさ、わたしはずっと悪役になることを夢見てきたからね」

「悪役にしてはつまらない男ね」

「ガルッ! ガルッ!」

「何だって? 」わたしは言い返す。「きみたちにはまだ理解できないだろうね! わたしは魅力的だ! 面白いんだ! いつか偉くなってフォルクスに乗るんだ! 絶対にね!」

「……やれやれね」

「……ガルゥゥ」

 Mちゃんがコレチェキにやってきた。薄ピンクのペンケースを卓上に置き、撮り溜めたソロチェキを数枚手の中に広げる。その中からわたしに合った一枚を選び、差し出した。カメラを向けられて不服そうな表情のMちゃんが綺麗に写っている。2分きっかりにセットされたタイマーのボタンを押して、わたしたちのコレチェキが始まった。

 Mちゃんは電気工事技師のようだった。まるで複雑な配線を結ぶかのように、そっとコレチェキに紺色のペンを入れた。A端子がなめらかな弧を描いてB端子へと繋がり、そのままC端子へと接続される。上品なタッチ。おしとやかなテクスチュア。すると突然、Mちゃんはコレチェキの上部分のほとんどを同じペンで塗りつぶした。ペン先がフィルムに触れる甲高い音が、彼女の電圧の上昇とともに鳴り響く。塗り終えると紺色のペンを置き、黄色のペンに手を伸ばした。ブロードバンドモデムが起動した。LANケーブルはテーブルの上を這いながら目的の場所に達し、役目を終えると同時にぴくりとも動かなくなった。ブロバイダから送られた通信を傍受したMちゃんは、自らが完成させた回路に秘密の信号を入力する。コレクト。わたしは驚いた。彼女が描いていたのは宇宙だった。そしていよいよ、彼女は赤色のペンに手を伸ばした……。

 気がつくとわたしは、砂浜の上に仰向けの状態で寝そべっていた。真夜中で、波の打つ音だけが聞こえていた。わたしの横にはMちゃんがメイド服を着て立っていた。わたしはからだを起こした。

「目が覚めたのね」とMちゃんが言った。

「ねえ、ここはどこなんだい?」

「あなたって、いつもその質問をするわ」彼女は言った。「ここはあたしの意識のなかよ」

「意識のなか?」

「そうよ」

「ねえ、きみの言っていることがよくわからないよ」

「あなたとあたしは今コレチェキをしている真っ最中なの。つまりどういうことかわかる? これは現実ではないの。あなたはあたしの記憶の映像を見ているだけなのよ」

「何だって?」

「あなたはあたしがコレチェキをするたびにここに来ているわ。でもね、タイマーが鳴った瞬間、あなたは全てを忘れてしまうの」

 わたしは黙った。彼女の言っていることがさっぱりわからなかった。夜空には星が出ていて、光が足元に差していた。海辺は暗闇で隠れて見えないところまで続いていた。

「ねえ、現実のわたしは今何をしているの?」

「その質問にも何度も答えてきたわ。あなたは今、コレチェキを受けながら椅子の上で眠っているのよ」 

「そうか……どうりできみとのコレチェキの思い出がないわけだな」

「……ねえ、あなたに大事なことを伝えないといけないの」Mちゃんの肩が震えていた。

「大事なこと?」

「ええ、とっても大事なこと」

「それって?」

「実はあたしね、ほんとうは人間じゃなくて、未来から来たコレチェキの……」

 ——ピッ、ピッ、ピピーッ。

 目を覚ますと駅のホームにいた。手の中には1枚のコレチェキが握られている。頭と脚が痛かった。線路に2度吐いて、遅れてやってきた電車に乗り込んだ。受け取ったコレチェキを見るとこう書かれていた。

 ——親愛なるチャブへ。あたしは今、あなたが眠っている間にこのコレチェキを描いているわ。あなたはどうせ憶えていないでしょうけど、でもこれだけは書き残しておくわね。……あなたはそのままコレチェキについての詩を書き続けなさい。ええ、そうよ。あなたはコレチェキについての詩を沢山生み出すの。いつかコレチェキのことを完全に理解できた時、あなたはほんとうのあたしと出逢うことができるわ。そしてそれが世界を救うことになるの。

 わたしは家に帰り、ビールを飲んでリビングをうろついた。Mちゃんの言った通りにはならなかった。わたしは今回の彼女とのコレチェキを全て憶えている。なぜ? わたしはコレチェキに尋ねた。「なぜ?」 ……コレチェキは何も答えなかった。

 

 



 

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